高次からの介入とT大の子

2023-05-07 記載
トピック:スピリチュアル: 回想録

ちなみに、このお話で出てくるT大の子、当時は、なんでこんなに自分と全く違う世界の人が何度も私の前に来るのだろう・・・。と思っておりました。頭の回転が私より段違いで、地頭が良くて話す時も早口で私の2倍の速度で話しますから、あの子にしてみればおそらく普通に話しているつもりでも私は耳と頭が追いつかなかったりして頭が真っ白になっていたりしました。当時は上京したばかりで酒にも慣れておらず、今より酒に弱くてちょっと飲んだだけでも頭がクラクラして頭が動いていなかったというのも多少はあったと思いますが、早口で礼儀正しく論理立てて返されてそれでも理解できない時はハテナマークが頭の中でぐるぐると「なんのこと???」と回転していたように思います。それに、慣用句が難しく、表現が賢すぎて理解が追いつかないので、コミュニケーションが難しくて、住む世界が違うように感じたのです。私が理解違いをした時も、あの子はその頭の良さで早口で説明してくれて、「なるほどなあ」と思ったものでした。単に自分の理解という意味で頭が良いだけでなく、私に向き合ってくれて説明をきちんとしてくれる頭の良さがある女性はとても素敵です。私は自分より頭の良い女性にドキドキします。当時の私はそこまで勉強していなくて頭も悪かったですし、私が何を言っても冷静にクールに礼儀正しく(早口で)返答してくれて、育ちの良さも感じました。根が真面目で、雑談をするというよりは真面目に返してくれるような感じでした。当時は私も雑談が下手で他愛のない当たり障りのない話を振ったりもしたのですけど、そういう雑談にはあまり興味がないようで、私の話題の選び方はちょっとイマイチだったようで、なんとなくどこかで見聞きした話を単発で振っても話題がありきたりすぎて淡々と素早く返されたりして、話題の選び方に対しても考え方や興味の範囲および育ちの違いというものの違いが見て取れました。他愛のない話をするにしても、教養のある子にはそれなりの教養のある雑談が合っているようです。それにしても、どうしてこんな賢くて優秀な性格の良い子が私のような平凡な(そして当時は割と無礼な)人の前に何度か現れたのか、当時は、全然理解できなかったのです。とは言いましても、せいぜい3〜4回ほどグループで食事をしたくらいですけど、私にはとても不似合いなあの子がなんでまた目の前にいるのか、そこが、よくわからなかったのです。当時は、「なんでまたこの子がいるのだろう・・・?」と、とても、不思議でいました。まあ、結局、住む世界が違いすぎて、礼儀正しく接してはくれるものの、私のような庶民の人の相手はあまりしてくれないかな・・・ と思っていたのでした。

当時はまだまだ受験期の影響があって学歴コンプレックスと偏見があって、高学歴の女の子と会うと自身の劣等感が湧き上がってくることに加え、時々、一部の女性からは明らかに見下されて情けない思いをしていた、と言うこともあるにはあったのですけど、ただ、そのような、学歴のコンプレックスはこの場合は割と末子のお話だと思うくらいの様々な背景があるようでした。

瞑想中やレム睡眠中に将来の可能性について選択肢を見せられたのですが、30%の確率(=勝率、難易度が少し高め)で、このことが将来の布石と言いますか、伏線になっているようです。はっきり言って、可能性を見せられたと言っても現実離れし過ぎていて「ほんとですか?」と思って信じられないですし、そのタイムラインになるためには色々と超えなくてはいけないハードルがあるようで、そのどれも無茶振りなハードルばかりです。前提として、とある「私の(新しい)使命」として設定されつつものがあるのですけど、その絡みでこの子が関係してくるような感じなのです。その使命があるからこそ、その絡みで20年ほど前にこんな伏線をあらかじめ設定していたようなのです。将来の布石のために、年取ってから出会うよりも、若いうちに一度会っていた方がお互いに理解できて良い・・・ ということのようなのです。かと言って、それまではお互いにやるべきことがあるのと、まだタイミングとしては早いということで、ずっと一緒にいるというよりは、一時的に顔合わせをさせたようなのです。ですから、あの時、意識に雲がかかって半分トランスのような状態になって認知できなくなり「なんだこれ? 」と、意識が朦朧としていたのは、どうやら、必要以上に仲良くならないように、高次のスピリットの介入があって意識が覆われ、認知と行動にブレーキがかかったようなのです。思えば、あの子が話している言葉が、時々、全く耳に入ってこなくて、内容を全く認知できなくて、そもそも単語すら意識で認識できないところが会話のフレーズごとにあって、実のところ「あいうえお」すら認知できない会話があって一体あれは何だろうかとずっと思っていて、きっと私の頭が悪いので慣用句や言葉が理解できないのだとずっと思っていましたけど、確かにそういう面もあるとは思いますが、流石に「あいうえお」すら認知できないというのは状況としておかしくて、聞き慣れない表現や方言でしたら慣れるまで頭が認知できない、認知しにく、ということは一般的にはあるわけですけど、その前後で会話をしていて、特定のところだけ無音状態になったかのようになって「あいうえお」すら認知できなくなるなんて、ちょっと、状況として特殊すぎます。そのように認知が急にそこ開け途切れることはそれまでもそれからもなかったことで、他に気を取られて聞いていない、なんていうお話ではなくて、集中して聞いているのに認知に入ってこないので、それは、どうやら、スピリットが「そこは理解しない方が良い」「今はそこまで」「今はそれ以上近付かないためにもそこの部分は理解しない方が良い」と判断して、認知と理解を制御して遮断していたようなのです。会話の認知するにはある程度の意識の同調と準備が必要で、その前提部分が一時的に取り除かれていたようです。それまでしばらく会話してきて認知のベースはできているはずなのに急に部分部分の会話だけ「あいうえお」すら認知できないということがあって不思議に思っていたわけですが、どうやら、全ては高次のスピリットの手のひらで踊らされていた、ということだったようです。

