人は、悲しすぎる時に笑顔になる

2023-09-01
トピック:スピリチュアル: 回想録

本文の後書き・補足:

お目当ての子も含めて複数人で食事をしている時にとても辛くなって、気になる子には何故か自分が素っ気ない態度を取ってしまって誤解されて、自分の態度が原因であるのにも関わらずそっぽを向かれて悲しくなって、それでいて、他の子にも自分というものがそこまで相手にされずに表面上の作り笑顔をされているのと同時に偏差値が下に見られて社交辞令の笑顔でスルーされている状況が情けなくて耐えきれなくて、どうしようもなくて最初は精神衰弱になるわけですけど、一定の閾値を超えて耐えられなくなると、笑顔になるのです。笑顔でいなければ精神が崩壊してしまうほど感情は一杯一杯で、その時、私の心はというと「あぁ、もう、耐えきれないけど・・・。まだ2時間近く時間はあって、せっかく来たこの子達と何も喋らないのも何だし、つまらない思いをさせて返してしまうのは申し訳ない。もう、せめてもの、おもてなしをしよう。そして、帰ろう」と思ったように思います。そして、精神崩壊寸前のところで笑顔になって、にこやかに、「ご趣味は何ですか?」みたいに話を戻して、その子達は困惑して顔が少し強張りつつも、なんとか、少しづつ打ち解けてくれたように思います。それでも、私の精神がそんな状況でしたから恋愛なんて無理かなとも思っていたわけですけど、実のところ、そのような精神衰弱の状態であれば、相手方から押せば私は簡単に落ちた状態だったように思うのです。とは言いましても女性の方から積極的になることなんて少ないですからその時は何もなかったですけど、逆の立場で、打ちひしがれている女性がいたら、男性が優しくしてあげれば良い子も簡単に落ちるかのような(逆の立場での)精神状態だったように思います。その私の姿を見て本命の子は困惑していましたけど、もしかしたら、悲しくて笑顔になっている状況を、ただ単純に、他の子たちに対して笑顔になっているかのように解釈されてしまったかもしれませんね。そう言うことではないのですけど、笑顔というものは解釈が難しいように思います。自分ですら自分の笑顔の理由を当時はよく理解できないでいましたし、ましてや、周囲から見て笑顔の理由を読み取るのはなかなか難しいように思うのです。この時の笑顔の特徴を言葉で表すなら「ガチャピンの目」になっているところでしょうか。

今から思えば、この「笑顔」は、私が母や親戚や同級生から執拗にイジられて嘲笑されて非常に辛くて精神が崩壊しかけていた時に自然に「笑顔」が出ていた時と同じだったように思うのです。この時、私は、自分が受け入れてもらえない悲しさと辛さ、誤解されてしまってそのまま関係性の修復が不可能だと悟ったことによる悲しさで精神が崩壊しかけ、そして「笑顔」を作っていたように思うのです。その視線はあの時に一緒だった女の子たちに一応は向けられていましたけど、それは決して、恋愛によって笑顔になっていたわけではなく、本命の子に理解されていなくて誤解されていたが故の悲しさで笑顔になっていたのであって、実のところ、こんな回りくどいことせずに、本命ならばズバリと言葉で言えば良かったと今なら思うわけですけど、当時は自己肯定感も低かったですし、そもそも、自分の気持ちすら自分でうまく解釈できなくて、ですから、自分が本当に誰が好きなのか、自覚すらしていなかったのです。結局、笑顔でいたり、はたまた、感情を抑えてクールにしていられることができずに最後に悲しい感情が込み上げてきて抑えきれずに爆発してしまって変な姿を見せてしまい、そんなんですから一緒だった子たちには不思議がられただけで、もちろん、そのまま何もなかったのですけど、今から思えば、こういうことだったのかなと思うわけです。自分の感情と気持ちすら理解できていない人に恋愛は難しいのかなと思います。まあ、そのように難しいからこそ恋愛できる機会は貴重だということも言えるかもしれませんが。

