これ、ハイヤーセルフではなくハワイのカフナのロウアーセルフ相当だった

2024-03-29公開 (2023-11-02 記載)
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

スピリチュアルで言われているハイヤーセルフとは高次の自己という意味でヨーガでは真我とかアートマンとか言われておりますが、今ある低次の自分に対して高次の自分、という区分けになっています。

・ロウアーセルフ(自我、思考する自分)
・ハイヤーセルフ(高次の自分、真我、アートマン)

大抵の場合はこの2分類で、低次の自分から、高次の自分に繋がりましょう(チャネリング、リーディング)というのが大半のスピリチュアルの流れかと思います。

これはこれで正しいのですが、ハワイのカフナなどでは3分類の区分けが使われています。

・ミドルセルフ(自我、思考する自分。普通の顕在意識。普通のマインド)
・ロウアーセルフ(地球、集合意識、集合無意識、全人類と地球の記憶)
・ハイヤーセルフ(それ以外の全て。宇宙、惑星、太陽など)

もともと私は最初の2分類で考えていて、どちらにもロウアーセルフみたいな表現が出てくるので紛らわしいのですけど、3分類で考えた方が分かりが良いのです。

普通の思考するマインドの顕在意識がミドルセルフで、ロウアーセルフが地球の全体意識、集合意識であって、ハワイのカフナの伝統によれば、ハイヤーセルフに繋がる前にロウアーセルフに繋がる必要がある、と言います。(フラワ・オブ・ライフ第二巻 P257より)

スピリチュアルではグラウンディングが重要視されていますけど、この、グラウンディングに相当するのがカフナのロウアーセルフであると言えます。

そして、「個」としての真我あるいはアートマンとしての位置付けも、一応は高次ではあるものそれは集合意識では(まだ)ありませんので、中間的な者であると言えます。

1.一般スピリチュアルのロウアーセルフ = カフナのミドルセルフ (普通のマインド、二元性のある意識)
2.ヨーガやヴェーダでの真我(アートマン)(個としての高次の自分、高次の自我、個としての内面のグランディング)
3.一般スピリチュアルのグラウンディング = カフナのロウアーセルフ (母なる地球、集合意識)
4.一般スピリチュアルのハイヤーセルフ = カフナのハイヤーセルフ(宇宙意識)

こうして分けてみると、どうやら、私が達しているのはまだ個としての段階であり、そして、スピリチュアルで一応はハイヤーセルフと言っている意識ではあっても、まだ個としての段階だった、ということなわけです。

そして最近、明確に意識し始めたのが3段階目としてのグラウンディング(=カフナのロウアーセルフ)で、同書によりますとこの地球の意識というのは「子供」であり、「遊び」が重要とのことです。

次の段階への鍵として私が(スピリチュアルカウンセリングなどでも)時々指摘されて意識してきた「子供のように遊ぶこと」が、思いのほかこの段階で大切になってくるようなのです。それは、一般的な意味で「まあ、そうですね」と普通にスルーしてしまいがちなこと以上に遥かに大切で、この人間の社会を生きているとそのような子供っぽいことに価値をそこまで置かずにスルーしてしまいがちですけど、この3つ目の段階においては、それこそが重要のようです。

そしてそれは、「今に生きること」と同意でもあり、瞑想で多少ながら「今に生きる」ということを体感しつつあったわけですけど、この段階になると、もっと具体的に、もっと深いレベルで「今を生きる」ことが大切になってくるように思うのです。

明日のことを考えるのではなく、今に生きること。

そうなると、もはや仕事なんて続けることができないのではとか思ってしまいますけど仕事にも色々ありますのでどうにかなるかなとは思いますけど、そのような心配は置いておいて、今の段階においては、もっと子供のように遊ぶこと、そしてそれは(スピリチュアルにおける)グラウンディング、ということなのかなと思います。

グラウンディングというと色々な意味で使われていて、2段階目の高次の(個としての)自我が出てきただけでも十分にグラウンディングが強まったわけですけど、ここで言っているグラウンディングは3段階目のもので、地球との結びつきを強めるグランディングが現時点での課題になってきている感じです。

課題とは言っても、今は、その重要性に気づいて、何ができていなくて何ができているのか明確になったわけですから、認識できたということであれば、次の段階の目標は割と明確かと思います。

そうなってみると、今まで(スピリチュアルな)ハイヤーセルフと漠然と考えていたものが、実は、個としての真我(アートマン)あるいはカフナのロウアーセルフそしてカフナのハイヤーセルフに細分化され、最近の課題で言いますと(一般的な)ハイヤーセルフの概念(そのもの)ではなくてカフナのロウアーセルフだった、という、ちょっと紛らわしくもあるのですけど細分化されたことにより段階と課題が明確になったように思います。

今まで、私の中で「これ」と感じていたもの。それが、実は今までは(おそらく)(一般的な)ハイヤーセルフと感じていたのですけど、それは、一般的な広義においては一応は間違いではないのですけど、「宇宙」にまで達した高次かというとちょっと違っていて、であれば、それはカフナのロウアーセルフ相当だと思うのです。

高次の意識の基本は(2段階目の)真我(アートマン)にあって、その上で、ハイヤーセルフと思っていたものが、実は、(カフナの)ロウアーセルフ相当だった、という、気づきがあったわけです。


・・・(ふとインスピレーションが降りてきて)(社会人としの生活の習慣がありますから)もちろん計画はします、計画を立てることに問題はありません。スピリチュアルな人生を生きると、ついつい、計画を立てずに行き当たりばったりになりがちですけど、計画を立てるのは大切なことです。そのことを学ぶために一旦はどん底まで降りて人間としての人生を生きて習慣づけしてきたとも言えます。その習慣は単にスピリチュアルな人生を生きているだけではなかなか身に付けられないもので、大切な経験と習慣であるわけです。ここで言っているのは、意識の状態のことです。明日の計画をしていても、その時に、「今」に生きていれば良いわけです。これはとても微妙なお話で勘違いされやすいのですけど、計画をすること自体は問題がなくて、計画をしている時に今に生きていないことが問題なわけです。明日のことに意識が向いてしまっていて、「今」に生きていない。でも、「今」に生きていて明日の計画をしているのならば問題ないわけです。これはかなりの違いです。スピリチュアルな人は往々にして、今に生きることを重視して計画を軽視してしまう傾向があります。実際、どちらも両立できます。計画を立てて、しかも「今に生きる」ことは可能なわけです。・・・・とのことです。