輪廻転生と魂の分裂・融合、そして昇天 (1-8/17)

2024-04-16公開 (2023-12-16 記載)
トピック:スピリチュアル: 輪廻転生

<これは本当のことかどうかはわかりません。現在の理解をまとめたものです>

▪️前置き
一般に理解されている輪廻転生そのものは存在しないと言っても良いのですがそれに近しい現象はあるにはあって、その基本はというと、魂(幽体)がそのまま転生する場合と、昇天した後にグループソウル(類魂)と一体になり、改めて分霊を作って転生する場合があるわけですが、それに加えて、魂(幽体)の分裂、という現象を加えるとわかりが良いと思います。

▪️分裂
死ぬと、(自分の中と言っても良いが、自分自身である)魂のレベルが割と一定の場合は1つの個体として保持され、一体として同じような道を辿ります。

一方で、(自分の、あるいは、誰かの)魂のレベルが割と一定ではなく(波動的に)上下に幅がある場合、かつ、それが「量」としてそれなりの質量のようなものを持つ場合、魂が死後に分裂し、それぞれ見合った階層でそれぞれの死後の過程を辿ります。

このように、分離をするかしないか、という過程が死後にまずあります。

肉体を持っていますと肉体が魂を結び付ける働きをしていますのである程度の波動の幅があっても肉体に全てが結びついていますが、魂になって波動体になると同じような波動同士でないと一体になっていることができませんので分離する、という側面があります。死後は意識がそれほど働いていませんので、この過程は割と自動的に行われるように思います。相当に意識を持って一体でいようと意識していない限りそうなりますし、はたまた、上位の意識の意思により分離される、という場合もあります。例えば、死後、グループソウルのワンネス意識からすれば、死後の魂がワンネス状態であるグループソウルに戻ってきてほしいと思って呼び寄せるわけです。しかし、重い波動の部分は上昇することができずに分裂するのです。これは必ず分離するかどうかはわかりませんが、グループソウルの意思によって大きく変わる部分もあれば、システム的にそうなるという面もあるように思います。

▪️昇天
まず、昇天できるほどに純化されている魂の場合、グループソウルに統合され、一体の状態、ワンネスに戻ります。これは、死後に魂が丸ごと純粋な場合です。あるいは、分裂して上澄みの部分だけが昇天する場合もあります。昇天してグループソウルに統合した後、グループソウルの意思に基づいて分霊が作られ、個別の魂として活動することもあります。これがグループソウルも含めた転生のようなものです。

▪️天国
そして、中間的なものとして(実際はもっと細かくも分かれるのですが)、ぼちぼち純粋な魂は地上を彷徨ったり、いわゆる「天国」に行って霊界の豊かな楽しい生活を送ります。これも同様に、魂の丸ごとがぼちぼち純粋な場合と、分裂した後にぼちぼち純粋な場合とがあります。分かれるためにはそれなりに(オーラ、魂としての)総量がないといけないのも同様で、概ね、総合的に見てぼちぼち純粋な場合は天国に行きます。この場合、しばらく天国で過ごした後に昇天してグループソウルに統合そしてワンネスになる場合もあれば、また地上に転生する場合もあります。天国にいる状態で幾つかの霊に分かれる、はたまた、分霊を作る、もしくは、天国にいる状態で、(基本的には自分にゆかりのある魂を)統合して一つになる(複数の魂を1つにまとめる)ということも時々あります。

▪️浮遊霊
更には、下層のものとして、単なる「思い」の塊、想念の塊、残骸のようなもの、影のようなもの、いわゆるアストラル(感情的)な質量の塊があります。そのような下層のゴミのようなものが魂(幽体)には付随していて、この場合、元は人間であっても欲望に塗れた価値観を持ち、食欲や性欲はたまた支配欲など、強欲な性格を持った部分が下層の魂として存在するわけです。この場合も、魂が丸ごとそうである場合と、分離した結果、残った部分がこれである場合とがあるわけです。この場合、いわゆる悪霊あるいは浮遊霊のような状態になって、意思をあまり持たず、盲目で、ぼやけた意識の、目覚めていない意識状態のままそこらを漂うことになります。天国にはいきません。この世の階層に近い世界にいるわけですが、実際のところ、本当に隔離されているわけではなくて、その人が盲目で暗闇の中にいるというだけで、近くには普通に楽しく暮らしている人もいるわけですが、その人はものが見えない状態ですので周囲を認知できないのです。その当人にとってみれば闇のような暗い世界、欲望だけが集まっている下層の霊界のようなところにいるように認知されますが、実際は、それほど隔離されているわけでもないのです。それは地上に割と近いところにあって、地上の人間に時折影響を及ぼしています。これがそのまま、あるいは、ある程度集まって1つの魂として転生する場合もあって、そうなると、人間であっても獣のような欲望に塗れた人格として転生します。

