毎日が幸せで楽しい日々を瞑想で実現する

2022-11-08 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

瞑想をする一つのメリットが、日々、特に何もなくても毎日が幸せで楽しい日々になることです。世界の方が変わるというよりは自分の認知が変化して、おそらくは以前からずっと世界は楽しくて美しくて幸せに満ちた空間だったわけですけれども何故か以前は不幸な気がしていたものが、その不幸と思わされていたいわば幻想を取り払うことで元々美しかったものを美しいままに見ることができて幸せになるのです。

世の中には、他人を厚い雲で覆ってコントロールしようとする人たちが大勢いて、わかりやすいドス黒い欲望なんかは見たままで避けやすいですけど、分かりにくいものとしてはコマーシャルや(一見すると)キラキラした(偽の)光であたかも素晴らしいものかのように惑わせてきますが、そのように認知を歪ませるものから離れて、物事をありのままに見られるようになれば実はこの世界は美しくて綺麗で最初から充実していて幸せな世界なのだと気づくわけです。気づくというよりも最初からそうだったわけですけど、人の認知としては気づく、というように認識されるわけです。世界は何も変わっていなくて最初から美しくて幸せな空間だったわけですけれども、自分の認知がそれを歪ませていたわけです。

世の中で売られている商品やサービス、それ自体に問題はなくて、あくまでも、認知を歪ませる状況が認知を歪ませて不幸せを作り出しているわけです。良い商品というものは沢山あって、良いサービスというものは沢山あります。その商品のありのままは素晴らしいとしても、それを売るために認知を歪ませようとする人たちが大勢いて、その結果、欲望のみならず嫉妬や不満、渇望などを生み出して不幸を量産しているわけです。コマーシャルの全てが良くないわけではないですが、意識せずに見ていると気づかないうち認知が歪んでしまい本来不要な渇望が生まれたり(本来不幸ではないのに)不幸な状態に落ち込んでしまったりしますのでコマーシャルはあまり見ない方が良いと思います。

この辺りは、何が正しいコマーシャルで何が正しくないのか人生経験を積まないとなかなか見分けがつきにくいかもしれませんが、基本的にごちゃ混ぜで送られてきますのであまり気にせず、コマーシャルから丸ごと離れるのが良いかと思います。

そうして認知が歪んでしまったとしても瞑想で正すことができます。


■日常の仕事でゾーンに入ることから幸せな日々を過ごす

その、歪んだ認知というものは社会生活を送る上において様々なところで植え付けられてしまいますが、そうして付いてしまった歪んだ認知、それはサンスクリットでアヴィディアー(avidyā)あるいは仏教で無知と言いますけど、その歪んだ認知を取り除くのが各種の修行あるいは瞑想なわけです。

幸せな日々になるというだけでなく、物事をありのままに見られるようになることで理解が早くなり、動きも良くなり、そうなると仕事もよくできるようになりますので実生活にも役立ちます。

最初からいきなり日々が幸せというのは難しかったりしますけど、最初は短期的にでも幸せを感じるところから始めるわけです。

瞑想をずっとやっても良いですけど最初は長い瞑想というのは難しいですし思考に飲まれてしまって逆に落ち込んでしまう可能性が多々ありますので特に最初は長い瞑想をしない方が良くて、その代わりに、仕事に集中していわゆるゾーンの状態になって歓喜を伴って仕事をこなせるようになるのが割と初期の段階の瞑想の代替えになったりします。長い瞑想をしようとするとすぐに苦しくなるような場合は座った瞑想ではなく仕事に集中してゾーンに入れるようになるのがお勧めです。最初はゾーンにもなかなか入りにくいかもしれませんけど、最初は数年に一度のゾーンかもしれませんし、あるいは数ヶ月に1回、はたまた1週間に1回、そのうち、毎日のようにゾーンに入れるようになるかもしれません。その進歩の度合いは状況と人にもよりますけど、ゾーンが安定してくると歓喜が続くようになり、瞑想も少しづつできるようになってきます。

ただ、この場合のゾーンでの歓喜と最初に述べた幸せの状態とはかなり違っていて、ゾーンでの歓喜は激しい感情の喜びですけど最初に述べた状態の幸せというのは常に存在している満ちている感覚としての幸せですのでかなり違うのではありますけど、そうだとしても、ゾーンというものが第一歩としては良い入り口になるわけです。

そうして、ゾーンが当たり前の状態になって、やがて静寂の境地で平穏を味わえるようになり、その後、さらに瞑想が進むと日々が幸せな状態になって特別なことがなくとも日々が素晴らしく思えて楽しい毎日を過ごすことができるようになります。