きっと同じように、私以外にも、虐められている人が「喜んで」いるかのように見える場面というのはあると思うのです。このように、精神が崩壊しかけていて神経衰弱になっている時に感情が耐えきれなくなって、感情が壊れてしまって「笑顔」になっている時があるように思うのです。人の気持ちというものがよくわからない人は他人の笑顔を見て単に「喜んでいる」と解釈し、例えば、人の気持ちがわからないイジメっ子などは「虐められている人は、喜んでいた」とか釈明したり、はたまた、いじめっ子がいじめられっ子に対して「俺が好きなのだろ? お前ホモだろ?」とか勘違いの釈明をしますけど、実のところ、精神が崩壊していると「笑顔」になるように思うのです。そうでもして感情のバランスを取らなければそのまま精神が本当に崩壊して気が狂ってしまうほどに辛い思いをしているからこそ、自分の精神を守るようにして「笑顔」になるように思うのです。それを見て、いじめっ子は「喜んでいる」と解釈したり、はたまた、勘違いにも程があるのですが「自分が好きなのだろ? ホモみたいに笑って気持ち悪い奴だ」みたいに思ってイジリがエスカレートするわけです。人の気持ちを理解できないような獣のような人間はこの世に大勢いるもので、この種の「悲しい笑顔」を全くと言って良いほど理解できない人も、世間には大勢いるわけです。

一般的にはそのようなことがあって、類似の状況として、特に虐められていたというわけではないにせよ、とても自分が情けないと思うような状況に置かれると同じように非常に悲しくなって、ついつい「笑顔」になってしまう、という点は同じなのかなと思うのです。

ちなみに、当時、会に誘ってくれた男の同期から「私が(本命の方ではなく)別の方の二人を好きなのか」と勘違いされたのですが、私がこうして悲しい笑顔をしていたからでした。悲しい笑顔でも、傍目には「好き」の笑顔に見えたりするようです。

似たようなお話で、マザコンは一般的には母ベッタリの気持ち悪い男として理解されていまけど、おそらくそれは同じ文脈で理解できて、母との関係の間に(母からの)虐めがあることが基本にあって、母親ですから情がありつつも虐められているのでかなりの部分で子供としてはかなり極限まで悲しいから表面上は笑顔でいて仲が良いように見えるのかなと思うわけです。そのいびつな愛情が故にマザコンは気持ち悪く周囲から見えるのではないかと思うのです。子供は母から虐待に近い虐めを受ける一方で、母の思い通りになってさえいれば一応の愛情は受けることができますので愛情も一応はあって、それでいて、子供からしたら母親に見捨てられそうになっていて悲しくて精神が崩壊しそうになりつつも、その悲しい感情が自分の精神を崩壊させてしまわないよう「悲しい笑顔」をしていて、でも、傍目にはそれは悲しい笑顔のようには見えなくて単純に「好き」の笑顔に見えて、それを見た母親はその笑顔に喜んで、子供の方からしても、母親が自分のことを見てくれている、母親が自分を見捨てないでいてくれることに対して歪んだ喜びを感じるというような状況、それがマザコンのようにも思うのです。マザコンは世間で言われているように「母のことが好き」な状態というよりは精神が壊れている病気の状態のように思うのです(あくまでも個人的な意見です)。

また、マザコン状態で母から精神が縛られている場合には、「興味を持っている女性に視線が定期的に向いてそれっぽい態度を取るが、母からの許可がないので行動できない。母からの反応が怖くて母に話すことができない」という異常な状態になります。一般的に言われているように、マザコン男は最低で、マザコン男の相手はしない方が良いわけです。マザコン男と付き合おうとしても時間がかかったり結局誘われなかったり、母の束縛を解くのに時間がかかったり、はたまた、母に変わって彼女から束縛されたいという歪んだ欲望を叶えようとしてきますから女性も苦労しますし、結局、そんな恋は上手くいかないのです。マザコンは精神の病なのですから、まず病気を治療してからでないと恋愛は難しいと思います。

