スピリチュアルも宗教も思想も全部一緒

2020-07-02 記載
トピックスピリチュアル

よく分かっていない人だけが分けたがります。

思想も「信じなくてはならない」という誤解があります。
宗教も「信じなくてはならない」という誤解があります。
スピリチュアルも「信じなくてはならない」という誤解があります。

例えば思想の「唯物論」にしても、単なる論ですのにあたかも絶対的な真理として語る人がいます。それは宗教みたいなものです。

ダーウインの「進化論」にしても科学の絶体的な真理みたいに日本では語られていますけど、単なる論です。科学というのは証明が必要ですから実際に進化論を証明するには何万年もかかります。タイムマシンでも発明しない限り証明は遥か先のことになりますから、所詮は理論に過ぎません。

科学の大御所といえばノーベル賞ですが、進化論のような生物学でノーベル賞なんて聞いたことがありません。進化論なんてそのようなものなのに絶対的な真理だと思い込まされていて、「信じなくてはならない」という圧倒的な雰囲気に飲み込まれているのが日本です。これは宗教とそう変わりがありません。外から見たら、進化論を信じなくてはならない宗教団体のようなものです。

思想は単なる表面的な思いですので人間の頭が作り出したものです。

宗教にしても表面的なものがあって、それは人間の頭が作り出したものです。

スピリチュアルにしても表面的なものは人間の頭による創造物です。

思想はもともとはピタゴラス派のように神秘主義の団体によって形成されたものですので、宗教みたいなものです。思想が科学だと思っている人も多いですが、思想は宗教みたいなものです。

スピリチュアルにしても誰かの頭によって作られたものです。であればスピリチュアルも宗教みたいなものです。

どちらにせよ、作った当初は柔軟で本質に近いものでしたが、時間が経つにつれて形骸化してもともとの本質が失われるが故に避けられるようになるわけです。

今でこそ宗教が避けられていますが、宗教が作られた当初は現在の「思想」とかの意味に近かったと言えます。

今でこそスピリチュアルに新しいイメージがありますが、宗教が作られた当初、あるいは、思想が作られた当初は新しいイメージがありました。

何であれ、新しく作られるものに対しては良いイメージがあって、古いものは避けられるということです。そして、新しいものは生きていて、古いものは死んでゆくということです。

思想も古くなり、死んでゆき、宗教も古くなり、死んでゆき、やがてはスピリチュアルも古くなり、死んでゆきます。

しかし、思想を選んだとしても宗教を選んだとしてもスピリチュアルを選んだとしてもその本質は変わらないわけです。

宗教は1つだけ選ばなくてはならないと思っている人がいらっしゃいますけど、この世の中の徒弟制度にしても流派にしても、かなりのものが「1つだけ選ばなくてはならない」ものだらけですので、宗教だけ避けているのも何だかなあ、という気が致します。

昔から新興宗教みたいなものは多くありましたし、今更になって増えたわけでもありませんし。昔は宗教というよりもミステリーサークルみたいな神秘主義の集まりだったものが今は宗教団体という形を取っているだけです。

昔からカルトはいましたし、カルトは宗教団体だけのものではなく思想団体にも多くみられました。

思想も宗教もそれほど変わりがないと言えます。

昔はミステリーサークルでしたが、今はそのような任意団体だけが宗教になっているわけではなく、宗教団体を隠れ蓑にした税金対策みたいな変な団体もいたりして、宗教法人というものが利益のためにも使われている点が純粋ではないとは言えますが、昔からそういう資金流用とかはありましたので今に始まったことではありません。

「信じなくてはならない」という宗教は実際のところそれほど多くありません。初心者向けに「信じなくてはならない」と言っているだけで、実際は、本人が理解して経験しなくてはならないことだらけです。

中級者以上になったら「信じなくてはならない」なんて言われません。

思想にしても自分で考えるでしょう。
宗教にしても自分で瞑想して本質とは何かを考えて理解しようとするでしょう。
スピリチュアルにしても自分で探索して自分の頭で理解・体験しようとするでしょう。

どれも大差ないと言えます。

もっと拡張すれば、ヨーガとかも広義における思想・宗教・スピリチュアルに含まれます。

もちろん仏教もそうですし神道もそうです。キリスト教も同じです。一神教にせよ多神教にせよ、単に伝え方が違うだけで本質は同じです。

ただ、住んでいる環境や人の性質に応じて違った様相が現れているだけのことです。

思想にせよ宗教にせよ、何某か導く人は現れますし、その人を先生と呼ぶかグルと呼ぶか教祖と呼ぶか教授と呼ぶか博士と呼ぶかはそれぞれですけど、大差ないと言えます。

どちらにせよ、他人を従属したいと思っている団体はその程度ですし、本質を見極めたいと思っている団体にしてもそれぞれです。

自分の宗教があるから他の宗教はできない、みたいな方もいらっしゃいますけど、本質は同じですのであまり拘らなくてもいいのではないかと私なんかは思いますけど、1周目であれば1つの宗教なり思想なりにどっぷり使った方がいいと思うのも確かです。

最初は1つの流派でとことん極めて、その理解を元に他の流派の理解を深めてゆくのもいいかと思います。

どちらにせよ、本質は変わりません。