自分なら分かる筈、という傲慢さを克服する

2023-01-03 記載
トピック:スピリチュアル: 呪いとトラウマ

スピリチュアルには多少ながらの傲慢さがつきもので、それは乗り越える必要がありますが、関わらないで済むならそれに越したことはないのです。ただ、他人との繋がりにおける傲慢さであれば避けることがそれなりにできますけれど、自分自身に対する傲慢さというものはなかなか気づきにくいものです。

それなりのところに達するまでは傲慢さというのは残るわけですけれども、「自分なら分かる筈」という傲慢さは知的な人々にとってかなりの落とし穴になったりするわけです。自分はスピリチュアル的に優れていると考えたり、スピリチュアルの素質があると考えたりすると、自分がまだ至っていない境地に対してそのままの状態を受け入れることができずに、その傲慢さゆえに理屈をこねて自己肯定してしまうことがよくあるわけです。そして、そのような言い訳や自己肯定というのはとても巧妙な理屈で成り立っているために、自分だけでなく、他人をも巻き込んで理屈をこねて巧妙な論理の世界を構築してしまうわけです。

実のところ、本当のところを言ってしまえばその人がまだ次の段階の境地に達していない、というだけのお話であるのに、何故か、理屈の上ではわかったかのような気持ちにさせてしまい、それ故に成長が止まってしまう、というようなことがよく起こります。

スピリチュアルというのは本来、物事をありのままに見ることが基本であり、自分の状態にしても出来ていること出来ていないこと、まだ達していない境地、もう達した境地、というものを正確に見極める必要があるわけです。

しかしながら、スピリチュアルな傲慢さによって自分の状態をありのままに見ることができなくなり、あたかも自分がわかっているかのような錯覚をマインド(思考する心、ヨーガで言うところのチッタ、思考する道具、記憶)が作り上げてしまうのです。

このようなものは全て幻想であり、克服しなくてはならないものです。そしてそれは自分自身で気づいていくしかない筈ですが、時に、強烈なショックと共に気付かされる時もあります。

ではどうすれば良いのかというと、おそらくスピリチュアルが誰しも知っている基本を貫くことでそのような理屈と幻想を突き破ることができます。

基本は集中、そして歓喜、静寂、そして至福、ワンネスに至ります。そうしたらもはや理屈をマインドでこねることなく、ワンネスの側から物事を理解するようになり、マインドはワンネスを説明する道具になります。マインドが自己正当化するから成長が阻害されるわけですけど、ワンネスの側が主体になってマインドを使役することで全く違った表現になるわけです。これは単なる理屈だけのお話ではなくて、実際にそうなることができる、というお話なわけです。

具体的には、宗教や流派の教義・ドグマというものを克服しなくてはならないわけです。教えられる教説、それ自体はある程度の真実を含んでいたりもするのですが、自分が直に上の波動階層に上がって得られる直接的な理解はそのような言葉での理屈での理解を超えているわけで、最終的に得るべきは直接的な理解であるわけですけど、大抵の場合は教義の理解をそのまま正確に行えばそれで悟りは得られたかのように語る人がとても多いわけです。教義を理解しさえすれば自分はそれで十分悟りを得ているかのように勘違いをすることが頻繁にあって、そのような勘違いは自分の内にある傲慢さが原因である訳ですが、「私は分かっている筈」などと、分かってもいないものに対して分かったふりをして自分を騙してしまうことがある訳です。そして、自分を騙すだけでなく周囲をも巻き込んでまるで聖者かのような振る舞いをし始め、大衆を扇動するようになってしまうのです。

言葉での教義は学びによって語彙や表現を増やすことができて、かなりそれっぽい理屈を喋る流派もあるように思います。ですから、それぞれの論説に関しては、それぞれ真実の一面を示していると思われます。

しかしながら、本当にワンネスに達したのであれば全ての人々が(本人が気づいていないだけで)実は既に悟りを得ていて自分が何も特別ではないことに気づく訳ですから、そうなれば、教説や扇動などできるはずがないのです。ですから、自分は悟りを得たとか言っている人がいたら基本的にはそのような人は眉唾であるわけです。

あるいは、流派によっては「貴方は自分で思っているほどスピリチュアルで成長していなくてまだまだ初心者だ」と思い込ませるようなところもありますけど、これはこれで間違っていて、実のところ、特に日本人は生まれながらにしてスピリチュアルのレベルがそれなりに高い人たちですので、初心者だと思い込ませるのもかなりの部分で間違っているわけです。この場合、実のところグルのレベルがそこまで高くなくて「自分がわからない境地なのだから、弟子に分かるはずがない」というグル自身の傲慢さによってそのように言っていたりもします。そして、長く弟子をしている人たちが自分たちの立場を正当化させるために「皆はまだ初心者」と伝えてヒエラルキーを作っていたりします。これも歪んだ形です。他人からそのような価値観を植え付けられそうになっても拒否して「ありのあまま」を認識し続けることで成長してゆきます。

流派よって様々に歪みがあって、言葉ではそれぞれ多少の真実を含んでいたりもしますけど、実のところ、根本のところはそんなに難しいお話ではなくて、途中で突っかかってしまって成長が止まってしまうとマインド(思考する心)が理屈をこねて自己正当化して自分を騙して成長を更に阻害してしまうというパターンがそこにあります。エゴ(自我)は無くしてしまった方がスッキリするのに、未だ残っているエゴが抵抗して自己正当化しているわけですね。流派によっていろいろなことを言っているので違ったように見えてしまいますけど、このパターンは同じなわけです。

そして、それを乗り越えるためには、ワンネスに実際に到達すれば良いわけです。