瞑想で中途半端な静寂でいるとチャネリングで道を踏み外す

2024-01-14公開 (2023-09-05 記載)
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

ゴールは何か、をしっかりと勉強することが必要なわけです。そうしなければ、途中で、もうゴールに辿り着いたと勘違いしてしまうことにもなります。

静寂がそれなりに深まって、「怠惰感」と共に「どうしたらいいのかわからない」感覚、空虚な感覚に陥ることがあります。そして、その状態でもある程度の静寂と至福に満たされていますので、あたかも、ゴールに辿り着いたかのように錯覚してしまうことが多々あるように思うのです。

実際のところ、それはまだ静寂が極まっていなくて、ワンネスあるいはプルシャ、はたまたアートマン(真我)に至っていない状況なわけですけど、そのような状態では、まだアンタッカラナ(内なる道具)が浄化されていないわけです。

そして、その状態で、自らの「ハイヤーセルフ(と思い込んでいるもの)」あるいは守護霊、はたまたガイド(という想像)に語りかけると、「それっぽい答え」が返ってくるのです。これは本当に巧妙で、あたかも、本当にハイヤーセルフやガイドが答えてくれるかのように誤解するのです。そして、これで、自分はゴールに達成した、と思い込むわけです。

実際のところ、それはそれで多少の真実を含んでいて、そのような状態であったとしてもそれなりに浄化は進んでいますから時折は本当の正しい真実が降りてはくるのですけど、その精度はまだ低いわけです。

本当のチャネリングというものはあって、他の意識体とコンタクトして意思疎通をする方法は、それはそれとしてあるわけですけど、この場合、ハイヤーセルフとコンタクトをしているかのように都合よく解釈してしまうわけです。実際のところ、その気分を利用してところどころに本当の守護霊やガイドが本当のことを入れてくるのですけど、それでも、精度としては低いわけです。

ヨーガや古来からの教えを学んでいるとゴールがそのようなチャネリングにはないことを学びますから、たとえ神様から誘われたとしても断りなさい、と言われている状況下では、正しいゴールまでよそ見はしないのです。

スピリチュアル系で、テクニックを覚えたりチャネリング(という想像)ができるようになって浮かれて、スピリチュアルな成長ができたと思い込んでいる反面、ただ単に自尊心が高まってエゴが強くなっただけだった、みたいなお話はそこらじゅうにあるわけです。

それよりも、地道に、静寂が深まってワンネスに至るまでよそ見をしないのが良いと思われます。

ちなみに、ヨーガなどでは、瞑想中に現れるイメージや想像は重要ではない、と教わります。一方、一応はそのイメージの質に応じてそれなりのその時点の段階が読み取れるという面もあるにはあって、それを「印」として用いている流派もありますが、どちらにせよ、それは一過性のものなわけです。チャクラや体の各所に溜まったエネルギーが解放されて出てくる時、何かの経験があるかもしれないし、ないかもしれない。

その時、勉強をしていないとその経験が大切だと思い込んでしまいますけど、ゴールが明確になっていれば途中でよそ見はしないわけです。