おそらくこれは必ずしも母親と男の子供の間で起こるわけではなくて、母親と女の子との間でも似たような状況は起こるように思います。母親と女の子との間の依存関係も意外にマザコンと似ているのではないかと今なら思うのですけど、私は男ですのでこの女の子のパターンに関してはあくまでも推測になります。男にせよ、女にせよ、親の束縛を受けている子供は自分のやりたいことができず、良い子の場合は親に合わせてマザコンになるか親と一緒にいる依存性の女の子になったり、あるいは、子供が親や人生から逃げて引きこもりになることもあるように思います。その時、ある程度の愛情を最初から知っている人なら「悲しい笑顔」になるように思うのです。愛情を知らない子供の場合はそのような「悲しい笑顔」にならず、ただ単に引きこもったり怒り狂ったり暴力を振るうように思うのです。愛情を知らなければ学校においても「悲しい笑顔」なんていう周囲から理解するのが難しい状態にならず、ただ単純にわかりやすく束縛を離れるために暴力を振るったりするように思います。子供にもともと暴力の素養がある場合には「悲しい笑顔」にあまりならないように思うのです。子供がおかしくなるのは、おそらくは、親の虐めが最初にあるように思うのですが、親に虐められたとしても子供に暴力の素養がなければ大人しくして「悲しい笑顔」をしますし、素養があれば親から虐められたときに暴力で仕返しをすることもあるでしょうが、そもそも、親が優しくても子供に暴力の素養があれば暴力を振るうようになるかもしれません。親だけが酷いのか、それとも、親も子供も酷いのか、というパターンで複数に分けることができるように思います。とは言いつつも、子供が時折キレたとしても、酷い親の環境にいたらある程度子供がキレるのは仕方がない面もあるように思います。昨今では子供が暴力を振るったらすぐに隔離されて施設に入れられると言いますけど、親が原因のことも多々あるのに子供だけ隔離させるなど、なかなか可哀想に思います。他の子供への悪影響を避けるためには隔離も理解できなくはないですけど、施設に入れられて人生終了に近い状況になるのは救いがありません。

そして、このような束縛を離れるために反抗期で反抗が可能であればその時期に反抗して子供は自由になりますが、反抗期になるべき時期に両親に強く押さえつけられて精神崩壊してしまうとその後に上記のようにマザコンになって「悲しい笑顔」をするようになり、自由意志を失うように思うのです。母依存の娘になる場合もおそらく同じですかね。その状態で恋愛など不可能とも言えて、恋愛するのに母の意見を聞いたりデートに母が口を出したり付いてきたり、母が良いと言った相手なら付き合うなんていう気持ち悪い状況はこのような母の束縛と精神の病が原因であるように思えるのです。世間で言われているようにマザコン男とか母に依存している女には関わらない方が良いと思うのです。母が相手を気に入れば子供は結婚できますが、気に入らないと無理なわけです。

他には、私の身近な例で言いますと、父方の祖母とその娘(私から見ると従兄弟のおばさん)の間柄がおそらくそれで、父方の祖母と祖父がその娘をおかしいくらい溺愛していて祖父と祖母はお金をその娘にばかり使い込んでいて私の家族の方からは搾取される一方でした。