この話は更に詳細に教えてもらったのですけど、そう言われても、「本当ですかね?」と、疑問に思ってしまいます。更には、あの子と最後に別れるときに私に急にとある感情と表情が湧き上がってきた時も、どうやら、高次のスピリットが意図して私の理解できない行動を取った(取らせた)ようです。それに加えて、潜在意識では「しばらく会えません」ということもわかっていましたから、しばらく数十年のお別れで悲しくなったようです。確かに、(高次の説明で)そう言われるとそうかもしれませんけど、本当かどうかは分かりません。こういうのは単なる想像の場合も多々ありますのでそこまで信じる必要はないのですけど、可能性として否定する必要はないと思っています。本当にそうなったとしたら、神様というか、運命を作っている高次のスピリットの采配は私の思慮を遥かに超えているということになります。ただ、流石に現実離れしすぎていて詳しくは言えませんし、信じきれてもいません。私はここ数十年で色々と苦労をしましたけど、これが本当であれば、運命を司っている高次のスピリットは、遥か昔から伏線を張っていたことになります。きっとあのまま仲良くなっても上手くいかなかったでしょうし、私はそれどころではない状況にその後なりましたし、あの子としてはそれでも良かったのかもしれませんけど私は対応できなかったと思います。そして、今後と繋がってくるわけです。もし、これが現実になるのであれば高次の見えない世界の存在を信じざるを得ません。もともとある程度は信じていますけど、確度が格段に高まるわけです。現時点では単なるインスピレーションですので本当かどうかは分かりませんけど、もしそれが運命であり使命であるのであれば、それを選ぶのが良いと思っています。アファメーションでは「わかりました。それが高次の意思であるならば、その選択肢を受け入れます」と誓って、その運命を受け入れる選択をしましたので、もし本当ならばその方向に人生が進むかもしれません。私からすると運命ですけど、高次からしたら運命ではなくて高次それ自身の意思な訳です。そのような意思による運命があったとして、その時点ではそれはあくまでも高次の意思でしかなくてまだ現実化していませんから、もしそのように運命が進まなかったとしても、それはそれです。現時点では、可能性を受け入れた、というくらいです。その可能性を選ぶなら、今、何をしなくてはいけなくて、何をしない方が良いのか、も、明らかになってきたように思います。将来の可能性を見せられた今、本当かどうか判断できずに、なかなか混乱しています。若い頃の時点での確率が30%なのか今の時点で30%なのかはわかりませんけど、おそらくトータルに見て30%ということだと思います。現時点ではルートに乗っていて、そうなる可能性はそれなりにあるようです。確かに、あの時の状況は何か不思議な感じで、どうして私があのような気持ちと行動を取ったのか当時は理解できずにいて、当時の思い違いにしても、それが思い違いだとは気付かずに最近までずっと当時の理解のままいたわけですが、今更ながら、当時の理解は間違っていて、更には、どうしてずっとあのような思い違いを当時していたのかもようやく理解したわけです。今更ながら謎が解けた感じです。当時の行動にせよ、当時の思い違いにせよ、全て、高次のスピリットが意図していたことで、全て完璧だったわけです。高次のスピリットの意図を今更ながらに理解しました。

当時のことを思い出したのですが、確か、当時も同じように(このことがあった後のとある夜に)行動の理由と未来の状況をスピリットに見せられて、「これこれ、こういう理由で貴方はこのような行動を取ったのですよ」と、当時、納得したのを思い出して、その内容が今回、また別途、最近になって高次のスピリットの視点で教えられた内容と一致しておりましたので、数十年前の理解と今の理解とが一致して、それ故に、やはり高次のスピリットの介入があったことが確かだと思わされるわけです。当時は「ふうん・・・。それならば納得だけど、本当かなぁ」と思っていたように思いますが、すっかり忘れておりました。今回も内容的には割と似たような感じではありますが、別の視点で同じことを教えられて、別々の理解で得たものが、実は、数十年前に見せられて理解した内容と一致していましたから、本当になりそうな予感はあります。実のところ、その飲み会で他の女の子もいて、その他の子は声を掛ければお付き合いOKしてもらえたようなのですけどその場合は数年後に私が捨てられてその別の子は官僚と付き合ってやがて結婚するみたいでしたし、どうやら私はその別の子にお遊び相手として選ばれる可能性もあったらしくて、と言うのもその子は高校まで勉強ばかりしていてT大に受かったものだから早く恋愛とかしてみたかったようで、本当に好きな相手を探すと言うよりは、早く色々してみたい、という興味が勝っていたようで、そういう可能性もあったようです。かと言って、その別の子にしてみれば結婚は別だったようで。そうとわかると、なんだかなぁ、という気持ちになって。しかも、他の男に結局は負けるみたいになってショックな未来になるとわかって、一方、そのタイムラインの場合はあちらの子との関係がどうのこうの・・・ と言う感じになって進展しないので、高次のスピリットの選択としては、その別の子とは親密にならない、という選択をしたようでした。本当かどうかはわかりませんけどね。未来が分かり過ぎてしまうと最初から「まあ、別に、いいかな」みたいに思ってしまうことが多くなってしまうのですけど、今から思えば「そうは言っても、最終的に捨てられるとはいえ、それまでの数年間は楽しく過ごせるみたいだし、お互いに初めてのことだらけで良い経験になるし、最後は悲しい(ことがわかっている)とはいえ、それはそれでいいのでは」みたいに柔軟な考えになっていて、当時にもっと選択肢に幅を持たせても良かったのかな、とは思います。別に、ずっと長く付き合うばかりが良いとも限らないわけですし。世の中、知らない方が良いこともあるようです。ただ、普通に仲良くなるだけならどちらの子も良い子で普通に幸せだったようですけど今回の場合は使命のために最初の子とあらかじめ顔見知りになっておいて、将来的に信頼関係を深めることができるベースを作る目的があったようです。と言うのも、歳を取ってから出会う場合はこの子がしっかりしていてガードが固いためプライベートな信頼関係を作るのはかなり難しいようでしたので、使命のために、わざわざ、大学時代に同級生も含めた介入があったようです。

