ケヴァラ・クンバカが時々起こり、意識的に呼吸を再開する

2023-02-15 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

瞑想中、自然に呼吸が止まってしまう状況、ケヴァラ・クンバカがここに来て再度起こるようになりました。

思えば、かなり以前、2018年2月の頃にそうなったのですが、その後、同年11月にイダとピンガラの覚醒(クンダリーニ)が起こってからは逆に息留めが苦手になり、今まで起きていなかったのですけど、ここにきて、不意に、瞑想中にその時と同じように、呼吸が止まったまましばらくの間、とは言いましても30秒とかそのくらいですけど、息を吐き続けた後に吸う息に自動的にならなくて、息を吐いた状態のまま呼吸が止まったままになってしまうようになったのです。そのまましばらくすると、ちょっとの間はなんともないのですけど、やがても少し経つと徐々に苦しい感じになってきますので、意識的に息を吸ってあげます。この、吸う息を意識で明示的にしてあげないといけない状態で、意識を働かせなければ吐く息だけになってしまうのです。

これは普段の生活においては平気で、瞑想中、それも、常になるわけではなくて、時々、このようになります。

瞑想としてはこれは割と良い状態ということもできて、精神が安定していて、雑念も基本的にはなく、あっても瞑想は妨げられることは基本的になくて、オーラも下の方からサハスララにまで伸びていて、良い瞑想状態を保てています。ただ、息だけが止まってしまっていて、それでも意識は働いているのですけど、しばらくすると「このままだと体に良くない」と判断して、意識的に呼吸を入れるわけです。

呼吸を入れて、数呼吸、意識的に同じような一定のリズムで呼吸をしてきちんと肺に息を入れてあげて、それから、また瞑想をするとやはり呼吸のうち吐く息だけが優勢になって、吸う息があまり自動的に動かない状態になり、やはり、呼吸が吐いた状態で安定して息が止まっていきます。

この種の、いわゆるケヴァラ・クンバカはヨーガでは瞑想中に起こることと言われていて、ハタヨガ・プラピディカやシヴァ・サンヒター(3.47)、あるいはゲーランダ・サンヒター(5.89-96)又はヨーガ・スートラ(2.50)に記載があります。

これらの記述はいずれも、ケヴァラ・クンバカによる自然な止息の後にサマーディあるいはラージャ・ヨーガの成就がなされる、と記載されています。実際のところ、同じケヴァラ・クンバカ自体であれば私の場合、初めの頃のクンダリーニ経験の前に起こりましたので、確かに、それが成就の兆しと見做せなくもないですが、それよりも、このケヴァラ・クンバカはおそらくは「今の段階の卒業時期」の印ではないかと思うのです。

記述を見ると、いずれも、内的エネルギーのバランスが整う、という意味においては共通しています。

確かに、クンダリーニが最初に覚醒してマニプラ優勢になる少し前はエネルギー的にそれなりに安定していて、まだまだではあるものの、一応の平準状態にあったと言えます。その段階の、まだ低い次元でクンダリーニどころかイダとピンガラすらきちんと動いていないような状態ではあったものの、それでも、一応は、安定した状態だったと言えるわけです。その状態に達して、いわば「凪の状態」あるいは、成長が一旦は止まったかのように見える「プラトー」の状態にあって、そうなると、エネルギー的に安定して、それ故に、ケヴァラ・クンバカが起こるのではないかと思うのです。

私の今の段階はというと、それなりに安定してはいるものの、サハスララより上にまでまだ開けておらず、そうは言っても一応の平準状態にあると言えて、瞑想は安定していますし、エネルギー的にも充実していて過不足はなく、特に問題はないかと思うのですが、それでも、まだ、上に壁があるように思えています。その状態は、最初の方の、クンダリーニ(主にイダとピンガラ)の覚醒の前夜に似ているわけです。

このエネルギー平準状態はおそらくは永続的なものではなくてプラトー的なものであり、次の段階に飛躍する前の、安定状態ではないかと思うのです。

とは言いつつも、あくまでも推測ですので、これから瞑想をして様子を見ていきます。