そのように、これを基本形として捉えると各種の不思議な状況もよく理解できるわけです。

今から思えば、どうして私の家族が父方の祖母と祖父からそこまで可愛がられないのかがよくわかります。基本的に、祖母にせよ祖父にせよ父にせよ、割と同じパターンで理解できるのです。表面上は「不道徳な人」として今まで理解してきて「不道徳な人とは付き合ってはいけない」という文脈で父方の祖父と祖母を今まで理解してきたわけですけど、それよりも、今回の文脈に沿って、祖父と祖母はその娘(私から見ると叔母)を束縛してコントロールできているから可愛いのです。父は一見すると自由人でしたがそれは自分が自由という意味で、父はその両親(私から見ると祖父と祖母)からは自由でいましたから、そうであればもちろん、コントロールできないわけですから祖父と祖母からしたら父は可愛くないわけです。それは当然であると言えます。父は自分は自由人であるのにも関わらず自分の子供、それは私に対しては束縛をしてきましたから、これまた同じ文脈で理解できて、父は束縛している限りにおいて子供が可愛いのです。父にせよ母にせよ、祖父にせよ祖母にせよ、同じ文脈、「束縛できている限りにおいては可愛い」という法則が成り立つわけです。この理解はとてもスッキリしますし、ただ単に「不道徳な人とは付き合ってはいけない」という理解よりも深い理解なわけです。ですから、1世代ごとあるいは兄妹など割と交互にそれは現れて、父と祖父・祖母の間が疎遠ならば父と子供(私)の間が束縛の関係、というように、束縛される関係、あるいは、離れる関係、というように「束縛できるから可愛い」と「束縛できないから可愛くない」が交互に現れるように思うのです。私の場合、最初は父から多少は可愛がられてはいたと思いますが、私が父からの束縛から離れたら急にそっけなくなって、実家に帰ってもあまり話さなくなりました。まあ、束縛の愛なんてそんなものだと思います。

母の束縛というのは、直接的に虐めたり指示するだけではなく、子が母の望まない行動を取ったり取ろうとするとヒステリーになって喚き散らし、しいては急にそっけない態度を取り始めて興味を失い、「もう勝手にしろ」と言って不貞腐れ、返事もしないようになり、それでいて母は鬱のようになって悶々として子に対する怒りと憎しみを募らせて呪いにまで発展しそうになります。その呪いが積もり積もってやがては自分に降り注ぐことを感じ取った子は恐ろしくなって、その呪いに屈するが如く、「私が悪かった」と観念し、母の言う通りにする、あるいは、なるべく努力するように改心すると母は多少機嫌を良くし、「ほらみろ、母が正しいでしょ」と言うような勘違い発言で自身の決断と行動を肯定するのです。その後も母は鬱とイラつきを繰り返して子供を悩ませます。母に怒られるだけならともかく呪われてはたまらないと、仕方なく子供は母に従い、やがて、思考力を失ってゆき、そして「(母にとって)良い子」が出来上がるわけです。それがマザコン男だったり母べったり女だったりするわけです。これは母の呪いでもありますが、病気なのはむしろ母なわけです。しかし一般的には子がおかしいと見られ、子は悩みますが、子を呪うような母など放っておけば良いのです。あるいは、大学卒業するまで授業料だけ出してもらってあとはスルーするくらいでもいいと思うのです。こういうことを表立って言うと「親のことをそんなふうに言うなんて、なんて酷い子供なんだ」と思われるかもしれないですけど、明らかにこの場合は親の方が悪いのです。私も長年、道徳的風習と同調圧力によりこのような声を出せずにいました。私が悪いものかとずっと思い込まされてきましたけど、どう考えても私は悪くはないのです。子を呪って行動を制限して鬱になったりするような親など最低限の社交辞令の付き合いで十分だと思います。


▪️ マザコンは母による子への虐待である

マザコンは男の問題であるのはそうなのですけど、むしろ母の問題であり、母による子への虐待であるということが広く認知・理解される社会になれば良いなと思います。少なくとも姑問題で嫁いじりが問題にはなってきましたけど、実のところ根は同じで、姑が嫁を束縛することに対して抵抗が許されるのに、母が子を束縛することに対して抵抗が今だに許されない状況にあります。母の束縛とヒステリーにより母に何も抵抗できない子供はかなり多いと思うのです。そのような子供を解放しなければ結婚も増えないし子供も増えないわけで、実のところ、母の束縛が少子化の要因の1つになっているようにも思うのです。これは、特に多くの母にとっては自分のこととして理解しにくいかもしれないですが、子供が結婚しない、恋愛できない原因が母にあるわけで、しかもそれは母の虐待であるわけですから、本人はそれが躾だとしか思っていないでしょうから虐待と言われても否定するでしょうし、実際、私の母が私の頭を執拗に強く叩いたり食事を与えない状況に対して私の同級生の両親から虐待だと指摘されても母はそれを躾だと弁明していましたから、その事実を受け入れ難いのも仕方がないかもしれません。ですが、母がどのように弁明しようが、それは虐待なのです。執拗に頻繁に叩けばもちろん虐待ですし、(世間的にはそこまで認知されていないとは思いますが)頻繁にヒステリーと怒りで行動を制限してきても姑いびりと同じで(母から子への)虐待と判断できると個人的には思います。

