世界を受け入れる時に魔が現れる

2022-08-06 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

世界というのは清濁併せ持っていて善悪の両方を備えているわけですけれども、少しづつ世界を受け入れ始めた時に、その世界と自分との間に存在していた壁のようなものが消えてゆくのです。

元々、自分の周りに壁のようなものが存在していて自分がある意味守られていて、それなりの「光」あるいは「聖」と言っても良い状態で囲まれているわけですけれども、世界を受け入れる時にはその壁は段階的に取り払われて、その瞬間はリラックスが一段進むわけですけれども、それと同時に、世界に巣食うっている魔も同時に目の前に現れるように思います。

それは、善悪や清濁と同じレベルで自分がいるときは飲まれてしまう可能性があるものですけど、光あるいは聖と言っても良い質がある程度まで微細になって波動が上がっていさえすれば、壁が取り払われた時にすぐにその魔を乗り越えられるように思うのです。

今までは乗り越えることが難しかったが故に壁が存在していて世界を認知することができない状態だったわけです。乗り越えるのが先なのかあるいは壁が取り払われるのが先なのか、順番は色々とあるのかもしれませんけど、私の場合、割と乗り越えられるようになってから壁が取り払われたように思います。

壁が取り払われるとは言ってもそれは階層ごとに一段ずつ取り払われるわけですけど、壁が取り払われると一段階、微細な世界の魔が感知されるように思うのです。聖の方も同様に感知力が高まるわけですけど、それよりも、魔の方の影響力の方を特に強く感じます。

最初、魔を感じられはするのですけど、既に自分の波動が上がっていますからやがてそれは世界の一部として受け入れ、問題ではなくなります。認知の障害にはならず、最初に強く意識する以外は、受け入れた後は特に存在を意識しなくなります。

魔とは言っても、かなり昔に感じていたトラウマの方がよっぽど苦しくて、この魔というのは世界にある魔としての性質というくらいのもので、人によってはこれを苦しく感じる人もいらっしゃるかもしれませんけど、私の場合は青年期にとても辛い時期を過ごしてきましたから、いざ、密教や仏教で噂に聞く「魔」とやらが現れてはみたものの、「あぁ、こんなものですか」と、割とあっという間に受け入れてしまったように思います。

とは言いましても、これから更に物凄い魔が現れてくるのかもしれませんけど、青年期の苦しみ以上のものが今更現れてくるようにも思えませんけどね。噂に聞く魔というのは、シュタイナー等の神智学や仏教、あるいはスピリチュアル等でもよく言われているものですけど、自分自身が作り出したトラウマ以上に苦しい「魔」というものは私は知りませんので、今更、青年期以上の魔が現れるような気もしないのです。

世界を認識し出す時に世界の闇の部分、苦しい部分が意識の中に現れて認知の一部となる時、それがスピリチュアル業界で言われている「魔」と言われているのかなと思うわけですけど、受け入れてしまえば、もう、問題にならないのです。その魔の性質も世界の一部ですし、魔と言っても、階層がもう一段階上がったところから眺めると、一階層下の聖も魔も大差なく感じられるのです。

究極的には善も悪もなくて聖も魔もどちらも神様の一部、全てはワンネスではあるのですけど、それは階層ごとに一つ一つ認識が広がってゆく、ということだと思います。階層を越えるまではその階層における善と悪は存在していて、その認知を深めてしっかりと受け入れることで次の階層に進むのだと思います。