<とりあえずファンタジーと思っておいて頂ければ良いと思います>
今後、地球がどのような方向に向かうのか。それを考えるために、まず「手放し」について触れてから地球の行末を見ていく方が理解しやすいかもしれません。
スピリチュアルで「手放し」で高次へ、みたいなお話はよく見られます。 そしてそれは分離の二元性(非ワンネス)になり得えます。
「手放し」結論
- 手放しというのは「結果」
- それがあたかも、手法であるかのように勘違いされている
- 『手放し→高次』ではなく、逆の『高次→手放し』の順序
「雑念を手放す」はまだわかりますが、「高次になるために手放す」と解釈して二元性の分離に嵌っているケースも少なくないように思います。
トラウマとか感情の「解消」が「手放し」で起こるとして、それは、比喩表現なわけです。比喩であって、本当に手放しをしていると思い込んでいるとしたら、それは分離である可能性が一定数あります。分離というのは二元性です。二元性というのは非ワンネスであるということです。
非ワンネス的な手法や理解を用いて「善と悪」の対立、「光と闇」の戦い、などをしながら自分はよく分かっていなくてワンネスを標榜しているような矛盾した方も割と見受けられます。
「手放し」→「高次」→「ワンネス」という誤解とやり方をして二元性の罠に陥っている方を散見するわけです。本当は逆です。手放しというのは「結果」です。それがあたかも、手法であるかのように宣伝されています。逆、と言うのは、高次になった結果として手放しが起こるということです。高次やワンネスのために手放しをするのではなく、順番が逆で、高次やワンネスの結果として「手放し」が起こると言うことです。手放しというのは「行動」ではないのに、あたかも、手放しをすれば何かが起きるかのようにスピリチュアルでは昔からそう広く理解されています。
更に、この種のお話でよくあるやってはいけないことは、「手放し」で他人をマウンティングし、価値観の操作、あるいは上下関係を作り出すことだったりします。そう言う行動をしている時点で自身が低次の視点にいるわけですが、本人はというとそれに気がついていないのです。
それはというと、個人としての感情や「個」というものを否定してそれ以外の純粋さを作り出そうとしていることがあるのです。その時に、一緒くたになって他人をも否定してしまっているのです。個人の感情の面を否定することで分離を作り出し、他者よりも自分が上だという固定観念のようなものが生まれ、エゴが喜びます。他者の「手放しできていない」(ように見える)場所を見つけるや、エゴが喜んで「よっしゃー!私の方が上だ!」と上機嫌になってドヤ顔で「手放しができていない!」などと指摘したりするのです。割とスピリチュアル初心者あるあるで誰しもが通る道のようにも思いますが、だからこそ、そう言う人は割と多くて相手をするのがめんどくさいですし、そういうのは側から見ていて恥ずかしいので他人にこの種のことを言うのはやめておいた方がいいと思います。
(続きます)