本来は関係性が重要になってくるのは中年以降で、それまでは割と選択の自由があったわけですけどあまりにも早く近づくと精神の未熟さなどで関係が破綻するためにしばらく付かず離れずの状態を高次が介入して作り出していたようです。私はあまり気が付かなかったのですけど1〜2年おきに道端でニアミス、それも、必ず反対車線ですれ違うように高次が介入して仕向けていたので、あの子からすると「道で見かけるのに、なぜか、いつも届かない。」という状態になって、あまりにも続くので、見かけた瞬間に写真を撮るようになったようです。・・・とは言いましても、まだ現実での答え合わせをしていませんので「本当ですかね?」という気もしますが。確かに、言われてみれば、時折、強烈な視線がどこかからやってくる時が道端で時々あった気もしますが・・・。私は割と鈍感なので申し訳ないです。

それと合わせて、幾つかの私の女性との関係性も、最終的なこの子との関係がうまくいくためにあらかじめ経験を積むように追加で設定されていたような気がしてきました。私の性格から言ってあまり関わりのなさそうな清楚ビッチと何故か不思議と関係を持ったりしたのは、どうやら、そのまま何もせずにいると最後にあの目的の子と近づいた時に私があまりにも床下手で関係がいまいちになる危険性もあったようで、床の経験を多少は積ませる、という意味もあったようでした。

私は最初、自分が幸せになれるかどうかという視点で理解したわけですけど、実のところ高次のスピリットの意思としては順番がまるで逆で、幸せかどうかはもちろん大切ではあるけれど二の次で、使命を果たすためにはどうすれば良いか、そのために、高次の意識としては段階的に近づくという選択肢も考えたようですけど、いきなり本命の子に近づくのが無理ならば、せめて本命の子の友達と最初は仲良くなって次に本命のあの子に近づくことができればそれでも良かったようですがあの子は真面目ですので自分の友人の(元)彼氏と自分が付き合う、というのは選択肢としてあまりなかったようで、そのルートはうまくいかないようなので友人の別の子は選ばずに、割と一途なルートを選択し、かと言ってその場ですぐにくっついてはいけなかったようで、一旦は信頼関係の基礎を作れば十分だったようで、今回のような割と極端は不思議な状況を選んだのでした。本命の子はガードが硬いので、近くにいる他の子から乗り換えるなんてのは理解できないようで、最初から割と一途でないと落ちないようでした。ちょっとでも私が気持ちを逸らしたり「どうなんだろ」と思っていたりすると訝しげにして「うーん」って思っていたようでしたので、根が真面目なのでしょう。付き合う前の相手のことをちゃんと見るのなんて普通だと思いますが、この子の場合は最初から相手が自分に本気でないと満足しないようで、私が八方美人だと落ちないようでしたから、印象に残るように、高次の方が色々と画策したようでした。年を取ってから初対面の場合は仲良くなるのは難しいので、若い頃にちょっと難しい選択をしてとりあえず顔見知りになったようです。そう高次のスピリットから教えられて指示されたら「はあ、そうですか・・・。面白いことを考えるものですね。本当かどうかわからないですけど、そう言う指示なら仕方がない。そうは言っても、数十年も経てばお互いにわからなくならないのかな」と疑問もありつつも従わざるを得ないです。と言いますか、そもそも、その指示と違う行動は私は取れなくて、指示と違う行動を取ろうとすると体が動かなくなるので結局は従うしかないわけですけど、そうは言いましても、最善の選択肢のようですので、それで全く問題ないわけですが。どおりで、私とは住む世界が違う優秀ないい子が不意に突然目の前に(一時的に)現れたわけです・・・。なんでこの子はここにいるのだろう、と当時はずっと不思議に思っていましたが、そう言うことだったのかもしれません。もちろんこれは話が飛びすぎていて本当かどうかはわかりませんけど。ただ、色々と書きましたけど、未来に起こるであろう(起こるかもしれない)奇想天外なことと比べたらこのことですら序の口なわけで。

