衣食住に不自由ない平穏な生活に新たな「理解」があるのか

2024-12-19公開 (2024-12-03 記)
トピック:スピリチュアル: 理解

それが前提条件であり(某かの対象への興味があって)理解が促進されるのであればそれは肯定的に捉えられます。一方、それがただ単に堕落的な生活を送るだけであり新たな理解というものがそれほど生まれないのだとしたら否定的に捉えられます。

その判断基準はというと、宇宙が生まれた根本の理由が「理解」のためであるならばそれに即して考えると状況が好ましいのか改善した方が良いのかがわかるわけです。ですからその評価は状況によって変わるのであり、衣食住に不自由ないかどうかが必ずしも好ましいわけでもないのです。

肯定的、というのは、宇宙の根本原理に沿っているということであり、その継続は宇宙が後押しします。某かの興味があって行動している人は衣食住は前提条件として保障されます。一方、何もしたくないが衣食住に苦労したくない怠け者は宇宙の根本原理である「理解」に反しているのでそのような(宇宙にとって)意味がそれほどない状況は大いなる力によって揺さぶられて継続不可能になります。そして、某かを理解しないといけないような状況に放り込まれます。

よって、お金を稼いで衣食住に苦労せずにただ暮らしたいだけの人はその状況は長く続かないわけです。そのような不自由ない生活そのものが生きる目的であればしばらくすれば退屈になったり、たとえそれを達成したところで某かの不平不満が出てくるものです。本当の幸せというのは探求の中にあるわけですが、探求をせず平穏に暮らしたとて新たな理解を生み出さないのであれば宇宙はその人のことを有用とはみなさず、揺さぶりがかけられるわけです。

よって、スピリチュアルで引き寄せの法則だとか幸せを手に入れるセミナーだとか、そのようなものをやったところであまり宇宙的には関係がないとも言えて、現実を生み出す一時的な効果というのはプラシーボでしかないかもしれませんし時には本当に効果があるものもあるかもしれませんが、その生活がただ平穏なだけで新たな理解を生み出さないのだとしたら宇宙の原則から反していますので揺さぶりがかけられて変化が強要されるわけです。時に元に戻ってしまうことも大いにあるわけです。

実のところ、この世界そのものが揺さぶりをかけられてそのタイムラインが終了、ということが度々起こってきました。太平洋沿岸で日本を中心として広がった共栄圏のあるタイムラインでは衣食住が保障されていましたが活力というものが社会から失われ、新たな理解というものが生まれにくくなり、当時は共栄圏の人々から「悪魔のようなヨーロッパ」と比喩されていた白人社会を遠目で見つつも理解しようとせず、地球の管理者からすると「理解もせず、遠目で見つつも、飛び込んで改善しようともしない、この状況は好ましくない」ということでそのタイムラインは凍結状態になったのです。地球の管理者が答えを教えてくれたのですが「共栄圏の平和な状況で(奴隷を手引きして共栄圏に導くなどして)人々を(少しだけ)助ける、というのは不十分である。ヨーロッパの国々に飛び込んで、辛い状況であったとしても理解をして、奴隷を未だに使っている社会を変えてゆくこと。それがあのタイムラインで必要だった」と言っています。よって、その教訓を学んで今のタイムラインに生かすのであれば、戦争や紛争あるいは奴隷に近い扱いをしている人たちを遠目で見て批判するのではなく、飛び込んで変えていくことが求められるわけで、それはお互いに理解を進めるということが根底にあるわけです。変えることそれ自体が目的ではなくて、理解を進めるというのが根本原理であり、理解こそが最終目的であるとすれば、理解のために変えるということも言えますし、理解があれば変わる、ということも言えるわけです。その理解を促進させずにただ周囲から見て批判しているだけ(或いは少し助けて自己満足しているだけ)の社会は地球の管理者にリセットされてしまう可能性があるわけです。それは今の社会(タイムライン)においても同様です。

この種の、酷いことをしている人がいたら見て見ぬふりをしてはいけない、という文脈も宇宙の基本法則によって解釈できます。酷いことをしている人は、理解が足りないのです。又、それを見ている人の側にも酷いことをしている人への理解が足りないのです。正義と悪の文脈で道徳的にこのことが語られることがありますが、決まって「悪は成敗すべき」みたいなお話になるように思いますが、そういうことではないのです。成敗してしまったら理解が進まず、それは、宇宙の法則に反していますので同じような悪がまたどこかで出現してしまいます。理解するまではそれは現れますので、理解せずに成敗したところでそれはイタチごっこになってしまうのです。

