エネルギーが頭頂まで上がれば静寂の覚醒に至る

2021-11-22 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

エネルギー上昇と静寂と覚醒とは表裏一体で、意識がクリアになればエネルギーが頭頂まで上がったということですしそれは同時に覚醒している、ということでもあります。覚醒というと色々と段階がありますけど、ひとまず、静寂の境地という段階における覚醒であればエネルギーが頭頂まで上がることによって起こるわけです。

覚醒という言葉だけですとお腹のマニプラ辺りにまでエネルギーが高まったとしても一応覚醒といえばそうで、胸のアナハタにまで上がっても一応覚醒ということもできますけど静寂の伴う意識の覚醒であれば頭にまでエネルギーが上がる必要があるわけです。

実際のところ、頭までエネルギーが上がったとしても悟りではなくて、3段階のうちの2つ目、アストラル次元、カーラナ次元、プルシャの次元という段階のうちカーラナ次元が頭頂のエネルギーに至ることによる覚醒に相当するわけです。

アストラル次元は感情と結びついていて、マニプラだとかスワディスタナ、あるいはアナハタであっても感情のそれぞれの面と結びついていて、マニプラやスワディスタナであれば性愛や愛着の愛だったりアナハタであればもう少し普遍的な愛になりますけどそれらはあくまでも感情面が主で、ヴィシュッダやアジナに至るとそれは静寂だったり論理だったり知的あるいは理屈の根源的なところに至るわけで、ヴィシュッダが境目でアストラル上界、そしてアジナに相当するのがカーラナ次元なわけです。

カーラナに至っても悟りではなくて、そうは言いましてもそのくらいに達すればそれなりの覚醒に至っていて、静寂の境地により物事はクリアに考えることができますし洞察力もあり、直感もよく働きます。

世間でゾーンとか言われている状態は一時的にカーラナに至った場合が多くて、ゾーンというからには継続するものではないことがほとんどですけど、ゾーン的な状態が当たり前になって割と常時覚醒の意識で生活することも可能なわけです。

このカーラナ次元の覚醒をサマーディということもできて、サマーディにも色々な段階がありますけど、一時的なサマーディによるゾーンを時々体験するような段階から始まって、やがてサマーディが当たり前になって、日常生活とサマーディが融合するわけです。

そのために、具体的には座った瞑想などをして、イダとピンガラにもエネルギーを通して頭頂にまでエネルギーを行き渡らせます。

日常生活を送るうちにエネルギーの通りが悪くなることもあり、瞑想をして、頭の近くにだけ通っていない時はそこだけ重点的に行えば頭頂にエネルギーが通りますし、あるいは、もっと調子が悪ければ胸の上のあたりから重点的にエネルギーを上げ直してあげる必要があるときもあります。それはどのような日常生活を送ったのか、日々の過ごし方にも影響を受けて、その時々においてエネルギーが通っていないところを通してあげてから、最終的には頭頂にまでエネルギーを上げることで静寂の境地に至るわけです。

実際、これがゴールではなくてあくまでもカーラナ次元のサマーディでしかありませんので、とは言いましてもそれなりに有効な状態ではありますけど、更なる上を目指す必要があるわけです。