静寂の意識と自然に起こる止息(ケヴァラ・クンバカ)

2020-07-27 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

かなり前、クンダリーニが動き出してマニプラ優勢になる前に同様に自然に起こる止息が起こっていたことがあります。

その時も静寂の境地に達して心穏やかな状態になっておりましたがクンダリーニがそれほど動いておりませんでしたのでエネルギー的には低かったように思います。

その低いエネルギーの状態で静寂の境地を味わい、ケヴァラ・クンバカが当時起こっていたわけですが、クンダリーニ経験後にはむしろクンバカが苦手になりました。

その後もずっと基本的にはクンバカが苦手な状態が2年近く続いていたわけですが、ここにきて、段階的な静寂の境地が得られるようになってからは急に息も穏やかになってきてケヴァラ・クンバカも起きるようになってきました。

今から思えば、当時の静寂の境地はエネルギー状態が低いところでの静寂の境地だったように思います。

今は、クンダリーニが動き出してある程度のエネルギーがあるところでの静寂の境地です。

表面的にはどちらも「静寂の境地」として言い表されるものですが、その基本的な状態はかなり違うように思います。

特にエネルギーの量の差は顕著で、クンダリーニが動き出す以前はポジティブさが今ほどなかったように思います。これは、パワーが上がればポジティブになって雑念が減るというお話で、エネルギーの絶対量が増えないままに静寂の境地に達したとしてもそれはそのエネルギーレベルにおける境地の到達であって、エネルギーが増えたらその静寂の境地の難易度が高まるような気がしています。

エネルギーが高まればその制御も難しくなりますし、そのエネルギーを安定させるスキルも高いものが要求されます。体の各所の制御もエネルギーが高い場合は難しいですし、呼吸や熱感の制御にしてもエネルギー量次第で難易度が変わってくるように思います。

それと、以前の静寂の境地は意識がそれほど活性化されていなかったように思います。静寂を感じる意識は動いているのですが、その意識の明確さが今よりも随分と低かったような気が致します。

それが、今回の静寂の境地においては常に意識が生きていて、体はというと睡眠に近い状態になったりしていびきをかくくらいになることもありますが、寝ているという感覚はあまりなくて意識が動いているように感じられる状態です。夢見に近いかもしれません。

瞑想、あるいはヨガにおける意識の状態であればすぐにこのような状態になれますし、普段の生活においても静かにしていれば割とこのような状態には入ることができます。

どちらにせよ、この状態の類似点を見るに、おそらくは成長のサイクルがループになっていて割と似通っている状態をぐるぐると体験しつつ成長していくのではないかなと思います。