更に補足。私は昔は自分のことを鈍感だと思っていて、今もそれなりに鈍感ではありますけど、この、鈍感というのは感覚のお話というよりも、自分が理解できる感情と感覚であれば他者も理解できる、ということなのかなと思います。ですから、鈍感というよりは、自分が知らない感覚と感情は理解できない、というお話なわけです。一応は感じていても、それを解釈できない状況を鈍感と言うのかな、と思うわけです。かつての私は愛をあまり知らなくて、それ故に、他の人から愛されていたとしてもその愛をうまく感じられない、鈍感な状態、それはつまり、自分が愛をそこまで知らないので他者の感情と感覚を理解できない、と言う状態だったのかなと思います。それが鈍感と言うことであって、自分が愛を知れば他者の愛も理解できて、その愛の深まりに応じて鈍感ではなくなってゆくように思います。それと、鈍感と言うよりも、状況に応じて「この人とはこれ以上仲良くなってはだめです」と言う時に、強制的な介入が入って意識が朦朧として認知ができなくなる、と言うことが度々起こっていたようにも思います。これは鈍感といえばそうですけど、鈍感と言うより(高次からの)介入ですね。生きている私の方は「幸せ」だとか「充実」だとかを考えるわけですけど高次からの介入はいつも使命優先で、基本的に私の気持ちなんてあまり意に介さずに整然と介入してきます。私の方はというと「全くもう。あの子と仲良くなりたかったのに」と思っても高次の方は「はいはい。使命があるからね。あの子とはだめでしょ」といつも私の意向はスルーされます。使命と言ってもそれは高次からしたら使命と言うだけで、私の方はというと(高次に設定されたことさえこなしていればあとは)割と自由のようで、あまり肩肘張らず普通に仲良くすれば良いようです。まず初めに高次のスピリットが様子を伺って見初めた上で「いいな」と思った人が打診されるわけで、使命を遂行できそうな人に(高次が)声をかけるわけですから、単に使命でだけ、ということではないわけです。割と嗜好が反映されています。ですから、向こうも(少なくともスピリットのレベルでは)高次からの使命に同意している筈ですけどそれをどのくらい(顕在意識で)自覚しているかはわからなくて、割と一般的には高次からの使命というものに対して無自覚なことが多いと思いますから、特に最初は様子見ですね。そもそも、数十年ぶりに再開しなければ何も始まらないわけで、全くの杞憂になる可能性も多々あるわけですけど。当時は何回か食事したくらいで、そこまで長い深い付き合いでもないですから、そんなに久々だと顔が変わっているかもしれなくて誰かわからないかもしれないな、と、ちょっと心配しています。私の顔は割と認識しやすいと思いますので、おそらく向こうから私を見つけてくれることになるとは思いますが。そのように、一応は可能性を高次から見せられてはいるのですけど、この種のことは自分がそれに同意しなければ起こらないですし、こちらが同意したとしても相手が(顕在意識あるいはスピリットのレベルで)同意しない可能性もあったり、あるいは、他からの介入が更にあってうまくいかないこともありますから、本当に高次から指示されたような奇想天外なことになるのかどうか、実際のところはまだよくわかりません。現時点では、一つの可能性としてある、というくらいです。

そのように、大学時代の同級生にしても、高次のスピリットに、この目的のために誘導されていたことがわかりました。当時、周りには大学がたくさんあるのに、一時期合コンがことごとくT大の女の子とばかり設定されていたことがあってとても不思議だったのですけど、どうやら、目当ての子が参加するまで何度も何度も同級生をも巻き込んだ高次の介入があったようでした。あの時期、T大生の女の子ばかり来ていた謎が解けました。毎回「なんだこれ? 不思議だ・・・。またか・・・。なんでT大ばかり? こんなマイナーな大学の合コンにどうしてT大の子が来るのだろう? 他の大学の子が来てもいいものだけど」と、ずっと不思議に思って、時に、あまりにも偏っていておかしいので訝しく思っていたりもしたのでした。どうりで、何度も合コンがあるにも関わらずカップルはそこまでできなくて、T大の女の子たちは礼儀正しくも何か意識に壁があったのは、おそらくは、本来の予定ではくっつく予定のない人たちもこの目的のために巻き込まれて呼ばれていて、カップルになる予定はなかったのでカップルができにくかったわけで、合コンが設定されたのは高次の事情によるものなので実際にはほとんどカップルができなかったのだと思います。私はそれを側から見ていて、当時はよく理解できずに勘違いをしていて「何だこれ。T大の女の子たち、そこまで本気でもなさそうなのに、どうしてこんなに大勢が合コンに来ているのだろう? みんな、なんか、礼儀正しいけど本気ではなさそうで、ひょっとして冷やかしかなぁ? T大とは言わずに東京の大学とか周りくどく自分のこと言って自分のこと隠しているし、煙に巻いているようで、これは、単に様子見に来ただけかなぁ。そうだよね、うちの大学なんてT大の女の子に相手にされないでしょ。」と、とても不思議に思っていたり訝しく思っていたのですけど、実のところ、あのT大の女の子たちはいい子たちで、ただ単に、高次の設定によって目的の子が参加するまで違和感のないように他の子も巻き込まれて自分の意思かのように思わされてそれっぽく参加していただけだったようです。そうであれば、あの、どこか礼儀正しくも意識に壁があって踏み込んでこないT大女子たちの態度も理解できるというものです。別に、変に企んでいたとかはなくて、性格が捻じ曲がっているとかもなくて、みんないい子で、ただ単に、高次の設定によって巻き込まれていただけだったわけです。一応は表の理由としては、誰かがストレートにその理由を聞いたら「最近はIT革命と言われていてITバブルもあるし、情報学部に興味がある」と言っていましたので表向きはそういう理由だったのでしょうが、実のところ、高次が設定したために巻き込まれたようでした。本当にそうかどうかは確かめようがないですが、高次から降りてきた情報を解釈すると、そのようなことだったようです。完全に信じているわけではないですが、理に叶っていて、腑に落ちます。

