人生は一度きり、というのはある意味正しい

2022-08-15 記載
トピック:スピリチュアル: 輪廻転生

いわゆる魂は継続して、経験も愛も記憶も肉体の死で消えたりはしないのですけど、それでも、人生は一度きりというのはある意味正しいと言うこともできます。

転生パターンは2つあるわけですけど、魂(幽体)がそのまま再度転生する場合は昇天できなくて人生やり直しになるということもできて、そうでなくて人生を往生して昇天する場合はグループソウルの中に溶け込みますので、今生きている個性と記憶と経験を持った「私」という存在は今回の人生一度っきりと言えばそれはそうなのです。

グループソウルにまで視点を広げれば人生は何度もあると言えばそうなのですけど、グループソウルから分霊を作って個として生きている私という存在に関して言えば、コアが同じ場合はそれなりに似ることはありますけど、全く同じ個人という意味においては人生は基本的に一度きりなわけです。

昇天できなくて人生をループしている場合もありますので、この場合、個性も含めて同じような個としての転生があります。ただし、それは誉められたものではなくて、1人の人生ゲームであらかじめ自分で設定した目標をクリアできなくて、いわば卒業試験に受からなくて昇天できずに人生の輪廻転生ループに入ってしまっているのです。

■2つの輪廻転生のループ(苦しみのループと知識のループ)

仏教やインドのヒンドゥ教あるいはヴェーダでは輪廻転生のループから抜け出して自由(モクシャ)あるいは悟りを得ることが重要視されていますけど、輪廻転生のループをしている場合というのは人生に満足できていなくて人生の目的を達成できなくて人生やり直しをしているということなわけです。

ですから、仏教やヴェーダで自由(モクシャ)や悟りを得た場合に行き着くのは昇天及びグループソウルとの合流で、それは一応は「輪廻転生の終焉」と言えばそれはそうなのですけど、それは個として人生ゲームを卒業できないでループに陥っているところからの脱出としての意味合いしかなくて、もっと大きな視点が描けていないのです。

もう1つ大きな輪廻転生のループがあって、グループソウルが目的に即して分霊を作って人生を送る、というループがあります。これは卒業がないと言っても良く、このグループソウルのループが終わる時は宇宙が全てを学び終わって宇宙が不要になる時と言っても良いくらい長く永遠に近い月日を必要としますので、人間の意識からするとこのループの終焉など考える必要がないくらい永遠に近いわけです。

そのように、グループソウルとしての輪廻転生には終わりがなくて、それは普通の人間が苦しみのうちに輪廻転生ループしているのと違って、グループソウルの分霊及び輪廻転生というのは全て「学び」のために行われている、という違いがあります。

仏教やヴェーダで輪廻転生のループから抜け出す、というお話は欲望だとか苦しみだとか執着だとか、現世的な苦しみから抜け出してループから抜けるというお話であるわけです。

それはそれであって、一方、グループソウルとしてはそれよりも一つ上の階層に視点があって、グループソウルの視点というのは「知識」「探求」「意識」であるわけです。意識することで探求し、知識を得るのです。そして、そのために分霊を作り出して探求したりします。