ベジタリアンの食事と禁欲

2022-02-11 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

禁欲とベジタリアンは時にセットで語られたりしますけど、関係があるようでいてないこともあるお話のように思います。それは見る人の視点によります。

食事を楽しむことについては、禁欲的生活をしているような段階の人からすれば食事を楽しむなんて欲の生活でよくないことだ、ということになりますし、ベジタリアンの食事が禁欲を意味していたりそうでなかったりしますけど、静寂の境地が安定して愛と感謝の生活をする際に食事をするならばその食事の食材や作ってくれた人に愛と感謝を送るのが当然なわけで、そうなれば傍目から見れば楽しんでいるかのように見えるかもしれないですけどそれを楽しんでいると表現するのか感謝と言うのかは言葉だけのお話で、状態としてはもはや昔とは異なっていて愛と感謝をしているのならば素直に食事を楽しめば良いと思うのです。表現として「楽しむ」と言いましたけど、昔のように美味しいものに目がない、というのとも違ってきますし、普段食べられないような食事をする際は普通に有難いと思って感謝をして食べることになりますので、食事をする際にも禁欲とかそんなことはさほど気にする必要はなくなります。そうは言いましても食材次第で気分が悪くなったり体のオーラが不調になったりということはありますので、食事に敏感になるということはあるように思えて、特に肉食はオーラ的なエネルギー・波動が低いので食べてもエネルギー充填されず、ベジの食事を好むようになるように思います。愛と感謝の生活の段階からすれば禁欲とかあまり気にせず良いと思う食事を取っているだけですけれども、それ以前の場合は、禁欲が関心事になるわけです。傍目で欲や禁欲の生活を送っているように見えたとしても、それを禁欲と思うのかどうかは別のお話なわけです。

ベジの食事をすることで禁欲的、と思われたりすることもありますけど、ベジの食事でも楽しんで感謝を持って美味しく頂けたりするわけです。

スピリチュアルの人、特にインド系の人はベジタリアンの食事を基本のように考えていますけど、私の感覚からすると、静寂の境地に達する前であればそもそもエネルギー状態が低いのでどちらでもそれほど大差はないように思います。一方で、静寂の境地に達した後に愛と感謝の生活をするのであればエネルギーの機微が割と重要になってきますし、エネルギーの感覚もより微細になってきますので、そのくらいになりますとベジタリアン食でないと更なる成長がしにくいのかな、という気がしております。取れるのであれば最初からベジの方がいいとは思いますけど、日本でベジ食は特に外食で見つけるのが大変なのではないでしょうか。最近はインド料理屋が増えてきましたけどずっとそれというのも何ですし、日本の場合は調味料などにも色々と入っていて、完全なベジを日本で実践するのは難しいように思えます。肉の塊を避ける、というくらいがせいぜいな気が致します。外食や職場の付き合いではそんなこと言っていられない場合も多いですし。

ただ、ベジと言ってもインドのベジ食はそれなりにスパイスが強くて、スピリチュアルな人がいうマイルドな味付けのベジではなかったりしますので、ベジと言ってもものによるわけです。インドでもアシュラムとかに行くと味付けがマイルドなベジが出されたりして、日本人からするとしっかり味が効いていて美味しいのですけどインドの人からするとスパイスが効いていなくて美味しくない、という感覚の違いもあったりしますので、インド人からすると普段のベジは欲望の食事でアシュラムのベジは禁欲の食事ということになりますけど日本人からしたらアシュラムのベジはとても美味しいヘルシーな食事、というになったりします。ベジと一言で言っても色々なわけです。

禁欲と言っても押さえつけるのは何事も良くなくて、食べたいものを食べる、というのが基本であって、ベジの方が良さそうだからベジを食べる、というだけのお話なわけです。しっかりと調理された新鮮なベジはエネルギーに満ちていて元気になるように思います。一方で、冷凍の野菜などは冷凍の肉とエネルギー的にはそう変わらないほど落ちていますし、肉は肉で更に悪いこともありますから冷凍の野菜と冷凍の肉を比べたら冷凍の野菜の方がマシと言えばそうですけど、冷凍であれば大差なかったりします。きちんと調理された新鮮なベジであればエネルギーが高くて、オーラの補完になるように思います。