静寂の境地が3段階くらい深まる

2022-12-05 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

思えばかなり前の最初は「斑点模様」と言っても良い静寂の境地で、一応は静寂の境地ではあるものの、瞑想が終わると割とすぐに元に戻っていたように思います。それが次第に安定してきて2段階目の静寂の境地になり、そのくらいになると基本の普段の生活が「真鱈模様の静寂の境地」になって瞑想後の静寂の境地はその真鱈がまだあるものの斑点が小さくなったような感じでした。

最近は3段階目、あるいは4段階目くらいになってきていて、斑点はほとんど見えないか(感じられないか)、あるいは最初はちょっと細かな斑点がある気がしても瞑想をすると斑点がほとんどない静寂の境地になってきたように思います。

この「まだら」というのは主観の感覚によるもので、なんとなくそんな気がするというくらいのお話でありますけど、他人と比較はできないものの自分の中の感覚の基準の一つになっております。

瞑想は座った瞑想だけが目的ではなくて日常生活にまで瞑想が広がることが必要でありますので、静寂の境地であったとしても日常に広げていく方が良いわけです。それは少しづつの瞑想の深まりと共に日常に広がっていくわけですけど、それなりに瞑想ができるようになると日々の生活をそれなりの静寂の状態で過ごすことができるようになります。

日常生活をしていると少しづつ静寂から離れていきますので、たとえば、体の周囲に少し「もや」ができた状態になるのですけど、瞑想をすると例えば10分とか経った後にその「もや」が不意に急に「ふっ」と取れて静寂が深まります。更に瞑想を続けると頭頂のサハスララにまでオーラ(プラーナ、クンダリーニ)が登って意識がクリアになります。それから更に瞑想を続けていると、例えば、首から下の体の周囲がもう一段クリアになって、その結果、胸の周囲だとか腕の緊張が少し取れてリラックスが深まったりします。更に瞑想を続けていると頭の中の方、後頭部の中の方が緩んできたりします。

そのように、静寂の境地は1つではなくて様々なものがあるわけですけど、順番はそこまで決まっていないですけど、瞑想をすればするほど少しづつ緩んでリラックスしていくわけです。

■ゾーンの歓喜が基礎でやがて静寂に至る

実際のところ、静寂の境地によるリラックスの前段階として集中によるゾーンの歓喜があるわけですけど、まずゾーンの歓喜を徹底して感情を浄化し尽くして、ゾーンが安定してきてようやく静寂の境地に入っていくわけですから、いきなり静寂の境地を目指す必要はなくて、感情が深くうごめいているのであれば静寂の境地よりも仕事や趣味あるいはスポーツなどに集中してゾーンの歓喜に入るのが第一なわけです。

流派によってはいきなり観察だとか静寂を求めていたり教えているところもありますけど(その流派に従うのであれば個人の好きにすればいいとは思うのですが)、いきなり観察だとか静寂というのはなかなか難しい道だと思いますので、それよりも、集中によるゾーンの歓喜をまずは目指した上で、ゾーンの歓喜が安定した上で静寂、というのがスムーズな順番のように思います。その以降にしても、順番を競うものでは全くありませんので、自分が集中瞑想が良いと思えばそれをすればいいだけのお話です。観察が優れていると誰かが言うから観察瞑想をする、などという他人に流されるのは良くなくて、あくまでも自分に合ったものをすれば良いわけです。そういう意味では、私はこのような順番がいいと思っていますけど、本当にそうなのかは自分で確かめてみる必要があるといえばあるわけです。

人によっては最初から基礎があっていきなり静寂、という場合もあるにはあるかと思います。そのような人が立ち上げた流派では集中を教えていなくていきなり観察あるいは静寂が実践されているかもしれませんけど、そういきなり飛び越えたりはできないものです。

物事には順番というものがあって、感情的なものがまだ優勢にある場合は何か仕事などに集中をして感情的な歓喜をもたらし、そのことで自らの感情の部分を浄化してゆくことが肝心です。

そうして、もしかしたら数年に一度、あるいは1年に数回、あるいは数ヶ月に1回、などと最初は時折にしか訪れないゾーンの歓喜であったとしても、そのゾーンの歓喜を続けるうちに毎週、あるいはほぼ毎日ゾーンに入れるようになります。そうこうしているうちに日常の状態がゾーンに近くになります。その状態というのは常に歓喜といえばそうなのですけどやがて歓喜は静まってきて、だんだんと「幸せ」が増えてゆきます。感情的な喜びから、より深い「幸せ」へと変わってゆくわけです。

そうしてやがて「幸せ」が当たり前になった後、更に瞑想などを続けていくとそれが静まってきて「静寂」に至ります。それはまだ完全な悟りではないにしても、かなり幸福が満ちている状態なわけで、日常生活は十分に幸せに過ごすことができるようになります。