▪️生きている間の分離と合流
実は生きている間にも魂の一部が抜けたり合流したりすることがあって、魂が少しでも抜けると重々しい状態になって意識が朦朧となり、文字通り、(程度にもよりますが)意識が抜けた状態になります。はたまた、魂が合流した場合は生き生きとした状態になります。スピリチュアル業界ではウォークインと言ったりもしますが、必ずしも入れ替わる場合だけでなく、合流して一つにまとまる、という場合も普通にあります。はたまた、意図せずして他人のオーラをもらってしまってその人の性質の幾分かを譲り受けてしまう、ということも普通にあります。

これに加えて、生きていると、他者とのオーラの接触ということも起こります。それは必ずしも魂の接触ではないものの、人によってはオーラが広範囲にまとまりなくふらふらと広がっており、それが他の人のオーラと接触することによってその部分が文字通り「融合」され、お互いにカルマやトラウマあるいは良い部分など、全てにおいて一旦同一化された後に(距離を持つことで)また分離する、お互いにお互いのオーラを交換し合う、ということが起きて、これは、量としては1回1回は少ないものの、何度も何度も繰り返せばそれが魂の外郭部分に影響を与えて、低次のみならず高次の部分までもが他者と交換し合い、それによって自分が(他者からオーラをもらって)気分が良くなることもあれば(他者にオーラを取られて)苦しむこともあるのです。これは転生そのものではないですが、多少ながら他者と転生を共有している、という見方もできて、カルマとは転生の原因ですから、カルマを交換するということは他者と転生を(わずかながら)共有する、ということにもなるわけです。

ですから、死後に分離したり融合したり、という部分が大きいものの、生きている間に魂の融合や分離も少しづつ起きているわけです。

▪️「器」としての人間
これに加えて、「器」としての人間があって、器があって初めてそこに魂が入ることができるわけですが、盲目な人はそこまで自分の意思を持たない一方で、それなりに目覚めた人は自分で人生を選んで転生することになります。そして、器の側としては個人の意思があります。

これらは割とシステムのようなもので動いていて、機械的、法則として動いています。ですから、それぞれが自由に動いているように見えても、割と、理に叶って動いているのです。ですから、基本的なシステムの上に、個々の意思で持って融合するか分裂するかが決まるわけです。基本はシステムですので否応なくそうなってしまうこともあれば、ある程度は個人の意思が反映されるわけです。

▪️地上に残された浮遊霊
このようなシステムですから、下層の、浮遊霊のようなもの、影のようなもの、いわゆる幽霊、地上に残された不浄化の念のようなものは、実は、必ずしも未浄化霊というほどでもない場合も多々あるわけです。世間の一般の常識からすれば「死後はどうなるか」という1点で理解されていますけど、実のところ、死後はそれぞれの波動階層に分離されますから、誰であれどうしても不浄の部分を持っていて、不浄の部分は、それなりに、残骸として地上のどこかに残されるのです。そして、大抵の場合は時間があればそのようなものは風化して形を失い(エネルギーを失い、力を失い)、形のないエネルギー、いわゆる自然へと帰っていきます。ですから、地上の人が霊が見える人だったとして「幽霊が漂っている」と思っていても、大抵の場合、気にする必要はないのです。