そのような束縛の状態が長く続くと子供の自由意志はなくなって、最初は「悲しさ」がある笑顔でしたがやがて慣れてしまい、その感情が普通になって、「悲しさ」が一見すると表からは消えていって、ただ笑顔のような状態だけが残ってしまい、普通の笑顔と見分けがつかなくなるのです。これは、状況を理解するのが難しいかもしれません。悲しさというのは「拒否」された時に現れますが、拒否されずにずっと相手(母など)の望むように行動していればそのように拒否されることはほとんどなくなり、母の言う通りに動いている限りは拒否されずに「笑顔」だけでいられるのです。そうして、一見すると笑顔である子供が実のところ精神が病んでいて、それが外からは見分けがつかない、と言う状況になっていたりするわけです。

ですから、この種の「悲しい笑顔」に気付けるのは過渡期だけで、安定してしまって子供が母の思い通りに動くようになってしまうと「笑顔」しか残らないので、気付くことが難しいように思います。母からすると「いい子」に見えるので、過渡期を過ぎると子の心の闇に気がつくのが難しくなるわけです。

母は他人を束縛するほど精神が幼くて、子供は「悲しみ」が生じるほど繊細ということは、魂の年齢で言えば子供の方が成熟しているとも言えるわけで、このような場合、肉体の年齢で言うと母がもちろん上ですけど、魂の年齢、魂の成熟度からしたら子供の方が遥かに上なのかもしれません。であれば、魂の幼い母が魂の成熟している子供の気持ちを理解することはほとんど不可能なようにも思います。


▪️ 母による強制を克服する

振り返ると、T大生の子たちとの食事会においても最初は悲しさがあったのですけど、どうせ相手にされないわけだし(と、自己肯定感の低さから勝手に判断して)、だけど時間もあるし、せっかくだからもてなそう、と思って相手が望むように振る舞っていたら私から(悲しい)笑顔だけが見えて、一見すると(本命ではない)2人のことが好きで笑顔でいるかのように見えていたのかなとも思いますが、実のところ、もう既に悲しさを通り抜けてしまっていたのでそのように見えたと思うのです。最初の10分か15分くらいは「悲しい笑顔」をしていたかと思いますが、やがて感情を失って、感情を失いつつも顔は「笑顔」で・・・ というと矛盾しているように聞こえてしまうかもしれませんけど、精神が崩壊して感情を失っているからこそ、自然と無意識に生物的反応によって「笑顔」が出てしまっていたわけです。精神崩壊していたり崩壊しかける状態における笑顔、とも言えるかもしれません。実のところ、既に母との関係においてこの種の「どうでも良い、悲しい」時の「笑顔」は幾度となく作り上げられていましたので、いつものパターンに当てはまって、どこかガチャピンのような悲しい(一見すると悲しく見えないかもしれないですが)笑顔を作っていたのです。そしてそれは多分に相手を勘違いさせたりしますけど、実のところ、本当には笑ってはいない、実のところ悲しいわけです。このような複雑な気持ちは、多分にして、相手の女性からは「めんどくさい人」として捉えられるようで、あまり相手にされることはなく、実際、母からの束縛のあるような男に女は近づくべきではないと思いますので、多くの女性の直感は正しいのだと思います。

