そして、その幾分かは合一の結果として商業目的の意図が埋め込まれていて、音楽を聞くと消費行動を取るようにプログラムされているわけです。
スピリチュアル的に言えばアストラルなオーラが感情を司っていて、音楽の感情と合一すると、その奥に本当の意図が隠されているわけです。
そこまで明確ではなくても、歌っている人のオーラが曲には乗りますから、音楽を聞くということは歌い手のオーラを飲んでいるのと同じなのです。
であれば、当然、聞く音楽は選ぶべきですが、特にバブル時代は画一的な音楽で同調圧力と共に人々を半ば強制的に同じ感情と同じ消費行動へと駆り立てていたのです。 それが、バブル時代に音楽業界に関わった人のカルマとして、人々の自由意志を奪ったという「自由への罪」とし蓄積されており、自分が逆に奴隷状態になるカルマが彼らにはあると言って良いでしょう。何事も、自分がそうしたら返ってくるわけです。それは家族のモラハラかもしれないですし仕事のパワハラかもしれないですけど、この種のお話は、同じような人が惹かれあって、同じような学びをしていくわけです。
特にバブル時代、私が音楽を何度も聞くとその奥にあるオーラの本当の意図を感じてしまって、大抵の場合は吐き気がして頭痛および頭がクラクラしていました。 それを他人に言ったところでほとんど理解されなかったですけど、どうやら、大抵の人はこの種の感覚に無自覚のようです。ですから、私がこのようなことを言っても理解して頂けない気もしますが、一応書いておきます。
音楽によるアストラルのオーラの感情的な合一はアストラル体としてのオーラの合一のひとつの例で、そのように他人と感情を共有してしまうと(アストラル領域の)オーラの交換が起こって、結果、輪廻転生に影響が出る可能性があります。