割と人間の階層に近い、いわゆる残骸のようなものはその人の本来の意識を持っていることはほとんどなくて、想念体として(スピリチュアル的にはアストラル体)の感情としての残骸のようなものが残されることが多いように思います。それは複雑な思考の体系を持っていないのですが、と言いますのも、高次の意識はそのような場合には既に分離されてしまって残骸だけが残ってしまっている場合もあるからです。

この浮遊霊を助ける方がいいのか、放っておいて風化を待つ方がいいのかは、場合によりけりだと思います。浮遊霊の持っている意識の残骸が価値がないほどの単なる欲望や機械的な反応といった低次の感情であれば、それは放っておいて風化を待っても良いように思います。一方、浮遊霊であっても一定のオーラの総量を持つまでに融合が進んだ場合、それは、低次であったとしてもそれなりの(欲望の)意識を持つことがあって、これはその欲望に正直に動きますので放っておいても風化はなかなかせず、悪影響が大きいことになります。浮遊霊というのは厄介で、往々にして明確な意識を欠いていて基本的な欲求しかありませんので、それが強いオーラになるまで集合した場合、妖怪のような純粋な悪としての存在にまで成長することがあります。

空間的に余裕があって、単純な「想念の残りかす」のようなものが時間とともに風化できるのであれば放っておいても良いと思います。しかし、土地が浄化できる以上の浮遊霊・・・・ というよりは、単なる想念の残りかすのようなものが散乱している場合、それはもはや、高次の意識が抜けてしまった「抜け殻」である場合も多々ありますし、抜け殻とは言ってもそれなりの想念の力を保持しておりますので、何かの条件が重なってそれらが融合して一つになると強い力を持つことになりますし、誰かがたまたま通りすがりにその想念を拾ってしまった場合はその想念があたかもその人がそう願ったかのように勘違いして振る舞ってしまうことになり、生きている人がその「残りかす」「抜け殻」の想念をベースにして更に強い想念を発するようになってしまう、ということもあります。

人が多く死んだ土地には浮遊霊と言いますか「抜け殻」としての想念が多く漂っていて、時間が経つとそれはある程度は風化しますが、ある程度は誰か生きている人が拾うことで元の場所からなくなります。

世間で行われている「火による浄化」はこの種の想念の「残りかす」を消滅させる行為ですので、単に浄化として理解しているとしても、実際は、意図せずして、浮遊霊と同じようなものを自分の近くで消滅させて浄化しているわけです。一般には、自分のオーラを浄化させるだとか、空気を良くする、というように理解されているとしても、実態は、そこらで漂っている(意志を持たない)浮遊霊(の一部)を浄化していることでもあるわけです。

ですから、不浄化霊を成仏させる、なんてお話は眉唾で、確かに、その人が丸ごと欲望まみれで魂の全体が重々しくて天国にすら行けずに彷徨う場合もあるにはあるでしょうけど、それほどまでに欲望まみれの人が成仏できないのは自業自得なのではないでしょうか。そんな人が気軽に成仏できるのだとしたら修行なんていらなくなってしまいます。何事も分相応でありますから、生きているうちに欲望まみれで生きているのならば死後に天国に行けなかったり昇天できないのだとしても、それが相応であると言えます。この世界は割とシステムで動いていますから、そういう人であっても高次の純粋な意識が含まれているのだとしたら、その部分だけが分離して、高次の意識だけが昇天するなり天国に行って、残りの部分が浮遊霊として地上に残ります。ですから、不浄化の浮遊霊のことはそこまで気にする必要はなくて、あくまでも高次の部分、少なくとも天国に行けるくらいの意識とだけ相手をすればいいわけです。

未浄化の部分と天国に行ける部分とが混ざり合っている人(だった魂)の場合、未浄化の部分が重しになって天国に行けない、と言うこともあります。それなりのオーラの総量があれば未浄化の部分と天国行きの部分に分かれるのですが、そこまでの質量がない場合は分裂せずにいて、しかも天国に行くことができない、天国に行くには重い状態になりますので、未浄化の部分を浄化(と言うより実態は消滅に近いこともありますし、切り離すだけの場合もあります)してあげると天国に行ける場合もあります。

