スピリチュアルな問題を自分で解決することの大切さ

2024-03-16公開 (2023-10-26 記載)
トピック:スピリチュアル: 回想録

<瞑想で見たことですので本当のことかどうかはわかりません>

ふと思い出したのですが、(私の属する)グループソウルのとある分霊が、今からおおよそ100年ほど前に霊的指導者をしていて、弟子たちの問題を矢継ぎ早に指摘することで弟子たちの問題を解決したかのように導いていたことがあるようです。その記憶のかけらを思い出しました。その時の教訓として、「そのように、素早く代わりに解決してしまうのは良くなかった。時間がかかろうとも、全然進歩していないように見えても、根気よく、弟子たちの自分での成長を待つべきだった」と、強く思ったようです。その反省の念が強く強く残っていて、それが私にも(分霊としての)記憶の断片として残されています。

その時の場面も含めて思い出すのですが、どうやら、そのように導きすぎてしまったが故に、そのスピリチュアルな集団に属していた人たちが(現代に至るまで)「自分たちで思考する力」が弱くなってしまったようなのです。その系統は現在までも続いているのですけど、その魂の系譜の人たちは、自分で考える、という点において弱く、それが、現代にも、積極的に自分で考えて世の中を良くしていくという思考力と行動力という点においてどこか弱いようなのです。

これを踏まえると、現代の私の知っている周囲を見渡してみると、スピリチュアルなヒーリングなどをして矢継ぎ早に他人を(一見すると)解決に導くことで「良いこと」をしていると思っているヒーラや団体が、実は、他人の思考力を奪っている、他人の足を引っ張っている、ということに気がつくわけです。

これは、とても微妙なお話ですので、わかりにくいかもしれません。複数の要素が組み合わさっていて、単なる単純な援助の気持ちと行為でしかないものが実は他人の思考力を奪っているというお話と、それとは別に、現代の問題として優越意識のあるスピリチュアルによってヒーリングが乱用されている、という現実、さらには、その状況を利用してヒーリングでかなり儲ける、というマーケットが出来上がっている現代の問題があります。

100年前は割と単純で、ただ単にスピリチュアルな探究が滞るというくらいでした。実は、そのグループは現代において世界を救うミッションもあって、100年前までに思考力と行動力を十分に身につけておかなかったがために現代においても思考力と行動力が世界を救うのに十分ではない、という現実もあります。

そこにきて、現代は、私(の属するグループソウルの分霊)が100年前に安易な気持ちと浅い理解で「他の人の手助けになれば良い」と考えて代わりに問題を解決してしまった過ちと同じようなことがこの時代でも繰り返されていて、特に、ヒーリングを学んだグループがヒーリングを繰り返して、自分は他人の助けになっているつもりが、実は、他人の理解の足を引っ張っている、自立心を奪う、思考力を奪う、現実に向き合うことの邪魔をする、という、安易にヒーリングして問題を取り除いてしまうことで問題に向き合うことができなくなってしまう人を大量生産しているわけです。

実のところ、そのようなヒーリングを行なっている一部の微妙なスピリチュアル団体に属している人は自己肯定感が高くて、自分が行なっているヒーリングが効果が高いことを自負していて優越意識を持っていることが多いように思います。そして、ヒーリングを求める人がいて、施す人がいる、という、共依存の関係になっているように思うのです。スピリチュアルな団体やヒーラーたちが活躍できる場ができているのは、それは現実としてエネルギーとお金の交換の流れ(システム)ができているようで、システムとして提供する側と提供される側とがうまく共依存の関係になっていると言えます。

自分で現実を見ることなく、現実に対処する力もなく、理解力も足らず、ただ単にヒーリングで問題となっている穢れを取り除けば良いと安易に考えている人が大勢いて、そんな人、穢れを持っている人はヒーラーにまずディスられて自己肯定感を削られ、それによってヒーラーから「施し」と言わんばかりに(有料で)ヒーリングを受けるという構図は、顔や肌をディスって割と不要な美容のコースを高額で売り付ける美容サロンの仕組みとそこまで変わらないようにも思うのです。無料でヒーリングするのならば同じ構図でも多少は変わってきますが、それでも、他人の思考力と生きる力を実は奪っていることにヒーラーは気が付かないのです。一時的に回復して元気になったとしても、長期的に生きる力が少しづつ失われていきます。それはゆっくりと死に至る病のようなものです。根本原因としてのカルマが残っているわけですから必ず問題は再発しますが、その度にヒーラーに表に見える現象を「取り除いて」もらっていたら、根本の原因究明と理解にまで至らないのです。

