他人の心の声を聞いたとしても鵜呑みにしない

2022-03-23 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

それは表層でしかなくて、本当のところはかなり踏み込まないとわからないのです。スピリチュアルで多少の浄化ができてきて他人の心が読めるようになってくるとまずおかしがちな失敗として、他人の心それ自体がそのまま真実だと思い込んでしまうことです。実際のところ、その思いとは単なる本人の思い込みだったり更に他の人から刷り込まれたことだったりあるいは単にたまたま当人に浮かび上がってきた縁もゆかりもない想念だったりするわけです。

そもそも想念というものは雲のようにぷかぷかと浮いていてそれをキャッチしてしまうと一瞬そのような思いが浮かんできてしまいますので、キャッチした瞬間にその思いに包まれた誰かさんを見た他人がその思いを読み取ったとしても、その思いが本当に当人のものなのか、あるいは、当人のものであったとしてもその本心というものはなかなかわからないものなのです。

ですから、他人がどう思っているか感受したとしても、早とちりしてすぐに判断はしないことです。様子を見て、その本心がどこにあるのか見極めることです。この辺り、実のところ他人の心を読めるかどうかとはあまり関係がなくて、人生経験が生きてきます。と、言いますか、ぶっちゃけ、他人の心が読めるかどうかに関係なくて人生経験で大半の物事は判断がついたりします。ですから、逆に、心の声を聞けることが判断ミスの要因になってしまったりするわけです。

実際のところ、完全に純粋な人なんてそもそもこの地上に転生していないわけですから、人にはある程度の欲望があってしかりで、それがなければそもそも生活なんて成り立ちませんから、多少の欲求があったとしても許容すべきなわけです。表づらは綺麗事を並べていたとしても裏では利益を求めていたりしますけど、それは程度問題というもので、あまりにも大きな要求をするあるいは期待しているのであればそれは欲が強すぎるということにもなりますけど生きていく上で多少の欲望というものは必要なものです。

この種のお話は、他人の心を読めるようになるくらいの段階ですと他人の心に影響されやすくて、もっと進んでくると愛・慈愛と感謝および奉仕の気持ちが育ってきますのでむしろこちらが与えてあげるくらいの気持ちになるのでもはや影響されることは少なくなってくるのですけど、単に心を読めるだけですと、他人に対して過剰に拒否感が出たり、他人の心を読む度に嫌悪感が湧き起こってきたりするものなわけです。これは、それが悪いと言っているわけではなくて、そんなものですので、あまり気にすることはないと思います。そういう段階だと思って、そんなものだ、と思えば十分なわけです。

愛・慈愛・感謝及び奉仕の気持ちが育ってきたとしてもあまりにも自分勝手な人は避けるべきで、そのように、過剰な要求をしてくるような人、あるいは、心の中で怖いことを考えているような人を避けるにはこの能力は有用になってきます。実際のところは心を読む必要すらなくてオーラの感じから避けていれば十分なことがほとんどですので心を読んでから判断するということは実際には場面としてはそう多くはないと思います。それに、そもそもインスピレーションで何をしたらいいのかあらかじめ降りてきているのであればそれに従っていさえすればそんな直前の間際の判断をする必要にそもそもならないわけで、最後の防波堤としてこの種の心の声が有用になることはあっても、普段は、そもそもそういったトラブルを避けるような形でインスピレーションの導きが効いてきますから、最初からトラブルを避けていさえすればそもそもトラブルになる人との接触がそもそもありませんので、心の声を聞いて判断なんていう状況に追い込まれることは基本的にないわけです。それでも、時折、何がしかの理由があって遭遇することはあっても、心の声というのはなかなか本心が分かりづらいところがありますので、それよりも、インスピレーションの方が頼りになったりします。

心の声というとはっきりした声で聞こえる場合もあれば、感覚として伝わってくる場合もあって、感覚で言葉のイメージが伝わる場合も広義における心の声と言って良いと思います。その場合、インスピレーションと似たような感じで感受されることがあって、あたかもそれが他人の本心かのように印象付けられてしまうことがありますけど、その、インスピレーションに似た感覚を感受したとしてもその広義における心の声すらも上記と同様な法則が成り立って、その、インスピレーションに似た心の声ですら、実のところ、他人の本心とは違っていたりするわけです。

一方で、自分のハイヤーセルフから降りてくる直感のインスピレーションの方が遥かに信用できて、そのような他人からのインスピレーションに近い心の声などは所詮は他人のインスピレーションでしかなくて、それよりは、自分の直感を頼りにした方がいいと思います。慣れないと実際のところどちらも似たように思えたり、あるいは、他人のインスピレーションをその人の本心だと思い込んでしまったりする間違いを犯してしまったりしますけど、そこは人生経験ですかね。そのうち、何が正くてそうでないのかわかってきます。セールスや商談では安全側を取ってそのような変なインスピレーションをする人を丸ごと避けるとかをしてもいいかもしれませんけど、そもそもセールスや商談では多少の利益を求めるのは当然のことで、他人のインスピーレーションで判断するよりは自分の直感(インスピレーション)や人生経験を頼った方がいいと思います。

他人の心を読み取ることは夫婦や仲の良い人の間では普通に行われていることがあって、そのような場面ではとても有用で、あまり言葉を交わさなくても通じ合ったりしますけど、それは、心の声を読み取っているわけです。そのような、信頼できる関係での心の声を読み取ることは簡便さのために有用でその方が楽ですけど、かと言って、それほど知らない他人の心の声から本心を知れるかというとそれはなかなか難しいわけです。

結局、心の声を読み取れるからと言ってもそれがそのまま本心ではなくて、普通の人付き合いと同じように、長い時間をかけて少しづつ信頼関係を構築していくのが基本となりますので、心の声を聞いたとしてもそれは普通に声に出して発する会話と同じくらいに捉えて、その本心を確かめていくという地道な普通のコミュニケーション構築が必要になるのかなと思います。