密儀参入は何故秘密にされるのが

2022-04-16 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

密儀参入は今はほとんどなくて、あっても効果がないことが多いように思います。本人はそのつもりがなくても、割と儀式というのは儀礼的になってしまうものです。

この種の儀式は本来は儀式というよりも融合としての面が多く、本人は儀式だったり自分の精神的な成長のつもりだったとしても、実際に効果があるには融合としての面が出てくるわけです。その時、融合ということは相手がいてお互いの同意がかるのが基本で、融合には双方の同意がなければ儀式はうまくいかないものです。

実際のところ、この種の儀式は割と魂のグループが同じ体を共有して経験と知識を交換するために行っているという面もあって、魂のグループが違うと儀式が一応は行われても魂のグループの方から拒否されて、一見するとうまく儀式が行われたように見えたとしても何も変わらない、ということも普通に起こります。

そもそも魂のある種の融合は結婚みたいなもので相性もあって、良し悪しというよりは好みの面が強いわけです。ですから、特定のグループでうまくいかなくても気にすることはなくて、うまくいくグループでやっていけばいいわけです。

それはある種、魂の一部の融合であって、大元になっている光の魂、いわゆるグループソウルからその一部の光、いわゆる分霊の光が降りてきて密儀参入者の魂と融合するのです。

そうなれば、ドラゴンボールのピッコロのように二人が一つになり、その割合としてはそれぞれですけど、実際にはピッコロの融合のようにあっという間ではなく魂の融合は時間が一年とかもっと時間がかかったりして、少しずつ、前とは違った人格で生まれ変わるように変化してゆくことになるわけです。

とまあ、本来はもともと縁のある魂のグループで行われていたものが、それがあたかも誰しもが可能ですぐに素晴らしくなれるかのように勘違いされてきたという背景があるわけです。

また、本来は融合なのに、過去の過ちとの決別というふうに勘違いしてしまったグループもあります。

一部の流派において行われているような、過去に決別して再誕生する儀式を受けるとかそういうこととは違って、大抵の流派では再誕生とか言ってもそれっぽい気にさせるだけですけど、本当の儀式の場合には魂の融合が伴って本当に新しい人格に生まれ変わるのです。それを真似て儀式にしている流派もあるように思います。

あるいは、なにやら素晴らしいものを与えるかのようなことをして、実際は、弟子たちのカルマを融合させている場合もあったりします。それは割と取り返しのつかないことであるのですが、まあ、知らないだけで取り返しの付かないことがスピリチュアルには沢山ありますのでこれだけの話ではないですが。

また、この種のお話は儀式でするというよりも必然でその人に起こりますから、儀式とか言うと集団内のランクとかに儀式が結びついていて実質を伴わなくても儀式が先行してしまいますけど、起こる人には流派内の地位とは無関係にどんどん変化が起こりますので、本当にスピリチュアルに成長する人は集団内で厄介扱いされたりします。

本当の魂の融合とかは、何も起こらない人には一生無縁で、流派の儀式受けても無縁だったりする方が多くて何も変わらないのが割と普通ですので、まあ、流派内のヒエラルキー作りにしか役立っていない、ということも普通にあります。

そういう意味では、この種の儀式は秘密にするのが必然で、どちらにせよ言っても理解されないし流派では煙たがられるだけですので、本当の同志以外には言わない、という姿勢がこれまで何千年も続いてきました。

最近は少し風潮が変わってスピリチュアルな知識が広まり始めましたけど、まあ、基本はそこまでは変わらない気が致します。

言っても仕方がないと言いますか、結局は魂のグループ次第、出自次第と言うことになればスピリチュアルは修行をしようとする人のやる気を削いでしまうでしょう。

そうは言っても修行を何世代も続ければ成長はして、決して無駄ではないのです。