一般的な話として宇宙の法則というものがあって、基本的には他人に関与してはいけない、周囲から見ていてどれほど気になっても干渉してはいけない、ということがこの宇宙の大原則であり、それにより、自由が保障されているわけです。ですが、例外規定というものがあって、大きく周囲や環境に影響を与えるような緊急事態においては干渉が許されています。例えば地球が破壊されてしまうような状況においては地球への宇宙からの干渉が許されるわけですが、大きな惑星単位のお話としての宇宙の法則は、規模は違えども同じ原理原則が個人にも適用されて、他人の自由を奪うようなやり方は自由への干渉になりますので宇宙の法則に反しており、必ずしっぺ返しがきます。

たとえ同意を取っている体裁を取っていたとしても実態としては干渉になっているわけで、基本的には他人への過干渉は良くないことで、その本人にとっての緊急事態にのみ干渉が許されているというのは同じことです。ヒーリングにしても緊急事態かどうかが鍵となっていて、状況によっては闇堕ちしていたり混沌の精神状況にある人を救わないとどうしようもないという状況において、それが主観としてではなく、複数人が様々に判断してもそれでも総合的に見て危ない状態だと判断されて初めて緊急事態というルールが適用できる場合もあるにはあるでしょうが、昨今のスピリチュアルにおいては他人のちょっとした穢れを煽って自己肯定感を下げた上で言葉の脅しのような状況でヒーリングを施すという流れができており、ヒーリングをする人なのにも関わらず、「よくわからないけれども、どこか、怖い」ヒーラーが一部で大量生産されています。その怖さは、煽りにあるわけです。そんな煽ってヒーリングを受けさせる状況は緊急事態でもなんでもなくて、ただ稼ぐために他人のよくない(ように見えるが実は大した問題ではない)点を煽っているという点は、美容整形で不必要な施術を迫るクリニックと同じようなもので、不要なヒーリングを迫っているということであり、あまり好ましくない状況のように思います。確かに、一時的に良くなって被験者は喜んだりするでしょうが、必ず被験者に違和感が残ります。それは宇宙の法則から言って、不要な良くない干渉なわけです。そのような不要なヒーリングをしているヒーラーはそのうち大きなカルマを背負わされて、闇堕ちすることもあるように(個人的な感想、印象としては)思います。

宇宙の法則を踏み外し、煽った挙句余計なお世話なヒーリングを施して、その結果、被験者の後ろについているガイドたちから「おい、勝手に葛藤を取り除くな! このことで勉強していたんだぞ。せっかく苦労して状況を作り出して、その意味を理解しようとしていたのに、今回のことで学ぶことができなければ、この子はまた、同じような失敗を繰り返し、他人に対して大きな迷惑を与えるようになる。目先の葛藤をお前が取り除いてしまったがために、勉強する機会を奪ってしまったのだ。ヒーラーであるお前の罪は大きい。余計な干渉はするな。」と、ガイドからたいそう叱られる場合もあるように思うのです。

こうしてガイドから怒られてもヒーラーは自分でそのことに気が付かなかったりしますから「あれ。何か、私のオーラが穢れている。ヒーリングしなきゃ」と言って自分で自分のオーラを整えてしまって本人(ヒーラー)は知らんぷり、みたいになったりもするように思います。こうなると、自分でその状況に気が付くため、とてもとても大きな闇がヒーラーにまとめて降りてきてヒーラーが闇堕ちする、ということにもなったりするように思うのです。そういう状況でもなければヒーラ自身の罪に自分で気が付かない、(背後についている見えない)ガイドとしては、本人に気付かせるために、そうせざるを得ない、ということもあるように思うのです。

その前に自分で気がつけば良いですが、気付かない場合に、よく言われている「スピリチュアル依存」「ヒーラー依存」みたいなものを生み出すのも、根本的なこの辺りの構造に根ざしているわけです。

ただ、そうは言いましても、ヒーリングをそこまで悪く考える必要もない、と最近は思うのです。であれば、どうしてヒーリングや導きを良くないものとして考える癖がついているのか、その辺りを深掘りする必要を感じてきました。ずっと昔から、基本的にこのようにヒーリングのことを考えていました。最初、どうしてこのように思うようになったのかは思い出せないほど前からそう思っているわけですが、同じようなことが私が被験者としての立場で昔にあったような気も致しますし、はたまた、自分が導く立場で安易な答えを出しすぎていたかもしれないのです。そんな気も致します。

そう思っていたら、ふと、遥か昔に幽体離脱した時に見たことを思い出して、私の場合、おそらく、「すぐに答えを与えてしまう」ことが課題で、本来はその人が考える必要があるのにも関わらず私がいきなり答えを与えてしまったり、代わりにやってしまったりするので当人がうまく成長できない状況を作り出してしまったのです。そのような記憶のようなものが幾つかあります。特にスピリチュアルな面において、他人の成長を見ていた私が「モタモタしている」と思ったので「さっさと、こうすればいいのに」という気持ちですぐに手を引っ張って解決に導いてしまったが故に、私が代わりにやってしまった感じになり、当人が自分でうまく学習する機会を失ってしまって、理解が深まらない状態のまま留まってしまったわけです。それが私の課題としてあって、すぐに答えを与えてしまう害悪を学ぶために、自分が被験者としてこのようなことを体験させられた気もするのです。

