死後の世界の視界の広さ

2022-02-14 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

死後の世界でどのくらい視野が広いのかはその人の修行の程度によります。スピリチュアル的な成長の度合いに応じて、ほとんど周囲が見えない人もいれば、遠くの遠くまで、地上にまで視野が伸びている人もいます。

割と死後の世界はシビアな世界で、何も見えない人にとっては何もできない世界なわけです。

見えないからと言って何かあるわけでもなくて、単に見えないだけで、自分の周囲にあるものは見えますのでそこまで不自由もせず、見えないからと言って死ぬわけでもなく、割と普通ではあります。

ですから、ちょっと周囲が暗くて微妙に感じるかもしれませんけど、暗いからと言って消滅とかそんなことはないので視野が狭くてもそこまで心配する必要はないのですけど、視野が狭いと、自由度が下がります。

実際のところ、割と視野が狭い人が多いのも事実で、そういう視野が狭い人の場合は親族や友人知人の人たちに割と頼ってあの世を生きていくことになります。

視野が狭い分、他の人を頼るわけですね。

死んだ後、視野が広い人は自分ですぐに移動できて自分が元いたコミュニティのところまで自分で帰って行きますけど、視野が狭い人の場合は暗闇にたたずんでいるだけで、死後に何をしたらいいのかわからなかったりします。そんな時に、先に死んだ夫とか妻が迎えにきてくれると暗闇の中で急に親しい人と接することになり、とても嬉しい気持ちになったりするものです。そうして、スピリチュアル的な成長がそれほどでなくて視野が狭くても、家族と良い関係を築いていれば死後に導いてくれたりします。

特に、スピリチュアル的にそれほど成長していない人ほど家族である自分の夫や妻などを大切にした方がよくて、人生というものはたった一回の人生で終わるものではなくて、関係性というものは来世のみならずあの世にまで繋がるものだということです。

仲の良かった夫婦はあの世でも割と一緒で、そうなると夫婦としてだけではなく、家族としてコミュニティを作ったりします。そうなると、誰かが転生して地上に行った時はあの世で見守っていますし、死んだ時は誰かが迎えに行ってあげたりします。それは何も義務とかルールとかではなくて、単純に、仲の良い人たちだからこそ誰となく自発的に迎えに行ったり、何となく気になって地上の生活を助けてあげる、といった種類のものな訳です。

スピリチュアル的に成長していればそれほど他人に頼らずともあの世を自由に移動できるわけですけれども、そういう人の場合はそもそも敵を作らずに皆と仲良く暮らしますから、別にそれほど頼る必要がなくても他の人が自発的に助けてくれたりしますので、ますます困ることがなくなったりします。

二極化というものはどこにでもあるもので、仲が良くて正確の良い子たちというのは割と集まりますので、どんどんと良い子たちが集まるコミュニティができたりします。

一方で、あまり性格が良くない人は一人でいたりするみたいですけど、私はそういうのにはあまり興味がないのでわかりませんけど、時々、「あれ? 一体、どこから出てきたのだろう?」と思うような人が急にポンっと出てきたりしますので、割と一人でいる人は多いのかもしれません。

あの世ではお互いのコミュニティにあまり干渉しませんから、良い子たちは自分達のコミュニティで毎日笑いながら楽しく暮らしていて、そういう良い子たちのコミュニティにはスピリチュアル的にそこまででもない人もいたりしますけど、あんまり関係なく皆が仲良くやっている感じです。そうしてみんなで楽しく暮らしているといつの間にか元々スピリチュアル的にそんなでもなかった人でもそれなりのスピリチュアル的な成長を遂げていたりして、みんなで楽しく笑って暮らしているとスピリチュアルな成長が加速されるのだなあ、というのは時々思います。

それとなく私のいるコミュニティを観察していて思ったのですが、みんなで楽しく笑いながら暮らすというのはスピリチュアル的に成長した人にとっては普通のことですけど、それほどでもない人にとっては時に笑顔と楽しく暮らすことが苦しい時もあるのかな、という気もするのです。ですけど、そうして皆と合わせて毎日楽しく笑いながら過ごしているとふと不意に急に気持ちが軽くなって、自発的に楽しくなって素敵な笑顔で毎日暮らすようになるような、そんな変化があるように思うのです。いい子たちに囲まれている他の子たちがますますいい子になって、笑顔もどんどん素敵になって、まるで太陽がいくつも輝いているかのような明るいコミュニティなわけです。これも二極化で、良い楽しい笑顔はますます楽しく良くなるのだなあ、とも思います。

そうなるといつの間にか死後の世界の視野の広さも広がっていて、遠くまで見渡せるようになっていたりします。