この世界には荒っぽい能力者がいて、浮遊霊を片っ端から消滅させている人がいます。側から見ると霊を消滅させるなんてとんでもない人だと思われるかもしれませんし、私もそう思っていた頃があります。しかし、そのような浄化作用は割と誰しもが行っていることで、体についた不浄なものを洗い流す、ということに関してはオーラだけでなく肉体としてももちろん同様で、それを浮遊霊に対しても行っていて、不浄なものを無に返す、という行為が実は浄化でもあるのだとしたら、一見すると荒っぽい行為に見えたとしても世の中の役に立っているという面もあるわけです。ただし、一見するとただの不浄霊で「誰かのオーラの残りかす」のようなものであったとしても、時に、それが誰かが意図的に学びとして行っている場合もあって、時に見分けが難しいこともありますので、誤射を避けるという意味において、基本は未浄化霊のようなものであっても(見分けがつかない、よくわからないのであれば)放っておくのが良いかと思います。

浮遊霊と言っても本当に抜け殻の場合と、多少は意識が残っている場合があるわけです。地上にいる霊能力者は、これらの違いがわかる場合もあれば、わからない場合もあります。物質に近い方が見やすいのは一般的にそうと言えばそうも言えなくもないですけど、それよりもむしろ、波動に近いものが見える、という方が正しくて、この種の浮遊霊や抜け殻は割とこの世に近いところにあるので、それらの割と普通の人間に近しい波動に共振する人はそのようなものが見えることもありますし、一方、それより上の、天国に住んでいて一時的に地上に来ているような(多少は)浄化されている霊を見るには自分も相応に浄化されている必要があります。霊能力者の波動が低ければ浮遊霊くらいしか見えませんし、その場合は、天国にいる霊(一時的に地上に降りてきている霊)は光り輝く存在として見えて、あまりよく見えません。自分の波動が高まればそのような天国にいる霊のことも見えるようになりますけど、そのくらいになりますと存在の波動の差が大きくて、ようやく天国に行けるくらいの霊と、グループソウルに合流する直前くらいの霊(昇天が間近の霊)、グループソウルから分離してきたばかりの霊、などでは波動の違いがあります。よって、必ずしも天国にいる霊が一律で見えるわけではなくて、姿が見える場合もあれば、波動の違いが大きいと、これまた同様に、単なる光の存在としてのみ感受される場合もあります。そして、ここで未浄化霊と言っているのは、天国に行くことができないくらいの重い波動の霊のことを言っているわけで、それは死後に丸ごとそうである場合もありますし、死後に分離して残された抜け殻がそうである場合とがあります。

そして、一見すると未浄化霊、浮遊霊、悪霊のように見えたとしても、質量としてその内側に中間的な部分(天国に行ける)や高次の部分(昇天できる)を所持していたりします。その高次の部分を含めて消滅させるのはやりすぎですけど、未浄化の部分を消滅させることで中間的なものや高次の部分が表面に出てきますので、重い質量の部分である未浄化の部分を消滅させるのは一見すると荒々しく見えるかもしれませんけど実は理に叶ったやり方であるようにも思えます。とは言いましても、そのようなことができる人はそう多くはありませんし、気をつけて粗大な未浄化の部分のみ消滅させるというやり方をしなければ間違って一緒に微細な部分をも消滅させてしまうということもあり、そうなれば良くないカルマを積むわけですから、一般的には手を出さない方が良いことではあります。

放っておけば基本的には自然に風化するので、集まって悪霊になるとかでなければ自然に風化するに任せれば良いわけです。死後に肉体が形を失うのと同様に、抜け殻のような(霊体のようにも一見すると見える)浮遊霊、悪霊の類は時間が経てば消えていきます。

基本は、波動の法則が成り立ちますから、自分の波動を高くしておけばそれほど未浄化霊とは関わり合いを持たないので、このような浮遊霊や悪霊の世界は気にしなくて良い、気にしなくて良くなるまで自分の波動を高める、ということを優先させれば良いと思います。

