自分、という感覚を手放すことで神霊(プルシャ)と繋がる

2023-02-24 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

アストラル次元の霊とそれよりも高い神様と何が違うのかというと、意識の状態として、アストラル次元の霊の場合は「自分の指示通りにするように、自分から離れてはだめだ、自分が一番偉いのだ」ということを言われると言います。神様はそういうことは言わないので、自分に入ってきた霊がどの程度なのか見分けるよい方法になると言います。本山博先生は、何か願いを叶えたら金銭や見返りを求めてくるような霊は低級霊なのでおかしい、と思った方が良いと言います。

ふと思えば、少し前に、頭の上の方のサハスララからとても濃いオーラの意識体が入ってきて喉のヴィシュッダを通ってアナハタまで入り込んだ時の、そのまた数日前か1週間くらい前のことを思えば、この逆のことをしていたように思います。

ふと瞑想をしていて、その時、こう思ったように思います。「私は、ことあるごとに、ほんの少し、自分の地位や職業を誇ってしまって、自分が何がしかの職業だからとか、何某かの年収だから、とか、だから誰それよりも上だ、と思ってしまいう気持ちが、ほんの少し残っている。ほとんどなくなってはいるものの、時折、微かに、とても微妙な形で、とてもとても小さな声でエゴが入り込もうとしている。気をつけるように。その、ほんの僅かのエゴであったとしても、成長の妨げになる。それすらも、手放しなさい。私は、単なる、シンプルな、ただの人なのです。Basic Personとも呼ぶべき、ただの、人なのです」ということを教えられ、そして、それに同意して、「そうか。危なかった。ほんの少しですら、まだエゴが残っていた」と気がついて、「わかりました。そのような価値観を手放します」と心に誓ったのでした。

そしてその数日後か1週間も経たずしてサハスララから濃いオーラの意識体が入り込んできたわけですから、合意する準備が整った、とも言うことだったかもしれません。

この種の準備はとても大切で、自分の準備が整っていれば、相応に合一が起こるように思います。さほど純化されていない場合はそれなりの意識体としか結びつきませんし、ある程度の高い神霊を迎え入れようと思うのならばそれなりに食事にも気を使って日常生活にも気をつけて、胸の内にいてくださる神霊を疲れさせないように大切にして守ってあげる必要性を感じます。

私の体だけでしたら生活はそれほど贅沢は言いませんけど、この胸の内の神霊を大切に思うのであればこれまで以上に自分の生活を整えて清潔に保ったりします。例えば旅行においても自分の体だけであれば私は単に寝るだけですのである程度の清潔さがあれば十分と思うたちですけどこの胸の内の神霊を大切に思うのであればもうちょっと良い部屋に泊まるべきかな、と思ったり、気遣いが変わってきます。

自分というものを手放して神霊(プルシャ)を迎え入れ、それから、胸の内の神霊を大切にするわけです。

ヨーガ・スートラには、神の誘いであっても退けなくてはならない、とか、禅でも「仏に会ったら仏を殺せ」とも言われていて、このプルシャは一見するとそれに相当するのではないかと思われる方もおられるかもしれません。実際、私も、最初は何かと思ったので少し警戒をして「私のハイヤーセルフ、あるいは、私のグループソウル由来の、縁のあるものであれば受け入れます。そうでなければ受け入れません」というアファメーション(宣言)をしました。そうすると、実のところ縁のある魂というのは親和性がありますので弾かれずに入ってくることができるのです。声らしきメッセージでも「信頼して」「大丈夫」という語りかけが聞こえて、感覚的にも大丈夫だったですし、何より、とてつもない強い意思で入ってくるので全く抵抗が不可能なのです。

抵抗というよりは、単に頭のサハスララからヴィシュッダにかけてのエネルギーのルート(スシュムナ)が細くてうまく入り込むことができずに、そこで少し力を入れて細いところに無理やり押し込むようにして強力な力で入ってきたのです。そして、最初こそうまく入れずにサハスララにくっついて下の方をずっと押しているだけでしたが、少しずつ、細い線のようなオーラがアナハタの奥の小部屋にまで通じて、その状態でしばらく安定したかと思いきや、不意に、スルスルっとオーラが下の方に勢いをつけて動き出して、頭の方に8割は残っていたであろうオーラの全てが5秒か10秒くらいで一気にアナハタの奥の小部屋にまで降りて行ったのです。

その力はとても自然で、つるつるしていて、親和性があって、怯えるようなことはなくて、ただただ強力な力のオーラで、とても抵抗できるものではありません。

確かに、この段階に来る前までであればヴァイラーギャ(離欲)が完全ではなくて周囲からの何某かの誘いに乗ってしまいかねない危険性はあったかと思います。神々の誘いと思われるものに対しても退けるべし、というヨーガ・スートラの案内もよくわかります。ですが、これは、全く違う種類のものなのです。

ほぼほぼヴァイラーギャ(離欲)が完成したところで、ようやくプルシャ(神霊)が入ってくる土台が出来上がった、ということかと思います。