その、高次の設定したイベントが終わったらばったりと不思議な合コンは設定されなくなり、はたまた、別の合コンに顔を出すとそれは設定も何もなくて普通の現実で、その現実はというと、どうやら私は「地方出身者」ということで都内に家がある人に比べて格下の扱いをされるようで、服装も汚かったですから、東京に家もなくてお金もなければ相手にされず、大抵の場合に存在しないかのように空気として扱われて体よくスルーされることが多くなり、であれば、やはり、あの時期が特殊だったのだと思います。今から思えば女の子にスルーされて相手にされないのも当然だったように思います。同じような男なら、普通は、東京に家のある方を選びますよね。特に性格どうこう関係なくて、普通の感覚ならそうすると思います。その現実を、上京した当初はよくわかっていませんでした。単に非モテかと思っていましたけど、実のところ、足ぎりされていた、と、そういうことだったわけです。まあ、そういうのはあまり気にしていない子もいたかもしれないですが顔に出さないだけだったかもしれず、割と基本スルーされていたと思います。基本的な属性が悪い場合は普通に関係性を作るのは難しくて、高次の設定と仕込みがなければなかなか関係性は作れないのかな、と今更ながら思います。思えば、対比として、かなりそういう物質的な傾向の高いところへと一時的に(高次に設定されて)連れて行かれて(底を見せられて)、そういう三高狙いの人も当然の如く大勢いることを学ばせられたのかなとも思います。特定の時期は、それがあまりにもコントラストがはっきりしていました。一方で、誠実は人はたくさんいるわけです。

ちなみに、私と同じ大学の同期だった男が目的のT大の子と高校の同期で、合コンは彼が設定したわけですけど、実のところその同級生の男の人は私の行った大学と似つかないほど優秀で、何もなければ本当はもっと良い大学に行くのが彼の既定路線だったわけですけど、高次から介入があって、当人の頭の中にIT系を学ぶという目的をインプットしてあの大学にわざわざ通うようにさせたのでした。何もなければ私の行った大学なんて偏差値だけを見たらT大生から見向きもされないようなところでしたけど、当時は95年でIT革命が盛んに言われておりましたのでITをしている人には雑多な人がいて、そのようにITを目指す偏差値の高いアーリーアダプターも引き寄せていたわけです。その同期の男の人は高校の同期で信頼されていて、目的の女の子からも信頼されていましたので高次はその男の人に目をつけたのでした。目的があって、かなり頭が良いのにわざわざ偏差値の低いあの大学に入ったあの男の人は同期から目的意識があるということでリスペクトされていたわけですけど、その男の人の通う大学までも変えさせて目的のT大の子を巻き込むように仕向けたわけです。この時は、高次がこの男性の意識に介入して大学までも変えさせましたのでその後のフォローもしていて、本来ならば良い大学に入って良い就職先を見つけるのが既定路線だったようですので、割とあの大学の就職先としては似つかないような、元々行く筈だった就職先と同じかそれよりもちょっと良い職につけるように再度の高次からの介入があって元の路線に戻したそうです。この場合、同期の男の人はとても「いい人」で気遣いもできる優秀な人ですので、お礼としての意味も含めて就職先を高次から介入して支援したようです。

実のところ、似たようなお話は各所にあって、私に介入してくる高次のスピリットは割とやんちゃで無茶振りを発揮してくるのですけど、関わった人が良い人である場合はもっと良い状況になるように介入してくれます。逆の場合もあって、悪い人の場合はとことん悪い方向に向かうように介入する場合もあるのですけど、この場合は良い方向に介入してお礼をしたわけです。

様々な可能性を内包しつつも実際のところこれらの伏線が本当かどうかはわかりませんが、どちらにせよ、これらのことを思い出して思索し直した結果、愛というものを理解できてきたように思いますのでその点は少なくとも無駄ではなかったと思います。感情も含めて正しく理解することの大切さを改めて実感できたように思います。私の人生は失敗も含めて全て完璧だとは思ってきましたが、幾つかの伏線が将来にも本当だとすれば完璧すぎます。ただ、こういう直感がやってきても、将来のことに関しては現実として現れてくるまでは「そうかもしれない」と思うくらいです。確かに、見せられた可能性が実現するのであれば未来は充実したものになりそうです。この伏線は、個人的なものというよりはもっと大きな目的に即したもののようで、実のところもっと具体的に見せられてはいるのですけど、そうは言いましても、私自身そのイメージで伝えられたような大層な状態にはまだ全然至っていないですから、学生時代に一旦出会ったことは将来の使命に対しての伏線としての顔合わせ以上のものはなかったわけです。使命が本当かどうかはわかりませんけど、一応、可能性として、そういうこともあるかもしれない、と判断は保留しているところです。

