意識を物質との結びつきから解き放つ

2022-11-04 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

それは「手放し」と言うこともできますし「執着を捨てる」と言うこともできるとも思います。ここで言う意識というのはアートマンあるいはブラフマンのことで、ヴェーダンタの言うところではこの世界に満遍なく満ちていて、もちろん物質の中にも満ちています。

その、物質と離すことのできない意識であるところのアートマンは文字通りそもそも離れることがができないのですが、ここで言う結びつきから解き放つと言うのは、自我(エゴ)が物質と結びついているのを解き放つと言うことであり、ヴェーダンタで言うところのアヴィディアー(avidyā)、仏教で言うところの無知をなくすと言うことでもあります。

それは、自我(エゴ)と物質との結びつきを解き放つと言うこともあり、一方で、もともと物質から離れていて自由であるアートマンとしての意識が表に出始める、と言うことでもあります。アートマンの意識は普通の人の場合はアヴィディアー(無知)によって覆い隠されている、とは仏教やスピリチュアルあるいはヴェーダンタではよく言われていることですけど、この、無知というのは実際のところ、覆い隠されている、というよりは、結び付いている、という方が正しいと思うのです。

このあたり、仏教では覆い隠す、という説明をしている一方で、ヴェーダンタやスピリチュアルでは両方の説明の仕方があるかむしろ結びつきを切り離すあるいは手放すという説明に重きを置いていると思うのです。

実態としては、結びつき、という方が正しいように思います。確かに現象としては覆い隠す、というように見えるのですが、本当のところは結びつきだと思うのです。

この世の中はまるで現実かのように見える物質世界なわけですが、それはアートマンの意識がこの世界に満ちていて、物質とも深くつながっていて、アートマンの意識が物質と繋がることで自我(エゴ)という実際は存在しない「自分」という意識(自我、ジーヴァとしての意識)が生まれて、その結果、この物質世界をジーヴァが現実だと認識(誤認)しているわけです。

一方で、アートマンとしての意識からするとこの世界は最初からあって、世界は生まれたこともなければなくなることもない、普遍な世界なわけです。アートマンの意識は最初から物質の中に満ちているわけですけど、それは、ジーヴァの意識よりも、もっと自由なわけです。

ジーヴァの意識が錯覚であるところのこの世界との結びつきを解き放つあるいは手放せば、その時は、アートマンの意識が表に出て、自由になれるわけです。それはヴェーダンタで言うところのモクシャ(自由)と言うことでもあります。