思えば、昔(100年前)は考えが安易でしたから、問題は取り除けば良い、と、単純に考えていたようです。

しかし、(100年前と違い、)今は、どうやら「全ては完璧」であり、穢れや葛藤も含めて全て完璧であることがわかった今、何をわざわざ「ヒーリング」などというものが必要なのか、多くの場合には、余計なお世話な気もするのです。基本は、ヒーラーとして「他人の穢れを取り除くことはできるけれども、そういうことはしない。他人への干渉はしない。他人の穢れを取り除かない。」という態度が必要のように思います。であれば、ヒーラーというものは基本的に不要だと思うのです。お役御免です。

とは言いつつも自分では時々受けたりもしますし、その度に、そのヒーリングの種類と効果について興味深く感じたりもしています。

自分で行うヒーリングのやり方というものについても、他人の成長を妨げないヒーリングというものは何なのか将来的に検証していきたいと思います。ヒーリングにも色々な種類のものがあって、単に体に近いオーラを注ぎ込んでいるだけのもの(それは往々にしてその人のオーラが入るので気分が悪くなることが多い)があったり、体に近くても純粋なもの、肉体・物理層に働きかけるエネルギー、中間的(アストラルあるいはエーテル的)なエネルギー、そして、高次のエネルギーを通してくれるもがあって、高次なほど良いヒーリングですけど、そのように、単純にエネルギーの質というだけでも多様なものがあって、「注ぎ込まれるエネルギー」としての種類・質とその強さに違いがあるわけです。

エネルギーの法則というものがあって、エネルギーは高い方から低い方に流れますから、ヒーラーの方がエネルギーが低いと、ヒーリングしているつもりでいてもヒーラーがエネルギーを吸い取ってしまう、ということも起こります。そうなると、被験者は疲れてしまうわけです。そういうことも割とあります。必ずしもヒーラーの方がエネルギーが高いとは限らないわけです。

又、「穢れのオーラを取り除いてそれで解決ということにしてしまう」「取り除く」系のヒーリングもあって、それは、上記の通り、問題を代わりに解決してしまうことで本人の邪魔をしていることに他ならず、ヒーラーはいいことをしているつもりでも実は被験者の邪魔をしているということも多いわけです。「たまたま」もらってしまった穢れを取り除くのは一応は許されるかもしれませんけど、それすらも、基本的には非干渉の法則が成立しますから放っておくことが基本なわけです。勝手にオーラを取り除いてしまうのは良くないヒーリングと思っていたりもしますが、本人が緊急事態であればある程度の助けも必要な場合があるようにも思います。この辺りは私もまだ勉強中ですので検証が必要なところです。非常事態においてはそのような手法というものも時には有用のようにも思います。何をどのような状態を非常事態とみなすかには主観になってしまうこともあり、普遍的な良し悪しは判断が難しいように思います。

一つのやり方として、自分の体を通さずに宇宙のエネルギーを天から直接被験者に頭の上から下ろすヒーリングが一番純粋かな、という気がしています。自分の体を使うと波動がどうしても下がってしまって物理面の邪気の影響を受けやすいですし、ちょっと離れたところで、天から直接的に被験者の頭の上から天のエネルギーのシャワーを浴びらせるヒーリングならばあのような危険性もないような気がしております。ただ、この場合、被験者の波動がそれなりに高くないと効果が感じられないかもしれません。わかりやすいヒーリングは物理層に近いもので効果も感じやすい反面、純粋になればなるほど透明な光になって被験者の体感としては少ないものになるような気がするのです。純粋な光であればあるほどヒーリングをされても気づかない、ということになるように思います。受け手がそれなりに純化していないと、純粋な光のエネルギーは実感し辛いように思います(実際には受けていたとしても)。純粋な光をヒーリングしても、被験者は「???」という感じで、それよりは、わかりやすい物理層に近いエネルギーの方が満足度は高いように思うのです。このあたりは今後の検証になります。

理想的には、自分で問題を解決させて理解へと導くことを前提に、生命力としての根源的なエネルギーだけを手助けするヒーリング、それはいわゆる高次のエネルギーということでありますけど、やり方として、天の扉を開いて天から光の柱を被験者に直接降ろすというやり方が良いように思います。そうすれば私の体のオーラを経由しないのでエネルギー的に純粋ですし、私のオーラとの接触がないので私は穢れをもらわないですし、いいことづくめなわけです。

そうは言いましても、この世界で被験者に良きことを実感してもらうためにはそのような純粋なヒーリングだけでは(体感し辛いため)不十分で、体感を伴った(物理層に近い)ヒーリングも必要のように思うのです。その時、穢れを単純に取り払ってしまったり答えを単純に与えてしまうだけでなく、純粋に助けになるエネルギーを与えることで本人の生きる力を増やすことができるように思います。この辺りは、今後の検証になります。