このような未浄化霊であったとしても周囲の助けがあれば波動が死後に(多少は)高くなって天国に行ける場合もありますが、それは確かに身内など知り合いであればそのような助けによって救われるということもあるでしょう。それはミクロな視点において救われた、ということでもあります。一方、マクロな視点に立ってみると、そのような未浄化霊を助けるまでもなく、既に、高次の部分は分離して死後に天国に行くなり昇天してグループソウルに帰っておりますので、いわば「残りかす」のような未浄化霊の(ように見える)部分を助けることがどれほど意味のあることなのか、わかりません。例えば、人生を生きた上での経験や知見のうち(割合は人によって違うにせよ)9割が死後に天国あるいはグループソウルに帰るとしたら、残りの1割がたとえば未浄化霊のようにして地上に残されたとして、その1割を助けることがその浮遊霊の助けになると言えば一応はそうですけど、マクロな視点からしたら些細なことなわけです。

そして、時に、地球の管理者が「この世界には、未浄化の部分が多くなってきた」と判断したのならば、システムとして、一旦全てを洗い流して綺麗にしてリセットし、またやり直すことも過去には何度もありました。これが地球規模での大災害になって大勢が一見すると死ぬわけですけど、実のところ、中間的な部分(天国)と高次の部分(グループソウル)には影響がなくて、文明はリセットされますけど、魂の部分に関しては影響がないわけです。大災害というのはあくまでも文明と未浄化の部分を洗い流すことにあります。このようなリセットはない方が良いわけですけど、あったとしても、魂の方にはさほど影響はないわけです。こうして、文明を新たにやり直す場合もありますし、一部のタイムラインのみリセットにして、大勢の魂が別のタイムライン(パラレル、似たような地球)に大量に移動する、ということもあります。霊の視点からしたらどちらも見えて、選択ができますので、面白そうな方を選ぶわけです。未開の大地での開拓と成長が好きならリセット後の世界を選ぶかもしれませんし、現在のような過渡期が好きならそれを選ぶ、など、それぞれの人(魂)の選択によって行く場所を自らの意思で変えるわけです。そうは言いましても、霊によって見えている範囲も違いますし、霊の世界は「知り合い」として関わった人との結びつきが強く働きますから、「誰かが知っている世界」に行くことが多くなります。時に、未開の惑星を興味深く探索する場合もあります。全ては自らの選択によっていかようにもなると言えばそうですけど、それでも、基本はグループソウルの意思に従うことが多いように思います。


▪️天国
一方、天国に行けるようなぼちぼち純粋な魂の場合は人間に近い思考が必ず残っていて、この場合は地上を漂うというよりは天上の世界、いわゆる天国とか天界とか呼ばれているところで住んでいて、時折、地上に転生している知り合いのところに降りてきて色々と話しかけたりします。この場合は霊と言っても人間と変わりがなくて複雑な思考ができますし、感情もあります。霊の状態ですと、人(霊)によっては多少は時空を越えることができて、未来のことなども多少は教えてくれたりします。これが世間で言われている輪廻転生に近いところではありますけど、天国はまだ中間的な世界で、実のところ地上の人間と比べても肉体を持っているかどうかくらいの違いしかなくて、霊の状態ですと想像力というものが強いために想像したらすぐに目の前に想像することができるファンタジーの世界ではありますので物質化・実体化という点では地上と大きな違いがあるとはいえ、意識という面では地上の人間とそこまで変わらないのです。

天国に行けるくらいの意識を持った霊の場合は指導霊的なこともできて、誰かに付き添って色々とヒントを与えたりすることもあります。その導き方は人(霊)それぞれで、指導の仕方にも色々とあるように、霊だって肉体がないだけで意識は生きている人と変わりませんから、指導霊としてのやり方も千差万別なわけです。


▪️グループソウルと分霊
カルマの縛りから解放されると昇天できます。その中間的なものとして天国がありますけど天国はまだ(ここで言う)昇天には相当しなくて、天国に行くことも昇天といえばそう言えるとは思いますけど、天国は昇天というほどのことでもなく割と普通に行けて、天国に行った後に、満足と愛の至福が十分に満たされたら天国にいる状態から更に昇天してグループソウルに帰還します。昇天する時は、文字通り、光の柱に包まれて、(天国にいる時に既に宙に浮いているわけですけど)更に上昇して(天国より)更に上の(それもまた天国と呼べるかもしれませんけど)世界、それはグループソウルの世界ですが、そこに上昇して合流、ワンネスになります。

