スピリチュアルでオーラを繋げる危険性

2021-05-02 記載
トピック:スピリチュアル: 呪いとトラウマ

スピリチュアルと言いますと「一緒に」だとか「ワンネス」みたいなお話がよくありますけど、それはオーラを繋げるということで、一蓮托生になるということです。カルマも一緒になって苦労も喜びも分担して一緒に成長してゆくというお話はありますのでそれは否定しませんけど、それと意識せずに実質そのようなカルマや喜びの一体化を同調圧力でさせられているのがスピリチュアル業界の実態かなと思います。

これは、オーラあるいはエーテルと言っても良いものに関する知識の不足が原因です。

人は基本的には個別の存在であって、カルマや学びおよび人生の目的も違ったりするのに他人のそれらと一緒くたにすることがスピリチュアルだったりワンネスだと理解されています。実際、そのような説明の仕方はないでしょうし、説明としては個人の人生を生きましょうとか言ってこれらのことを否定して「そうではなくて、個人として生きるのです」みたいなことを口では言ったりもするでしょうけど、オーラという観点から言ってワンネスを主張していたり同調圧力で一緒になるのが当然みたいなスピリチュアルをやっているとカルマやら学びやら人生の目的が他人と一緒になってごっちゃになってしまいます。

これは化学反応みたいなもので、いくらその人が「私は私」と思っていたとしても、オーラが接触してオーラが融合してしまうとそこで他人と一緒になってしまってカルマや学びおよび人生の目的が他人と共有されてしまうわけです。そこに個人の意思としての個の追求があったとしてもオーラとして融合してしまえばそのような意思すらも他人と共有してしまうことになるわけで、ですから、オーラの接触およびワンネスみたいなお話は単にお話を聞くだけならオーラの接触がないから危険性はないですけどワークショップや学びのグループなどで他人と一緒になる時にそれをしてしまうとオーラが融合してしまってカルマが一体化してしまうのです。

これらの危険性がスピリチュアル業界ではあまり認識されていなくて、オーラが広がった方がいいという誤解、あるいは、他人の事がわかるようになると凄い、と言うような間違ったヒエラルキーが出来上がっているような団体もあります。

他人のことがわかるというのは2つあって、1つはオーラが接触して融合することで他人のことがわかって同時に自分のことが他人にも伝わるというお話。もう1つは純粋な意識に繋がって他人のことが分かったり意識がテレパシーとして伝わってくるというお話とがあります。前者は単にオーラが融合しているだけで割と誰でもできることです。後者はスピリチュアルがそれなりに発達しないとできません。前者のやり方で他人の事がわかったとしても大したことがないのですが、そのことでスピリチュアルのワークショップをしたりして面白がっている人たちも大勢いますけど、それはオーラの接触をしておりますので、本来、危険なことです。

そうしたワークショップではオーラを広げる、ということをしています。そうして広げたオーラに他人のオーラが接触して情報交換がなされるわけです。接触した部分はもはや「自分」とか「他人」という感覚がなくなって、離れた時に残った部分が自分ということになるのですが、融合したオーラの部分は元々自分だったオーラと他人だったオーラとがごっちゃに混ざっています。そこに他人のカルマがあったとしたら他人のカルマを抱えてしまうことにもなります。

正しいスピリチュアルの場合は、むしろオーラを閉じて体の表面 6mm くらいの幅で収めることを学びます。普通の人の場合は数cmだとか落ち着いた人でも1cmくらいはありますけど、6 mm、あるいは、もっと集中して 2 mm 前後にまでオーラの幅を狭めると他人と触れ合ってもオーラが外に出て他者とオーラの融合をしなくなります。そうすることで健康に生きられるわけです。

霊媒体質みたいなお話はオーラが安定していなくてゆらゆらと広がっており、他者のオーラと接触してしまうが故に他人のことが意図せずして分かったり不快感および死靈のようなものに影響されてしまうわけですが、霊媒体質はお祓いをして治すというのは一時的なもので、そのようなお祓いは効果がないことも多くて、根本的に治すには自分のオーラを安定させて他人と接触させないようにすることが必要です。そうなると他人に頼ることはできなくて自分で瞑想するなどしてそのようにする必要が出てきます。

スピリチュアル業界ではそのように霊媒体質で何か見えないものがわかると凄いという風潮がありますけど、実際には、それがオーラの接触で理解しているというレベルであれば逆にそのことはオーラが不安定だというマイナス要素であったりするわけです。

それとは別に、オーラは凄く安定していて体の表面から 6 mm くらいにいたままで、必要に応じてオーラを伸ばす、ということもできますけど、その場合もオーラが他者と融合してしまいますのでお勧めしません。

オーラを安定させたまま、オーラを伸ばしたりもせず、自分の奥底の高次の感覚と繋がることで他者を理解することも出来ます。これが本当のスピリチュアルですね。

あるいはもっと別な方法で、幽体離脱で他者の過去と未来をも含めて時空を超えて俯瞰することもできますけど、これは割と生きている人間が他者を観察することに近いです。

その組み合わせで、オーラを安定させたままオーラを伸ばしたりせず自分の奥底と繋がったまま高次の感覚を働かせつつ幽体離脱した場合は時空を超えた先でもその高次の感覚が働いておりますので、具体的に過去や未来のその人の生きざまを観察しつつ高次の状態を把握することができますが、そうは言いましても、言葉で説明したところでオーラの融合とこの高次の感覚との違いは言い表すのが困難ですのでこのくらいにしておきます。

どちらにせよ、オーラを接触させて情報を引き出したりするのは割とスピリチュアルの良くないやり方であると私は思っているわけですけど、割と有名な人であったとしてもこのやり方をしていて著名セミナーとかでも教えられたりしていますので、オーラの融合によって情報を引き抜く方法はスピリチュアル業界では割と常識みたいに扱われていたりしますけど、実際のところ、危険が多いので私はお勧めしません。

オーラを一旦融合させてしまうと「分離」というのは出来ませんので、後悔しても無駄です。他者を理解して、結婚みたいに一蓮托生すると覚悟を決めてからのオーラの融合ならばありだと思いますけど、よくわからない他人とオーラの融合をするのは危険しかないと思います。個人的には結婚相手すらもオーラはそれほど融合しない方がいいと思っていますけど、それは人にもよるかもしれませんね。一緒に暮らしていると多少はオーラが融合しますので完全に分離というのはできないですけど、それでも、基本は個人は個別の人生を生きているわけですからカルマや人生の目的は別になるわけです。