昔はハイヤーセルフ、今は龍と言う

2024-03-10公開 (2024-03-08 記載)
トピックスピリチュアル

実態はほとんどの場合で同じですが流行および当人の受け取る印象に応じて言い方が違っているように思います。どちらにせよ高次の自分ではありますが、当人の理解の仕方として龍と言った方がしっくりくる場合と、ハイヤーセルフと認識した方がしっくりくる人とがいるかと思います。

実態としては、分離している自己とスピリチュアルの成長に伴う統合、という点において同一です。

実際のところ、本当に龍系統の由来がある人もいるにはいて、全ての人が人型の過去を持っているわけではありませんので龍系統あるいは爬虫類系などの過去を持っている人もいらっしゃいますけど、実のところ、高次になれば形を超えたものになって光そのものとなりますので、形として龍を認識するかどうかと言うのは個人の印象によるところが多いかと思います。

それは流派や育ちによって認知の仕方が異なっていて、例えばチベット系や仏教、特に密教系は本尊の仏像や壁画・タンカのような神仏のイメージが神像に現れてきてそれと合一する、と言うことが起こります。それはイメージではありますけど実際にその本体と一体化することができるわけです。最初は単なるイメージだけのお話ではあっても、時に、本当にその本尊のエネルギーがやってきて同一になることができるわけです。

そのように、イメージを重視する流派もあれば、形のない流派もあります。実のところ高次になればなるほど形をなくして光そのものとなりますので、本質から言えば形のない光そのもの、と言うのが本質ではあります。

ハイヤーセルフのイメージは人型や光る人としてイメージされることが多いですけど、実際には単なる光の塊、光の玉、神々しい光そのもの、として認知されます。それに加えて当人が持っているハイヤーセルフのイメージとして何某かの神様だとか仏像だとかいう形を持って現れることもありますけど、それはイメージとして認知が作り出しているものであったり、あるいは、ハイヤーセルフの側が気を使って認知しやすいようなイメージの形を取って、あえて見せている、という時もあるわけです。ですが、その必要がない時は単なる光として現れて、そのように認知されるわけです。

そのような、形を伴った権限の一つとして龍があって、龍のように認知されているのはハイヤーセルフとしての光そのものであり、本当に龍である場合もあるにはありますけど、それよりは、高次元の光を龍として認知している場合の方が多いように思うのです。

ハイヤーセルフの側としては形は重要ではなくて、龍と認知してもらった方が繋がりやすいのであればその姿を取ります。形に関してはそこまでこだわりがないわけです。

そして、本質としては光ではあるのですけど、本当の姿、と言うのも、一応はあります。その本当の姿が天使のような姿の場合もありますし、本当に龍の場合も、あるにはあります。そこまで来れば龍と言っても本当にそうであるわけですけど、大抵の場合、単に高次の自分を龍などとして認知しているだけなわけです。

これは龍が流行しているからこのような風潮が出てきていますけど、やることは同じで、自分の心を浄化して高次の自分と合一する、と言うところは龍であってもハイヤーセルフであっても同じお話な訳です。