瞑想を続けるうちに無念無想の状態が続くようになる

2022-10-22 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

これは意識が全くなくなるわけではなくて、意識はあるのですけど雑念が(あまり)湧き上がってこなくて呼吸や周囲の感覚を認識あるいは感じ取っているだけの状態が続くということです。

深く瞑想に入ることにより、まだ深いところにカルマやトラウマが残っている場合はそれと遭遇するのですけど、それらがそれなりに解消されてきて、深く瞑想に入ってもそれらが瞑想を邪魔することがかなりのところまで減ってきたように思います。

そうは言いましてもゼロではないですけど、座って深い呼吸をして少しづつ息を吐くと、それに応じてすぐに意識が深い瞑想状態になります。

カルマの解消ができてくると深い瞑想状態に入ったりチャクラに集中しても問題が生じなくなる、とはヨーガなどで言われていることですけど、その通りだな、と思います。

この状態の時にハイヤーセルフの能動的な側面としての意識が現れたり現れなかったりして、ただ単に深い瞑想状態に入っただけでは自我(エゴ)が静かにしている、というだけですけど、それを観察しているミドルセルフとも言える中間的な意識があって、そのミドルセルフが自分自身ということなのかもしれません。

一方で、高次の自分であるハイヤーセルフというものもあって、それはそれ自身で意識と意志を持っているわけですけど、一応は理屈としてはハイヤーセルフというのは常にいてなくなることはないわけですけど、それを裏付けるように「感じる」という面においては常にハイヤーセルフの臨在を感じるわけですが、意志という面に関してはハイヤーセルフは割と無口なわけです。

そのように、自我(エゴ)が静かになって、ミドルセルフも観察状態になって、ハイヤーセルフは基本的に無口なわけですけど時々意志を示したり示さなかったりするような状態、それが、それなりに瞑想できているということなのかな、と思います。

これは、ハイヤーセルフに目覚める前の単なる無念無想あるいは単なる静寂の境地などとは違って、ハイヤーセルフの「観察」は現れてはいるものの、ハイヤーセルフの「(能動的な)意思」が動いていない状態です。


■無念無想の特別感のない普段の瞑想状態で過ごす

そのような状態になるとエネルギーも充実してきて、特に私は右手が昔から安定しなくて弱いところですけど、最近は瞑想中に右手を強化することを意図しているわけですが、右手にピリピリと刺激が入りつつ右手のオーラが回復してきたように思います。

意識の静寂さとエネルギーの充実とは関係があって、雑念やトラウマなどにエネルギーを取られていると体のオーラ(のエネルギー)が減っていきますので、無念無想の状態でいるとエネルギーも充実してくるわけです。

この無念無想は瞑想がある程度の段階に至ったということではありますけど、そうは言いましてもそれはそれで(次の段階の)瞑想の基礎であるとも言えて、この無念無想を基礎としつつも、まだハイヤーセルフの意識は「観察」の側面が強くて、ハイヤーセルフの能動的な「働きかける」という側面の意識が十分に出てこられるまで瞑想が進んでいないようにも思います。

やり方は色々あって、瞑想の手法を学ぶなどして一時的にハイヤーセルフの意識を表に出す、という手法は世の中に修行や秘術的あるいは魔術的なものが多くあるわけですけど、私の求めているものは一時的な術ではなくて恒久的な日常における瞑想状態としてのハイヤーセルフの臨在ですので瞑想を続けることでその瞑想が日常生活に続くことを意図していて、今のところ、このような瞑想状態が日常生活にまで広がりつつありますので少しづつ目指す方向に進んでいると言えて、無念無想はそのような目的における基礎であると思うのです。

言葉の表現としてはそれなりに前からこのような状態になってきてはいたわけで、文字を読んだだけでは似たように思えるかもしれませんけど、違うのは「自然さ」と「特別感」で、以前は特別な状態のような気がしてきていてその特殊な瞑想状態に遷移した、という感じでしたが、今は割と日常生活に溶け込んでいて「自然」で、特別感もほとんどなくて、それでいて状態としては同じように感じますので、安定してきたのかなと思います。その安定感は割と「観察」の側面が強いわけですけれども、これからは少しずつ能動的な側面が強くなる気がしております。