奉仕活動がそもそも不要な社会を目指す(同テーマ&時系列の前記事)
(同テーマ&時系列の次記事)スピリチュアルな奉仕活動

奉仕の気持ちが高まってくる

2022-08-05
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

スピリチュアルにおいて奉仕は大切とはよく言われますけど、私の場合、それなりに瞑想とサマーディ(三昧)が高まって愛と感謝が溢れてくるまでは奉仕というのは腑に落ちないでいました。頭で考えて奉仕が大切というのは分かりましたけど、奉仕がそこまで重要だとは昔は考えていなかったのです。

と、言いますのも、私にとって奉仕はある種のトラウマで、若い頃に環境活動やNGO活動で5年ほど色々と関わったことがあるのですけど、その際に、環境活動やNGO活動を自尊心(プライド)の糧にしていたり、影響力を高めるための手段としていたり、他人を無料(ボランティア)で動かそうとする単なるズルい手段と化していたり、行動する人が偉いというヒエラルキーで動いている団体があったりしてそう言う団体を見て馬鹿馬鹿しく感じたり、環境を理由にして他人をコントロールしようとする滑稽な人が割と大勢いたり、自分は大排気量のベンツなどの車に乗って贅沢な暮らしをして別荘によく通ったりしている一方でいつも他人に対しては環境を説いているような行動と言葉が一致していない人がいたり、環境を理由に単にものを売りたいだけの人がいたりして、奉仕活動というのは偽善の塊だと理解してその後は一切、環境活動やNGO、NPOには関わり合いを持ちたくないと思うに至ったからです。

単に搾取のためだけに環境だとかNGO、NPOとか言う言葉を使って、他人のやる気を糧に「やりがい搾取」をして若者を使い捨てにしている構図がそこにあったわけです。そのためにダシにされている発展途上国のスラムだとか貧しい人だとか障害を持った人は、ボランティアでやってくる純粋な人を一定期間の間だけ使った後に捨てて、ボランティアが幻滅したら辞めてもらって次の人に取り替える、と言う形態を、本人たちは「そうではない」と自分に言い聞かせることで自分を騙しつつ活動し、ふと目が覚めて「何やっていたんだろう、私」と幻滅して去ってゆく、と言う人を多く見ました。私も割とその一人だったわけですけど、そのようなことがありましたので、奉仕活動というのは関わってはいけない、というトラウマに近いものがずっとありました。

しかし、割とトラウマも解消してきてそのようなことも記憶の1つになって、更に、ここに来て瞑想も高まってサマーディ(三昧)が高まった今、奉仕という気持ちの割合が高まってきています。かと言って、よく世間にあるような「分かりやすい」形での奉仕活動というものには上記のようなこともあって結びついてはいないのですけど、気持ちの面で、もっと違った形での奉仕の形を模索しています。

(続きます)



奉仕活動がそもそも不要な社会を目指す(同テーマ&時系列の前記事)
(同テーマ&時系列の次記事)スピリチュアルな奉仕活動