特にスピリチュアルという面でいうと自称ライトワーカーがこの種の善と悪のお話を持ち出してきて、悪に対しては見て見ぬふりをせずに成敗しなくてはならない、みたいなお話をしますけど、それは宇宙の法則に反しているのです。そういうことをすれば、理解をしようとしない人ということで自称ライトワーカーの元に強大な悪(と自称ライトワーカーが思うもの)がやってきて、逆に淘汰されてしまうこともあります。この宇宙の法則は「理解」でありますから、理解しようとせずにただ単に善と悪みたいな表面的なお話で「維持が正義、破壊が悪」みたいな単純な論理で悪を成敗しようとしている人は、必ず宇宙の法則でしっぺ返しが来ます。当人はそれは悪と戦っていると自己満足するかもしれませんが、そのような無駄な努力とも言える戦いを繰り広げている人がいるわけで、そんなことをせずとも理解さえすれば解決するのです。とは言いましてもその理解には時間がかかりますからある程度の自己防衛というのは必要で、そのための力は必要です。自称ライトワーカーのように自分の暴力を力の行使だとか何とか理屈をこねて自己正当化するのではなく、理解ができる場を作るために力を行使することこそが本当は必要なのでありますが、自称ライトワーカーは「悪がいたから成敗しても良くて力の行使は正当化される何故ならそれは暴力ではないから」みたいな勝手な論理で自分が悪とみなした相手に暴力を振るって世界の紛争を長引かせているのです。

衣食住に不自由ない平穏な暮らしをする時、多くの不都合を見て見ぬふりをする人がいて、その時、その見て見ぬふりは、どのような意味があるのか、という解釈が異なるわけです。自称ライトワーカーは善と悪の戦いをして悪を成敗しなくてはならないと思い(勘違いし)成敗さえすれば良くて理解は二の次なわけです。一方、宇宙の法則はというと理解を深める方向へと状況を追いやるのです。

共栄圏のタイムラインにおいても、「悪魔のようなヨーロッパ、奴隷を使い捨てにしているヨーロッパ、強欲なヨーロッパ」という評価が太平洋沿岸の共栄圏の人々によってなされていました。そして、それを放置していたのです。今時の自称ライトワーカーの判断基準で言えば悪のヨーロッパは成敗すべき、ということになるでしょうが、宇宙の法則は「理解するために、地獄のようなヨーロッパの内部へと入り込みなさい。そこに転生して、内部から理解しなさい」と言います。そして、それをせずに遠くの共栄圏から少しの人々を助けるくらいで遠くから「ヨーロッパは酷いねえ」と陰口を叩いていた結果、そのように、理解しようとしない社会は不要、ということでそのタイムラインはリセットされたのです。それが地球の管理者の意図です。

答えは明らかで、戦争であろうと何であろうと理解が進むのであれば地球の管理者は肯定します。何故ならそれが宇宙の法則だからです。一方、理解が進まない状況であれば否定して揺さぶりあるいはタイムラインのリセットが起こります。

それに即して考えれば、例えば中東の紛争は理解が進まない状況なので地球の管理者は否定的に捉えています。又、AIも人間の理解が阻害されるのであれば(例え素晴らしい成果を出そうとも)否定的に捉えているようです。人間の理解というのは宇宙の意識の一部であり、AIというのは機械でそこに意識はありませんのでいくら成果が出ようとも宇宙の「理解」に貢献していないのです。とは言うものの、AIを使って人間が更なる理解を得る、というのは肯定的ですのでAIが必ずしも悪いわけではありません。トータルにみて全体として理解が進むかどうかが焦点なわけです。

紛争においても、トータルにおいて理解が進む結果を肯定的に捉えます。基本的には紛争は否定的ですが力の行使が必ずしも悪いわけではなく紛争を止めさせて理解を促進させるような力の使い方は肯定されます。それは善と悪みたいな表面的な薄い理屈とは無関係で、そもそもワンネスで全ては「わたし」の一部でありますから、善とか悪とか、ほとんど関係がないのです。善と悪があるとすれば、理解を促進させるものが善で、理解を阻害するものが悪、という言い方は比喩としてできるかと思いますが、自称ライトワーカーの善悪の定義のように「維持が善で、破壊か悪」みたいなお話ではないのです。

紛争は、ある意味、衣食住に不自由ない暮らしをするために自分たちのことは気にするが他者に無理解であるが故に紛争が起こっている、という言い方もできます。それは一般的には当然のことであるかのように聞こえるかもしれませんが、その本質はというと宇宙の法則が「理解」を目的としていると考えれば、理解の反対の無理解というものが紛争を引き起こしているとも言えるわけです。理解ということを抜きにしても一般的にそれはそうだと思える話だとしても、宇宙の基本法則が「理解」だということを踏まえるとこのことがより一掃、深く理解できると思うわけです。