このようなところを通り抜けて、理由がなくてもただ幸せ、という恒常的な至福を瞑想やスピリチュアルで長年追い求めてきたように思うのです。

また、この種の母からの強制・マザコンは道徳や世間体にも暗い影を投げかけるのですが、日本人であれば恥の感覚を教えられて「恥じることないように」と言うことを少なからず教えられるわけですけど、母からの束縛を受けている子供の場合、恥の感覚よりも母の束縛から離れることを優先します。例えば道徳的に良くないとされているテストの不正ですとか不健全な性の形ですとか、あるいは、テストにあえて落第して親の期待に対して幻滅させようとします。はたまた、急に海外の長期旅行に出かけて母が望むキャリアから外れることで母を幻滅させたりします。実際、母の束縛がなければそのような行動を取らないような人であっても、母からの束縛を逃れるというその1点のために極端な行動を取って母を幻滅させるのです。道徳や世間体に泥を塗られた母は怒り狂い、得てして「ダメな子」扱いして幻滅しますけど、そうして幻滅して初めて子供に向き合うことができる可能性がある、と言うことを子供の方はよくわかっていますので、まずは母に幻滅してもらうために子供は自分の貴重な時間を長期に渡って無駄にするわけです。その後、母が自分(子供)を捨てるかもしれず、そのリスクはあってもあえて母を幻滅させるのです。本来は子供だけであればすることのなかったであろう愚かな行動を意図的あるいは無意識的に行うことで母の束縛から逃れようとするわけです。その程度は母の束縛がどの程度強いかに比例するように思えて、束縛が強ければ強いほど極端な行動に出るように思います。母に言葉で言っても理解してもらえず、いきなり極端な行動に出なければ母の束縛から離れられないのですから、もう、子供からすればそれが最後の手段だったりします。それが愚かな方向に極端に向かうこともあれば、優秀な人は良い方向に極端に振れたりします。私の知っているとある優秀な人は、おそらくは両親から同じようにかつて束縛されていて最初は親の言う通り銀行に入ったのですけど本当は国連に行きたくて、でも国連に行くためには実務経験や資格が必要で、大学卒業後にそちらに行きたかったのですけれどもその道のりはなかなか難しいので最初は親の期待通りに銀行に入ったけれども銀行で幻滅し、結局は銀行を割とすぐに辞めて親をある意味幻滅させ、その後、本来やりたかった国連に向けて海外の現地採用で経験を積み、難しい資格も取って、更には追加で外国の大学院に行き、その後、見事、国連に就職していました。おそらくは両親からの束縛もあったのかと思いますが、親を幻滅させるにしても、本当に優秀な人は親の期待を超えてくるということだと思います。そこまで行かなくても、あえて失敗して親を幻滅させることで束縛から逃れる、というのはよくある話だと思うわけです。ちなみに、この優秀な男はその後LGBTを公言したのですけど、私から言わせれば、それはメンタルが束縛されているからそう感じるだけで、オーラは明らかに男ですので、メンタルの問題が解消すれば肉体通りの性に彼は戻ると勝手に思っていますので、特に本人にそれを言うわけではないですけど、どうなるか経過観察しているところです。メンタルの不調は性自覚にも結びついていて、自分がLGBTと判断したとしても、実のところ、それは両親からの束縛により性の目覚めが遅れているだけの場合も多々あるように思うのです。


▪️ 戦争に負けそうになり悲しすぎて笑顔になる人がいたのではないか

補足と言いますか、余談としては、第二次世界大戦末期、おそらくは悲しすぎるので笑顔になっていた人が一定数はいたと思うのです。

私の祖母が戦争の初期にトラック諸島へ看護婦として赴任しており、当初は良かったが次第に戦況が悪化して祖母が帰った船の後はみんな沈められてしまって、良い時に行ってギリギリ帰ってきたと言っていましたが、楽しい思い出もあったようで、私としては当時それを聞いた時は単純に楽しかったのかなと理解していたのですが、おそらくは、悲しすぎて、その悲しみを和らげるための人間の生理機能あるいは防衛反応として笑顔になるのかなと今なら思うのです。

