至福の感謝にはすぐには至らない

2022-01-22 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

道徳での感謝から始まり、至福の感謝に至るのだと思います。
最初は単に感謝の仕草を教えられて、やがては感謝というものを知るのだと思います。

一般的な教養や道徳あるいは顕教の仏教などで教えられる割と常識みたいなものとしての感謝のお話と本当の感謝との間の線が見えなくなっていて、それはまるで人類の歴史で猿から人間へと至る進化の道がわからなくなっているミッシング・リンクのようなもので、道徳における感謝と本当の感謝の間の道が見えなくなっていてミッシング・リンクになっていると思われるのです。

その一方で、密教やスピリチュアルの視点からその間の説明が可能のように思います。最初と最後は変わらず感謝であるわけですけれども、その間は、スピリチュアルの説明によって結ぶことができるように思います。

最初:(道徳における)感謝
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ミッシング・リンク
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最後:(自発的な)(至福の)感謝

スピリチュアル的な階梯は以下のようになるように思います。

・(道徳における)感謝 → ヨーガ的にはヨーガ・スートラのヤマ・ニヤマ、あるいは仏教の顕教の教えの一部に相当。頭での理解、するべきこと、するべきではないこと、の理解と実践。
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・健康的な生活。食事、習慣、生活環境を見直すことによる(ヨーガで言うところの)プラーナを増やして元気になる段階。
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・精神統一における瞑想。いわゆるゾーン。歓喜の状態。思考の浄化、雑念の減少
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クンダリーニの覚醒、チャクラの活性化(下から順番に)
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・クンダリーニがサハスララに満ち、静寂の境地に至る
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・アナハタ(胸)の後ろからハイヤーセルフと繋がる。
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・クンダリーニがサハスララに到達しやすくなる。
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・ハイヤーセルフとクンダリーニがアジナとサハスララ及びアナハタまでをも含んで一体になり、至福に至る。光に包まれている感じになる。
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ハートでただ「ありがたい」と言う自発的な感謝の気持ちが沸き起こってくるようになる。

その日の状態に応じて少し前から段階を踏むわけですけれども、日によっては座ってすぐに「ありがたい」と言う感謝の気持ちが自然に湧き出てくることもあれば、ちょっと体のどこかのエネルギールート(ヨーガで言うところのナディ)が詰まっていて筋肉痛あるいは肩こりみたいになっているためにそのエネルギーのよどみを先に解消しなければならない時もあります。

段階を踏むにしても以前よりも遥かに短い時間でステップを踏むことができて、少し前まではもう1つ前のステップ止まりだったわけですけれども最近は感謝の気持ちの段階まで進むことができているわけです。そもそもこの感謝の段階に至らないとその段階があることすらわからなかったわけで、到達して初めてこの感謝の段階があることが認知できたわけですけれども、ここが最終地点なのか、それとも次のステップがあるのかすら今のところよくわからなくて、とは言いましてもここが最終地点のわけがありませんし、過去生の記憶を辿るともう少し色々と細々としたことがありそうな感じですので、この瞑想を更に進めてみたいと思います。

こうして文章に書くと割とあっさりしていますけどそれぞれの段階で色々とあったように思います。