至福を超えて感激と感謝の涙に至る

2024-06-01公開 (2024-01-03 記載)
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

数日前までは至福、という感じで、それはそれで十分に幸せではありましたがあくまでも「私ごと」でありまして、しかし、ここ数日で、「わたし」と「(わたしのいる)近く」という境目が少し変化して、私のごく近くに対しても「わたし」と感じられるようになったように思います。

それは言葉で言ってしまえばワンネスということもできて、ワンネスとかいうとあちらこちらで言われているので何やら安っぽく聞こえてしまうのですけど、ワンネスと表現するならば、それはそうなのです。言葉で言うと同じような表現になるとしても、その奥行きは違ってきているのです。

今までは割と個人的な至福で、ここにきて、感謝と感激、そして多少は(悲しさと切なさも伴った)涙も含めた、歓喜と感謝、感激の状態なのです。

普段の生活においては至福が基本ではあるのですけど、例えば、ふとしたことで感謝と感激の思いと涙が湧き上がってくるのです。

今までも、例えば、とても美味しいものを食べた時に感動することはあっても、それは至福とか感謝とか涙にそのまま繋がっていたわけではありませんでした。

旅行帰りということもあったのでしょうけど、何気ない、昔も似たようなものを何度か食べた筈なのに、美味しいというよりはその何気ない幸せに感謝と涙が出てくるのです。今回、岡山の駅で新幹線に乗り換える時に買った地元の駅弁を新幹線の席で食べた時、なんだかんだ言っても駅弁ですから普通の食堂で食べる方が美味しい筈なのに、味だけを見ると、美味しい駅弁であることには違いないはずなのに、何気ない幸せで涙が出てくるのです。

この時点では、この駅弁が特別なのか、私自身の変化なのか1回だけでは見分けがつかなかったため、同日、普通の大衆食堂で何気ない普通の定食を食べてみることにしました。そうしたら、それでも食事を口にしたら涙が出てくるほど感動しましたので、これは、そこまで食べ物それ自体に左右されるものではなさそうだ、と思った次第です。

至福も歓喜も言葉だけ聞くと似たようなお話でどちらがどうこう言うのは難しいですけど、歓喜だけでしたら感情のお話ですけど、至福と歓喜が共にある状態、とでも言えば良いでしょうか。それは、似たように見えてもかなり違う状態です。

至福がベースにあって、歓喜が、ことあるごとに、周囲からの反応によって湧き上がってくるわけです。これは、他人の感情を拾っている、と言うことでもあるかもしれません。より敏感になった、と言うことかもしれません。その辺りは今後、様子見なところです。

自分のオーラの状態を確認してみると、1週間くらい前までは胸の下あたりでちょっとしたオーラの層の違いがあったのが、(旅行中に色々とリラックスできたのか何なのか)首元や頭の中央付近まで下からのオーラが上がってきています。これは、もはや何周目なのか覚えていないくらいなのですけど、一階層ごとに、少しずつ洗練された濃い目のオーラが身体中に何度も循環および浸透を繰り返しています。今回のことは、最近になってアジナから最初にエネルギーが入って身体中に充満したことをベースに、更には、最近は度々頭頂のサハスララからオーラあるいは雫のようなものが降りてきてお腹や体の各所に充満してきており、その、一旦降りてきて身体中に充満したオーラが、一旦、安定して、それが再度、頭の方にまで(安定状態で)上がってきている、と言う感じです。

上から明確なオーラやエネルギーが入ってきて、体を満たしてオーラが安定し、それが頭の方にまで再度、上がってきて、それが今回、一つのサイクルとして頭の方にまで満ち始めた、と言うことです。