戦況が悪化すると手当するどころではなくて、診療所に担ぎ入れてから横たわらせて、大丈夫ですかと聞くのが精一杯で次々に人が死んでいったと言います。

その筋で行きますと、知覧の特攻平和会館を見学した時も、末期に「ほがらか隊」という部隊がいたり、一見すると普段通りの装いで特攻に行った人たちが描かれておりますが、私は3回ほど見学していて、若い頃に行った時はそのまま単純に笑顔として受け止めていたのですけど、今になって思うに、この種の笑顔というものは単純な笑顔ではなく、悲しみが限界を通り越してしまったからこそ笑顔で微笑むしかない、という種類のものだと思うのです。

昨今、左翼の方々はいろいろなことをおっしゃいますが、おそらく、これら特攻隊のエリートの方々は学もあって、軍人同士のネットワークもありますから戦況もよく分かっていたことと思います。それでも、死ぬしかない状況に置かれた時にはあれこれ言ってもしょうがなく、笑顔になって死ぬ、と、そういうことなのではないかと思うのです。

そこまで行かなくても、現代において人が生きている上で、悲しすぎるからこそ笑顔になる、という場面はあるように思うのです。絶望に打ちひしがれて笑顔になるしかない、という状況の笑顔は単純に見れば笑顔ですが、人の複雑な感情が入り混じった笑顔であり、そうそう見られるものではないと思うのです。

この極限状態の笑顔を体験した人は、一歩、人として成長できるように思うのです。

そして、体験せずとも、多少なりとも、この種の笑顔を理解することで、自分そして他人の感情への理解が深まるように思うのです。

最初は、単純な怒りや憤りも出てくるかもしれません。どうしようもなく打ちひしがれて、怒りや憤りをしたところでどうしようもない、と察した時に、まず、とてつもなく悲しくなります。

戦争の体験を語る人の中で、怒りや憤りを語る人はまだ初期段階で、それを通り過ぎると、悲しくなると思うのです。

そして、悲しみすらを通り過ぎると、やがて、笑顔になるのです。悲しみが耐えきれないほど深まり、悲しみすらも小さいと思えるほどの絶大な失望感に苛まされて、そして、笑顔になるしかない、という状況なわけです。

これを側から見て、単純に「喜んでいる」と思うのは単純すぎるわけですが、人の感情の機知を知らない人は、他人のこの種の感情を理解できないわけで、例えば、おそらくは虐めなどで「だって、あいつ、喜んでいた」とかいう苛めっ子は、この種の悲しみと笑顔の関係を理解できていないと思うのです。

事業が失敗した時に笑顔になるのも同様で、自信が打ち砕かれてお金も失い、悲しさを通り過ぎて、笑顔になるしかない、という状況があるわけです。

失恋もそういうことがあるかもしれなくて、笑顔になるしかないこともあるかもしれません。

笑顔が単純に笑顔として理解される状況というのは実は実生活にはそれほど多くはなくて、単純な人間だけがそのような単純な笑顔をするわけですけれども、複雑な笑顔というのは、それなりに人生経験を積まないと理解できないと思うのです。単純な人間というものは複雑な笑顔を理解できないわけで、複雑な笑顔を理解できるのは複雑な人間のみなわけです。獣のような野蛮な人間の笑顔というのはそれ相応ですし、複雑な笑顔というのは例えば芸能で舞台に立つ人というものはそのような複雑な笑顔を表現しようとしているわけですが、それを見る側にもそれなりの素養が必要になってくるわけです。

そのように、人生経験を積んだ、それなりの素養のある人こそがこの種の笑顔を理解できるように思うのです。


▪️ 束縛による愛は帝国主義における皇帝と臣下の関係と同じ

規模は違えども、構造は同じであることがわかります。

・母の子への束縛(による母から子への愛)
・姑の嫁への束縛(による姑の嫁への愛)
・父の子への束縛(による父の子への愛)
・夫の妻への束縛(による夫からの妻への愛)
・妻の夫への束縛(による妻からの夫への愛)
・(帝国主義における)臣下の皇帝への束縛(による皇帝から臣下への愛)

そのいずれも、忠誠を誓っている限りにおいては束縛の愛がある関係であることがわかります。
一方、その内実はというと束縛されている方は従順になっているか、はたまた、反逆を目論んでいたりして緊張関係があるわけです。