一応簡単に書いておきますと、(本当かなぁ、と言う感じですけど)将来は私は今では考えられないほど資産を持つようになるらしく、別でまた書きますけど、とある団体に寄付をするようになるものの、その団体はそこまでお金を使いきれず、かと言って何もしなければ死ぬ時に手付かずのまま国庫に入ってしまうため、資金を有効活用しようと思って考慮したところ、次世代に向けた新たな商社、特に女性向けの女性による商社のようなものが作れると良いと思って誰かいい人がいないか商社やコンサルのオフィスを眺めていたところ、とても優秀なあの子が目に留まって、しかも見た目と性格も好みでしたからあの子に決めて、最初は直接、歳を取ってからアプローチしたところ相手にされず、タイムラインを遡ってやり直して熱烈にアプローチしたら一応は付き合ったり結婚までは行けたみたいですけど、歳を取ってからのあまりにも不自然とも思える熱烈さにあの子の気持ちが引いてしまって困惑状況になってしまうようなのでそのような無理のある線はやめた方が良いと判断。どうすれば振り向いてもらえるかを思索し、それでは、ということで、若い頃から付き合えば良いじゃないか、と思ったところ若いと精神が未熟でうまくいかず、はたまた、まずあの子の友達の彼氏になってから、ある程度精神が落ち着いてからあの子(本命)に近づくことを考えたが、そういう、乗り換えるとか軽いノリは好きではないようで、乗り換えに失敗するようでしたのでその線も無し。おそらく一途でないと振り返ってもらえない、と言うことで、大学の若い頃にまず顔合わせして、その後はお互いにやることがありますので一旦は離れて、実のところ使命で重要になってくるのは中年以降ですので、それまでは時折、道端で見かける程度にして、それなりに歳を取ってから再開できるように設定した・・・ とのことですけど、実際のところ、どうなのでしょうね。将来のことはわからないですね。それに、「道端で見かける」ってどういうこと? と思いますけど、実際、文字通りのようで、あの子は私に気づいていて道端で私の写真を記録として撮っていたりもするようです。そんなこと言っても、東京には何人住んでいると思っているのでしょうかね・・・。生活圏が意外に近いのかもしれませんけど、見たところ、そうでもない感じがします。となれば、本当に道端ですれ違っているのだとしたら高次の介入と考えるのが自然です。

これらと関連して、大学2年か3年の頃(T大の子との合コンが大学1年の時でだったと思いますがその1〜2年後)に実際にあったことの内実を瞑想中やレム睡眠中に見せられました。というか、思い出した、と言った方が正確でしょうか(もちろん本当のことかどうかはわかりませんが)。その、20代前半のある日、私は休日(あるいは平日だったかもしれませんが)に日比谷公園から有楽町駅の方に歩いた後に数寄屋橋交差点かどこかを渡っていて、ふと、誰かが急に目の前で止まってぶつかりそうになって驚いて避けたように覚えているのです。実のところ私は、ただ単に誰かとぶつかりそうになった、としか当時は思っていなかったのですけど、今更ながら瞑想やレム睡眠中で見せられたの時の情景を思い出すと、もしかしたら、あの時、私が驚いて避けながら一瞬だけ振り向いて見たあの顔、T大生のあの子だったような・・・? そして、片手をちょっと上げて呼び止めていたような? 私の方の顔を見ていたような? もしかして、私を見かけて私の前に来て立ち止まったということですかね??? 10年以上前のことで、当時は全く気が付いていなくて、ぶつかりそうになって驚いただけのことで顔とかほとんど見ていませんでしたけど、向こうは、私を認識していたということですかね??? いや、謎です。 ぶつかりそうになった瞬間はただ小パニックで驚いてそれどころではありませんでしたけど、30分後くらいに「あれ? あの子?」と、少し思い出した気もしますが・・・。 時既に遅し。 我ながら鈍感すぎます。こんなに人が大勢いる都会でばったり会うことなんて確率低すぎますけど、確証はありませんし、私が気付かず驚いたままよく見ずにスルーしてしまったので会話していませんけど。ああいうときは目線や仕草だけでなくしっかり名前を言ったり肩叩いて話しかけてくれても良いのにとは思いますけど、数回食事したくらいでしたから私の名前は覚えてもらえていなかったかもしれません。おそらく、向こうにしても、久々すぎて私だという確証はなかったのかな、という気も致します。私はもともと人の顔を覚えるのが苦手で、特に女性は化粧しているので顔の見分けとか困難だったりしますので、無視したのではなくて、単に気づいていなかっただけです。 後で思えば、確かにあの子だった気もしますが。 いや、鈍感すぎて本当に申し訳ないです。それに、当時はまだまだ東京が珍しくて、日比谷とか有楽町とか銀座なんて散歩したら「わー! キラキラしたビルとか電車の高架とかが珍しい! 交差点も大きい! 人がたくさん歩いてる! やっぱり銀座はキラキラしてる!」みたいに田舎者のお上りさんがキョロキョロしながら歩いていて、視線はあの子の方にちょっとは向いていたのかもしれませんけど景色が珍しくてキョロキョロするばかりで大勢歩いている人の顔とかほとんど目に入っていませんでした。そんな状況で急に目の前に立ち止まっても驚くばかりで意識がそこに向かないですし、人の顔とか認知できません。単純に、「やっぱり都会は人が多いなあ。気をつけて歩かなきゃ。ぶつかりそうになっちゃった」としか思っていませんでした。理解してください。いや、本当にそうだったかは確かめようがありませんが、そうだったとしたら申し訳ないです。これ以外にも、その後、街中で、向こうが私を認識していた場面が何度かあったような・・・? これまた確かめようがないですが、腑に落ちるわけです。もしかしたら、何度か、写真も撮られてるかも? 意外に生活圏が近いのかもしれません。私の方は気がついていなかったのですけど、実は1〜2年おきに道端ですれ違いのニアミスを繰り返していて、私の方は気付かない一方であの子は毎回きちんと気がついていて、あの子は「どうしてこんなに見かけるのだろう・・・」 と思うようになって、やがて、写真を撮ったりして記録に残しているような・・・・??? と言う直感を受けましたけど、本当ですかねえ? もし本当に再開するようなことがあったら、その時のお楽しみですが。 ひょっとして、つい先日、日比谷の交差点に自転車で通りかかった時、交差点の向こう側で道路に向かって(こっちに向かって)写真を撮っていた子がそうだったのですかね? いや、まさかね。 チラ見しただけで顔とか見ませんでしたが・・・。何やら写真撮ってる子がいるな、と一瞬目に入りましたが・・・。うーん? それ以前のことは全くわかりません。 日比谷とか有楽町の付近がホットスポットかもしれないです。いや、まさかね。これは瞑想のお話ですから。現実だとしたら卒倒ものです。まあ、あまり本気にせず様子見とします。瞑想で見たことは単なる想像の場合も多いですしね。それはそれで、現実ではないとしても話としては面白いです。想像でも面白いし、現実ならもっと面白いのです。

