無意識のトランス状態からの脱却

2021-09-11 記載
トピック:スピリチュアル: 呪いとトラウマ

無意識のトランスというのは良くない状態で、意識を常に保つのが瞑想者としてはあるべき姿です。

私の場合、元々アストラルな感情や諸々を感じやすくて、子供の頃の生活環境及び学校生活や近所付き合いなどが原因によるトラウマにより高校生までの間に葛藤を抱えてしまい、無意識的なトランスに度々入る体質になってしまっていました。家族から人並には愛されたとは思いますけどそれでも色々と家庭環境に問題があって、色々とメンタルを壊す原因がありましたし、学校生活での同級生の葛藤や近所のめんどくさいいじめっ子のガキ大将みたいなのがいたりして、何かと面倒な環境でした。大学で東京に出ましたのでそのような環境とは無縁になったのですが、大学以降にそれを解消する意図を始めてから数十年を費やしてトラウマの解消および無意識的なトランスに入らないように心がけてきたわけですけれども、今、特にサハスララにオーラが満ちて以降は無意識的なトランスに陥ることはほぼなくなって、ようやく本質的にほぼ解消したと言えます。段階的に解消してきて、そのトラウマは若い頃は普段の日常生活で突如トランスになるような感じだったのが日常生活での突如のトランスに関しては次第に減ってゆき、やがては、ストレスを抱えたりゾーンに入った時だけトランスに入ってトラウマ等が出てくるような感じになりました。

トランスに入ると根源とも言える無意識に繋がるのですが、トラウマを抱えていない状態ではゾーン状態として成果が上がったり歓喜に満ちたりするのですがトラウマを抱えているとそのトラウマと強く結びついてしまい、自意識が働かなくて自分が何をしているのかも気付かずに何かを行動していたり、時にはボソボソと何かを呟いたりしていました。トラウマを抱えているトランス状態は一般的に言ってメンタルに問題がある状態だったと言えます。

トランスに入った時、トラウマに囚われなければ良いトランスとしてゾーンになり、トラウマが湧き上がってくると良くないトランスになっていたように思います。ですけど、そもそもトランスに入ること自体、あまり良くないことであるように思います。トランスというと自意識がない状態、というのが基本でありますけど、私の場合、自意識がない状態から始まって半覚醒の状態に戻り、そして通用の顕在意識に戻る、というような遷移がありました。自意識がない状態では自分が何をしているのかわからず、制御に困ることになります。

特に4〜5年ほど前にヨガと瞑想を始めてから自動的なトランスに入ることが激減してきたわけですけれども、ここにきて、ほぼ解消されたと言えます。

もともと、小学校の頃に幽体離脱して以降、アストラル的な目に見えない世界と結びつきやすくなって、メンタル的な不安定さと重なってコントロールが難しくなっていたようにも思います。

ただ、私が幽体離脱したときに見て理解した、私が生まれてくることになった理由を確かめてみると、このようにしたのがベストだったと言えます。パラレルワールドもいくつかあって、もっと裕福だったり悩みのないタイムラインもあるのですけど、そのように楽な生活だとスピリチュアル的に成長できないので厳しい環境を選んだ、ということのようです。基本にあるのは「今生の目的はカルマの解消と覚醒への階梯を確かめることの2つ 」ということですから、その目的に対してベストな選択であったと言えます。裕福で楽な生活を送っていると、少なくとも私のパラレルワールドの場合はそれほどスピリチュアルに成長できなかったようです。

世間からするとメンタル的に厳しく見えたかもしれませんけど、長い目で見れば他のタイムラインと比べて今のタイムラインが一番スピリチュアル的に成長しているように思います。

スピリチュアルで厳しい段階にあるのがアストラルの感情的あるいは無意識の段階を通り抜ける時で、私の場合は小学校の頃に幽体離脱をして以降、度々アストラルな世界と対峙してきたわけですけれども、基本はゾーンに入ってアストラルの世界を扱っていたように思います。アストラルの世界は感情が基本となっていて、ゾーンだけでなく、無意識のトランスの世界でもあります。アストラルの世界は最初は無意識でも次第にアストラルの世界が意識的なものへと変わってゆきます。その、アストラル的な世界への対峙は私の場合は転生も含めると何十もの人生の間でずっとアストラルの感情の世界を扱ってきたように思います。

ですけど、アストラルの感情の世界における喜びや悲しみ、そして未来予知などはあくまでもアストラルの世界に限られるものであって、わかったからと言って、それ以上の世界のお話と比べるとちっぽけなものなのだと思います。

基本的に人生はアストラルの世界で行われていて感情が主ではありますけど、その先の世界に行こうとしたら一歩手前の世界を否定しなくてはいけない、ということだと思います。アストラルの世界に行くためには肉体を否定する必要がありますし、カラーナ(コーザル、原因)の世界に行くためにはアストラルの感情の世界を否定しなくてはならないのだと思います。私の場合はちょっと粗治療でしたけど割と今となっては全てが完璧だったように思います。

アストラルの世界は魑魅魍魎が闊歩していて危ない世界でもありますから、ヨーガや仏教では魔境と言われていたり、アストラルな世界に踏み出さずに肉体だけの世界で生きることを推奨しているように思われる流派もあります。

ですけど、私が思うには、アストラルの世界と対峙して時には精神的に不安定になることが必ずスピリチュアルにおける一定の段階において必要でありそこを通り抜ける必要があって、精神的に不安定にならないようなスピリチュアルは偽物で、そのように気をつけないといけない段階だからこそ正しいグルの見守りというものが必要のように思います。人によっては数年で通り抜けるようですけど、私の場合、がっつりと経験して三十年くらいかかったように思います。それは、私の人生の目的だった、グループソウルのカルマをも含めた解消をする必要があったので時間がかかったという点もありますけど、更には、学びのために、覚醒への階梯を確かめるためにはこのくらいの時間が必要だった、ということでもあると思います。