忠誠がなければ憎しみに変わる点においても共通です。

例えば、指示に従わない嫁を姑は敵視します。
言うことを聞かない子供を(束縛する系の)母や父は憎しみを持って接します。
束縛する系の夫は妻が言うことを聞かないと憎悪の念を膨らませます。
尻に敷く系の束縛系妻は夫が言うことを聞かないとヒステリーになります。

いずれも同じ構造をしているわけです。

はたまた、完全に精神が奴隷になっている場合は「悲しい笑顔」をしてかろうじて精神崩壊を防ぎつつ一見楽しそうに暮らしている点も同様です。


▪️ 辛すぎることがあるとすぐに記憶を失う

思えば、幼稚園の頃に虐めにあって悲しすぎて笑顔でいるしかなかった時、はたまた、小学校の時に男のくせに執拗に陰険にネチネチと女みたいに同級生からしつこく嫌がらせを受けた時、その時、割と早い段階で記憶を失っていたように思うのです。早い時にはその日の夜に寝ると同時に記憶を失っていて、前日にその同級生から虐めを受けたり、はたまた、激しく口論したりやり返したことを、割とすぐに忘れて翌日に普通に振る舞っていたように思います。

当時は、自分のことを切り替えが早いのか、あるいは、忘れっぽいだけかと思っていましたけど、これは精神を守るための防御機能だと思うのです。特に高校時代は精神崩壊してZガンダムのカミーユのようになったわけですが、それ以前でもその兆候はあって、小学校の頃から前日のことを覚えていない、物忘れが激しい、と言うことが頻繁にあったように思うのです。ただ、学校の勉強では教科書を丸暗記とかしていましたので記憶力それ自体はそこまで悪くなかったように思うのですが、辛いことはすぐに忘れていました。

時には、先日喧嘩した友人に以前のように気軽に話しかけて、自分は昨日のことを全然あるいは微かにしか覚えていなくて、友人はまだ怒っている・・・ と言うこともありました。実のところ、その友人は友人というほどでもなくただの同級生なわけですけど、良かった時の記憶だけが残っていて、悪かった記憶はどんどんと忘れてしまうのです。執拗に虐めを受けて、それは辛かったわけですけれども、私がすぐに忘れるものですから同級生や近所の同級生などの苛めっ子はニヤニヤして私をカモにしてネチネチと、男のくせに女のように気持ち悪く虐めてきていたのです。世の中にあそこまで気持ちの悪い男がいるのかと思うくらい信じられないほど気持ち悪いのです。

ですが、もはや、私を虐めてきた人の顔はうっすらとは覚えていますけど顔はほとんど出てこなくて、名前は早急に忘れてしまって、「そんな人いたかなぁ?」と思うくらいです。これは、人間の防御機能だと思うのです。

こと、私を虐めていた人に関しては、ほんとどうでも良いことらしく、記憶からバッサリ消えてしまっています。記憶からここまですっかり消えていて、トラウマにもならず、フラッシュバックも起こらず、思い出そうと思っても思い出せないのです。覚えている価値のあることは今でも覚えていますし、治すべきこと、あるいは、何かキーとなる出来事に対してはふと思い出したり、はたまた、トラウマとなってフラッシュバックが浮かび上がってきていたわけですけど、私を虐めてきた人の記憶はほとんど残っていないのです。もう幼少期の友人との繋がりは少ないので確認はしていないのですけど、タイムラインが書き変わってそれらの辛い過去は苛めっ子もろとも消えてしまったのでは・・・ と思えるくらい全く記憶に残っていないのです。いくら思い出そうとしても思い出せないので、きっと、虐めというのは思い出す必要もないほどくだらなくて意味のない、記憶している価値もないことなのだと思います。

だからと言って、私が執拗に虐めを受けていたことは事実なわけですが、人の防御機能により、顔も名前もその発言もすっかり記憶からさっぱりと消えてしまっているのです。となれば、高校時代にカミーユのような精神崩壊になる以前であっても小学校の頃からその兆候はあったと言えるのです。