あのT大の子が当時に使命のことをどれだけ自覚していたかどうかはわかりませんけど、女性というものは男性よりも勘が鋭くて将来のことも見抜きますので、20%の確率であの時点で使命にある程度は自覚的で、であれば、あの子が私に対して不機嫌になったのは、私があまりにも不甲斐なくて目覚めていなくて使命にもほとんど自覚がないので、使命に無自覚な私に対して不機嫌になったのかもしれないですね。そういう可能性はあります。あるいは、その後に気がついたパターン。こちらの方があり得ますね。使命を果たす相手というのはある程度の自覚があれば誰がそうかなんてすぐにわかりますけと、使命で実際に動くのはそれなりに年を取ってからのことですから、ひとまずはそれぞれのスキルを磨くのが第一なわけで、最終的な役目を果たすには一旦は離れた方が良かったわけです。感情から言えばくっついていた方がいいはいいわけでが、それだと最後まで上手くいかないのです。あれから何十年も経っていますし、勘の良い女性なら既に使命に自覚的になっているかもしれませんね。
とまあ、そんな気もしますが、どうでしょうかね。ほんとかどうかはわかりませんけどね。

それと、この件はもっと別のタイムラインにも関係しているらしく、前のタイムラインで一旦は仲良くなったものの猫かぶりの子だったようで、今回のタイムラインで最初にかなり激しくぶつかることで本心を曝け出させたのでした。思えば、前のタイムラインでは猫かぶりの様子がどうも腑に落ちなくてずっとモヤモヤとしていて、今回のタイムラインをやり直すことが決まった時に、ちょうど良いのであの子の本性も確かめようと思ったのでした。ですから最初の食事の時に私が随分と不思議な態度と訝しい表情をしたのですが、当時はその背景をよくわかっていませんでしたけど、今思えば、それはそもそも以前のタイムラインに由来しているようでした。

更にわかったことですが、ある程度の慣れと労力は必要ですけどタイムラインの改変をするためには全てやり直す必要はないようです。ただ、基本は全部やり直すことのようですが、ある程度の独立した事象であれば要所要所で介入して改変することも可能らしく、それは、一部を改変したところでそのオーラと言いますか雰囲気のようなものを記憶(としか言いようがないのですが、いわゆる普通の記憶ではないのですが)しておいて、それを、要所要所で復元して思い出しつつタイムラインの改変をそこにだけ行うことができるようです。ただ、ちょっと混ざってしまうようなうまくいかない感じのこともあるようですけど、今回のあの子に関しては全てをやり直すと大変なので要所要所だけ入れ替えをしたようです。

大雑把に言ってしまうと、経済的にそれなりに裕福なタイムラインですとスピリチュアルな成長に限界があったようで、何回か行ったタイムラインで人生の限界を感じていたために「やり直し」を決断したわけですが、その際、ものは試しで思いっきり人生のどん底に突き落としてみたらどうだろう、と思って決断し、人生の若年期に周囲に酷いモラハラや虐めや暴力をする人をこれでもかというほど家族や親戚に隅々まで配置した結果、意外にそれが効果的でスピリチュアルな面を見直すことができて様々な理解に至ったわけです。実のところ、人生の若年期を見ると今までの裕福なタイムラインの方が遥かに波動(オーラ)は良いのですけど裕福なことで傲慢になってしまい中年以降にスピリチュアルな成長がなかなか難しい状況になっていました。今回のタイムラインでは若年期の波動(オーラ)は最悪でとことんどん底に落ちたわけですけど、そのことで理解したことはというと、「この地球の現実は、自分が地の底まで一旦落ちないと理解できない」ということです。高い波動の天使や神様のような状態からあれこれと掲示をしたところで、実際に自分がどん底まで降りないと理解できないことがあるのです。そして、一旦落ちてから再度上がってくる、ということが今回の人生(タイムライン)での課題だったわけです。