昇天するにはかなりの浄化がなされていないといけませんけど、多少のカルマ(条件付けの部分)がわずかに一緒に上昇します。そしてそれが、わずかながらであったとしても次の行動へのきっかけになることも多少はありますが、基本的には、条件付けから離れた自由な部分がグループソウルを形成します(少なくとも私の場合はそうです)。これは私の属しているグループソウルはそうですけど、おそらくは、カルマの条件付けの部分が大きいグループソウルもあるように思えます。

グループソウルでは集合意識が働きますので、グループソウルの意思に基づいて分霊が作り出されることもあります。その時は、今まで分霊が知見を集めたことに基づいて判断されたり、はたまた、世の中を見て必要だと思ったことがグループソウルの意図に基づいて分霊が作り出されます。


▪️解脱、あるいは、ヴェーダンタのモークシャ(自由)
個人的な解釈に基づきますと、死後に昇天してグループソウルに合流できることが解脱あるいはモークシャ(自由)に相当すると思います。これはそれらの流派の解釈ではなくて個人的な解釈です。天国に行くことが解脱と解釈する流派もあるとは思いますけど、天国は割と普通に行けますし、そこにいる人は割と生きている人間とそこまで意識で変わりませんので、解脱というと(グループソウルへの)昇天が相当するのが合っているように思えます。


▪️大きな潮流
これは各自の意識、意思というものが関わっている以上、そこには大きな潮流のようなものがあって、例えば、高次の意識を持った人が多く転生して良い文明を興したかと思えば、その後、高次の意識が地球に興味を失って、低次の部分を切り離して高次だけ自分の星(あるいは世界、次元)に帰ってしまい、低次の意識だけが残されて、低次の意識の世界に次第に遷移する、ということが起こっている、あるいは、起こる可能性を感じるのです。そうなると、最初は高次の意識が降りてきて文明を作ったとしても、次第に、「分離」が起きて、高次の部分は学び終えて昇天してグループソウルに戻る一方で、低次の意識は分離後に地球に残される、という現象が起きるわけです。

このような状態であっても新たな高次の意識が降りてくるわけですが、それは各自の自由意思に委ねられておりますので個別で見たら自由なわけですが、それでも、全体としての潮流はあるわけです。

今は、この地球上において、高次の意識もあれば、低次の意識が優勢になっている状態であると言えます。それは必ずしも悪いことではなくて、高次の意識にしても低次と結びつくことで学ぶことがありますし、今は低次の意識であったとしても、元はといえば高次の意識と一体だったけれども残置物のように低次の部分が残されている場合があるわけです。


▪️グループソウルとしての「人格」と宇宙人
グループソウル全体としても「大きな人格」のようなものを持っており、その中には魂のコアのようなものが無数にありますからそれぞれの意識があるのですけど、それを束ねるものとしての人格があります。ですから、それぞれのグループソウルごとに考え方や理解が違っていて、それぞれのグループソウルでそれぞれ異なった(大きな)人格を成しています。

これは集合意識ともまた違っていて、文字通り、本当にそういう「大きな魂」を持った存在がいて、それは必ずしも土地と結びついているわけではなく、一見すると普通の人のようにも見える霊人が、そのオーラの総量としてはとてつもなく大きい場合があって、時には普通の人の数千などの魂を束ねるグループソウル(相当)だったりします。それは、実のところ、オーラの総量と知見においてはとてつもない違いがあるものの、この世は「大きなものの形が、小さいものの形にも宿る、逆もまた同様」と昔から言われているように、グループソウルとしての(魂とも言える)霊人と、個別の分霊としての魂あるいは霊人もしくは肉体に宿った魂、とでは、(オーラの総量や知見での違いは大きくあるものの)、存在としての形としては同じなわけです。そのような、大きな魂を持った存在がこの宇宙にはいて、地球に関与している魂の場合は地球の軌道上に(宇宙服など不要で)普通に素のままで(霊人として)漂っているわけですけど、その分霊が地上に多く転生してきているわけです。

(続きます)