富の蓄積と日本的な価格安定志向が理想の未来の1つ

2023-12-07公開 (2023-07-18 記載)
トピック:スピリチュアル: 歴史

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太平洋沿岸の日本共栄圏には分かち合いと自由があった 〜 繁栄と破滅、そして今の世界へ繋がる希望の物語 〜 [電子書籍版]

とあるパラレルワールドにおいて、一つの理想形としての「分かち合い」社会がどのようなもので、どのように破滅したのかの流れを大まかに追っていきたいと思います。その世界では日本を中心として太平洋沿岸の地域を包括した共栄圏が存在しており、分かち合いが実現されていて、人々は幸せに暮らしていました。共栄圏がどのような経緯で生まれ、そして、やがては凍結状態になるに至ったのか、その経緯を見ていきたいと思います。


スピリチュアルにせよそうでないにせよほとんどの人が経済成長が必要、という考えにほぼほぼ同意しているのかなと思います。一部で「お金なんていらない」という考えがあるとしても、そのようにお金がなくなる考えは少なくとも現時点ではマイノリティかと思います。この私の基本的な考えは、とあるタイムラインの太平洋沿岸に広がった、日本から始まった共栄圏で起こった史実を元にしています。とは言いましても別のタイムラインのお話ですから証明は難しいのですが、それが存在するとの仮定の元にこれからその姿を説明していきます。<以下は別のタイムラインのお話を元にしておりますのでご注意ください>共栄圏(の複数あるタイムラインのうちの幾つか)においては貨幣経済がかなり早い段階で鉱物ベースから紙幣ベースに切り替わりました。そうすると、共栄圏では非常に面白いことが起こりました。最初の数世代こそ人々は現代のようにお金や食べ物のために仕事をしていましたが、ある時から、お金が十分すぎるほど貯まるようになったのです。価格が安定し、貨幣が世に溢れ出して、人々のほとんどがお金持ちになったのにも関わらず、インフレが起きず、価格が安定したまま、人々が「他の人が必要だから」という他助の精神に基づいて、既にお金は十分あるのにも関わらず自分の家業を代々と続けるようになったのです。特に、地方で特に有名な人や、その村で一番のお金持ちである村長のような尊敬されている人たちがお金をたくさん持っているのにも関わらず仕事を辞めずに続けていたことで、他の人々は「あの尊敬されている有名人や街の町長とかは自分よりお金を沢山持っていて仕事を辞めようと思えばいつでも辞められる筈なのに辞めていなくて一生懸命働いているしな・・・。俺が辞められないよ」と思って皆は仕事を続けたのでした。日本人の横並びの調整力が良い方向に働いていたとも言えます。これは、西洋のケインズ経済学とは矛盾する現象で、共栄圏は当時、太平洋の周辺に隅々まで行き渡っていて中国や韓国も含めてアジアの各国まで含めるどころかアメリカの中部から西部にかけても共栄圏に含まれていました。大体アパラチア山脈のあたりが境目で、その東側はヨーロッパ各国の属国になっており、奴隷が解放されず使用されており、ヨーロッパ各国が支配するアメリカ東部とアフリカは地獄なのに対して日本を中心とした太平洋沿岸の共栄圏は奴隷もなく、食べ物は共有物になっていて無料であるために飢えることがなく、天国だったわけです。その、天国の方の共栄圏は1600年前後の割と初期に食べ物が共有で無料という考え方が定着したわけですけど、それにより、経済活動が物や嗜好品に偏ることになり、土地は代々受け継ぐものとして安定していましたから、お金を使うところが限られていたわけです。ケインズ経済学に基づくと価格の均等だとか何とかで富と生産がどうのこうの・・・ という考え方になっていますが、それは西洋の欲深い人々にとっては正しいのでしょうけど、このタイムラインではそのような均衡条件は成り立ちませんでした。ただ単純に価格が安定していって、人々はそこまでお金を使わなくなっていき、皆がお金を溢れるほど蓄積するようになっていったのです。当時の、共栄圏の人はケインズなんてもちろん知りませんから、ありのままの姿の史実として、上記のように、価格が安定しつつ人々は富を蓄積していったわけです。共栄圏ができて数世代後、人も物もお金も十分に行き渡った時、人々はふと、自分の家にお金が山ほど溜まっていることに気がつきました。そして、他の人に聞いてみると、他所の家も同様に家にお金が山ほど溜まっていて、似たような状況だったのです。