それと関連して、どうやら、今までの幾つかのタイムラインでは既に例のT大生の子と親密な関係を持つに至っていて、それ故に、今回のタイムラインではそこまで何かあったわけではないのに何故か色々とニアミスを起こしたり気にかけてくれていたりしたのは、前のタイムライン(いわゆるパラレル)での繋がりがあの子とあるからのようなのです。そのタイムラインでは上記のように猫かぶりで本心がいまいちわからない子でしたけど関係はそれなりに深まっていたわけですが、今回、タイムラインをやり直すと決まったからには、ちょうど良い機会なので本心をあぶり出す、という意図もあって最初に不思議な対応をして、それで、あの子の素の姿がようやくわかって、それで、猫かぶりではあっても、根は良い子ということがようやく理解できて、それで、以前のタイムラインからの積年の謎であったあの子の素顔がようやくわかったわけです。別のタイムラインでも基本的に仲が良かったと思う反面、あの子が猫を被っている気がしていて本性の素の部分がよくわからなくてモヤモヤしていたように思うのですが、今回では大学1年の若いうちに接触することにより素の部分がわかったことで昔年の疑問が解消したわけです。初めてあった時にそれが起こりましたので最初はそれがどのようなことを意味しているのか当時は自覚できずにいたのですが、どうやら、実は色々と関係が深い子だったようです。

また違うとあるタイムラインにおいては、私の方は予定通り資金を調達したのにも関わらずあの子の役割であるビジネススキルとノウハウの取得が疎かになったためにそのタイムラインは高次から「失敗」とみなされたようでした。それぞれ役割があって、私は資金調達、あの子はビジネス、という役割の筈だったのに、若い頃に資金調達ができたとあるタイムラインではあの子は働く気がなくて専業主婦になってしまって、その後、本来の役割を少しづつ思い出してビジネスしようとしたものの(新卒でコンサルとかに入ればノウハウが身についたのにも関わらず、新卒では専業主婦だったために)改めて自分で色々とやろうとしたものですからうまく行かなくてストレスが溜まってしまい、資金をうまく活用できなかったようです。そのように、私の方が早期で成功したとしてもあの子が専業主婦になってしまってうまく行かない、というパターンもあったようです。実のところ、私の方としてもそのタイムラインでは資金こそ調達できたもののそのタイムラインでは色々と葛藤があってモヤモヤとしていましたので、今のこのタイムラインのようにスピリチュアルが進まずに心境穏やかではなかったのでした。それを踏まえると、お互い、中年になるまではそれぞれノウハウやスキルや資金調達ができるように努力した上で、途中から一緒になることで資金とビジネスのスキルをそれぞれ生かすのが良い、と高次は判断したようです。

高次の判断によると、どうやら、他の子とかですと金目当てとか一方的な愛だとか略奪愛だとか妻がキレるようになったりと様々な問題が出てくる一方で、例のT大生の子に関しては問題がなくて、しかも実は使命も設定されているということで、もし私が他の子と私が結婚してしまうとそれは高次からすると(人生ゲームにおいてプレイヤーが間違った選択をしたことによる)バッドエンドのようなのです。ですから、(人生ゲームの)理想的なエンティングを迎えるためには超えなくてはいけないハードルが幾つもあるようで、まず、あの子を振り向かせないといけない、という大きなハードルがあって、更には、経済的に突き抜けないといけない、更にはあれやこれや・・・、みたいな無茶な要求を高次はしてきています。単に結びついただけではダメで、お互いに自分の役割を果たせなければそれはバッドエンドになります。私は資金調達ができるようにならなければバッドエンドで人生やり直しでしょうし、あの子にしてもビジネススキルを身につけなければバッドエンドのようです。そのように、何か失敗したら人生やり直しかもしれなくて、まあ、どうなることやら、という感じでもあります。

そのための基盤を固めるためにも一旦どん底に落ちたとも言えるわけで、今回、どん底に落ちたことで(これに限らず)今までのタイムラインではわからなかった様々な謎が解けてきているわけです。

それと、(私はツインソウルとかは割と否定派なわけですけど)もしかしたらあの子は私のツインソウルと言っても良い魂を持っているかもしれなくて、と言いますのも服のセンスとか多種多様な表情を持っているところとか、一概に理解できない複雑な精神なところとか、手の仕草とか、どうも、私に似すぎているのです。「いわゆる」ツインソウルとは、実のところ、同じグループソウルから分離した分霊同士、と言うことでありますけど、魂的にかなり近いか、あるいは、それなりに長い関係があったのではないか、とも思うのです。そのくらい、どこか波動が近しいのです。あのような人とは今までにほとんど会ったことがありませんでした。

更には、ごく最近になって、旅行中の別府で私がレストランからホテルに帰る道を歩いている時に通りかかった駐車場に停まっていた車に乗っていた子が妙に視線をこちらに向けていた気がしていて、私はあまり気にせず通り過ぎたのですが、今から思えば駐車場に停めていたにしては車の位置が変で、車のバック駐車が苦手なのか何なのか車を斜めにしたまま中途半端な状態で、少し動くような動かないような、挙動不審の車が駐車場に中途半端に停めてあっていたのですけど、おそらく切り返しをしたいと思っていたら歩行者が来たので通り過ぎるのを待っていたのかなと思うのですが、その運転手が、今から思えばあの子だったかもしれません。 これは考えすぎですかね。 まさかあんな遠くで会うとは思えない、という気もします。ですが、一応はメモです。



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