自分が耐えられるギリギリ辛い人生を選択する

2023-08-11 記載
トピックスピリチュアル

世間で「引き寄せの法則」とか「思い通りの人生を送る」と謳ったスピリチュアルが世間を賑わせていますけど、実のところ、本当のスピリチュアルと言うのは自分が耐えられる最高に辛い人生を送る方が一気に成長できるのです。この厳しい地上を生きるにあたって、単に生きるだけでも辛いのに更に辛い人生を選ぶというのはなかなか勇気のいることではありますけど、できれば、そうした方がスピリチュアル的には良いのです。

ですから、タイムラインを選ぶことができるとして、と言いますかこれはただ単に人生の中で選択を繰り返しているということですからなんら普通のことですけど、顕在意識では色々と考えて楽な人生を選んでいるように見えても、実のところ、本当のことは(顕在意識では)よく分からないことが大半なのです。ですから、引き寄せとか将来を思い描くとか色々したところで割と結果は変わらなくて、結局、自分の高次のスピリット(いわゆるハイヤーセルフ)が思い描いた人生を顕在意識としての自分(いわゆるジーヴァ)は送ることになるわけです。

その時、顕在意識の方でいくら「辛い人生が良い」とか「楽な人生が良い」とか思ったとしても基本的には大差なくて、ハイヤーセルフの方が決めた人生が割と既に「ギリギリ耐えられる辛い人生」なわけです。大抵の場合はそうなわけです。ですから、他人と比べても無駄で、もっと辛い人生を送っている人もいれば、そうでもない人生もあるわけです。

ただ、そうは言いましても、これはそのハイヤーセルフの考え方のようなものも反映されて、辛さにも種類があるわけです。ですから、何に対して辛いのかが人によって異なるわけです。

そして、皆が同じ課題を与えられるわけでもなく、一見すると単に惨めな人生だったり、はたまた、裕福な人生だったりするわけです。

このあたり、ハイヤーセルフがある程度の人生経験があってその世界を知っている場合は割と計画的だったり辛さもかなりのところまで落とし込んでくるわけですけど、ハイヤーセルフ自身が割と考え無しの場合はそれがそのまま「送りたい人生」になっていて、辛いこともさほどない代わりに、成長もゆっくりなわけです。

顕在意識とハイヤーセルフは割と繋がっている場合もあれば分断されている時もあって、繋がっている場合はそれは自分の意識がそのままハイヤーセルフということですから自分がそのまま幽体離脱した時に自分の意思としてタイムラインの選択が可能になります。一方、ハイヤーセルフと自意識が分離している場合はハイヤーセルフの意図は窺い知れないことが多くて、時折インスピレーションが降りてくる程度になります。

どちらにせよハイヤーセルフが人生を計画するわけですけど、あまり慣れていない場合はなんとなく大丈夫そうなあるいは面白そうな人生を選んで、そして、慣れてくるとギリギリのところを攻めてくるわけで、そうなると辛い人生のもなったりするわけですけど、そのハードルは超えることができるわけです。そして、それを越えられなければやり直しになるだけのことで、そこまで気にすることではありません。

そういう観点に立つと、世間で言われている「引き寄せの法則」は悪魔の囁きの種類であることもあるように思うのです。全部とは言いませんが、そのように上手いことを言って新興宗教のように人を引き寄せて利益を享受しようとしている怪しいスピリチュアルが一定数いて、それゆえに、現世利益的なスピリチュアルには気をつけた方が良いわけです。「思い通りの人生を送る」なんて甘言で人を引き寄せるのは怪しいことが多いように思います。

むしろ、私は今のところ聞いたことがありませんけど「今よりも、もっと辛い人生、ギリギリ耐えられるような人生を引き寄せる」というスピリチュアルがあったら、それはそれで、もしかしたら本物かもしれません(断言はできませんが)。

そんなことよりも、もっと、基本的な普通の人生を精一杯生きれば良いのです。学生なら勉強をしっかりやって、社会人なら仕事に打ち込んだり、専業主婦なり子供を育てているならそれに専念すれば良いわけで、「良い人生を引き寄せる」なんて怪しい言葉は基本的に相手にしない方が良いのです。

そういうのは、実のところ、誰にもお願いしなくても自分で既にやっていることで、各自すれば良いことで、わざわざ誰かに頼んで依存しなくても良い種類のものなわけです。依存させてコントロールしたい人たちがそのような甘言を言っていることも時にはあるわけです。

一見すると人生が楽になってしまっても、まだまだやることはあるわけで、終わりはないわけです。そういう、楽とか辛いとかそういうところにスピリチュアルの本懐はないわけですけど、甘言のスピリチュアルはその本懐ではないところで人を引き寄せているので、気をつけた方が良いわけです。

スピリチュアルの本懐は「自由になること」なわけで、楽とか操作とか引き寄せとか、そういうことではないわけです。