食べ物は無料で共有ですし、お金を使うこともあまりないのでお金があってもなくてもそれほど困らないけれども、とりあえず家に置いておく、という人が増えていたのです。そして、堰を切ったように人々が「おい。お金がうちにはたっぷり溜まっているんだが・・・」「ああ、俺もだよ」「これ、仕事やめても暮らしていけるよな」「まあ、そうだけど・・・」みたいな話になっても何故か人々は今やっている仕事を辞めようとはせず、「お金的には辞めてもいいんだけど、お金持っているのは自分だけじゃなくて、みんな同じ状況だしな・・・。みんなもお金をたっぷり持っているけど仕事辞めるような人はいないんだよな。俺がこの仕事を辞めたらみんなが困るしな・・・。必要な人がいるんだから、仕事を続けなきゃな」と皆が同じように思うようになって、そのような共通意識ができて、その後、何世代にもわたって口々に言い合うのが「だって、この仕事を俺がしないと困る人がいるだろ」みたいなことを言いながら、代々続く仕事を続けたのでした。共栄圏では海や山の資源は共通の資産として認識されていましたから、例えば海の魚を取るにしても必要以上に取らないですし、山の鉱物を取るにしても必要以上には取らないのです。今のようにお金さえあれば与えられるのではなく、必ず「どうしてそれが必要なのか」をその管理者に納得してもらわなければ得ることができないような運用になっていきました。魚を沢山撮ろうとしても「どうしてそんなに取らないといけないのか」を説明しないと割り当てを超えて取ることは許されませんでしたし、鉱物にしても何に使うのかを説明する必要があったのです。そのため、共栄圏の魚の資源は豊かに保たれ、鉱物にしても何百年もずっと足りるほど十分すぎる量が確保できていました。今のように、お金さえあれば魚を取れるだけ取る、という状況ではありませんでした。それは単に仕組みや制度として上限が決められていたという面もあるにはあったのですけど、それ以上に、それを作業する人が今の仕事量以上に労力を費やすためには苦労する人に納得してもらう必要があったのです。今であればお金をたくさん払って大量に人を集めたり機械を集めたりしますけど、共栄圏においては割と作業する人が固定で代々の家が管理を継承しておりましたので、基本的には安定した生産量を基本としていましたから、それ以上を得るためには、その人に必要性を納得してもらわないと資源を追加で得ることができなかったのです。これは良い面もあればそうでない面もあって、特に、離れていて状況もよくわからないヨーロッパの諸国が大量の資源を買い付けようとしても共栄圏からは「どうしてそんな大量に必要なのだ。そんなに必要ないだろ」と言ってなかなか分けてもらえず、ヨーロッパ諸国の商人たちはストレスを感じていたように思います。共栄圏の資源の管理者は「ヨーロッパ諸国の商人はがめつくて、資源を大量に得てお金儲けしようとしている、ずるい人たちだ」という共通認識が共栄圏の人々にはありましたので、資源を大量に欲しいというお話はあまり相手にされていなかったのです。そのように、共栄圏では融通が効かなくて面倒な面もありつつも、基本的には、人々は自分の与えられた仕事をして他人に奉仕することで日々を暮らす、ということができていたように思うのです。これが、今後、日本そして世界が目指すべき一つの雛形になるように思うのです。まずお金を十分に世界に行き渡らせて、その上で、価格が安定する。ケインズ経済学のように価格均衡をせずに皆がお金を十分に持っている状態にする。その時に、西洋の欲深い人はお金を沢山取ろうと価格を釣り上げたりして人々がお金に常に不足している状況を何とか作り出そうとしますが、その策略に負けずに価格が安定して人々が共栄圏のように「相手が必要だから」という気持ちで仕事をするようになった時に現在の資本主義経済が一つレベルアップして、共栄圏経済になるわけです。そういう観点からすると、日本でこれまで経済的に豊かになると同時に価格が安定してデフレのような状況になっていたのは、実は良い傾向だったわけで、そもそも共栄圏はそのタイムラインでは日本発祥でしたから、このデフレと価格安定がもっと地球規模の広い範囲で起こった時に人々が仕事を辞めずに義務と奉仕の気持ちをある程度の人が持ち続けたならば理想的な状態に近づくのです。世界を見ると、日本的な現象は良くない状況だと思われていて、世界の各国で日本のようなデフレ成長にならないよう危険視されていますけど、日本の資源が必要以上に他国の欲望まみれの人々に奪われないように気を付けた上で、世界の多くの地域で同様に富の蓄積と同時に価格の安定という状況になれば良いのです。経済学者や政治家は ......続きは書籍でお読みください