人混みの中で、「ザ・ワールド」の感覚になる

2022-07-12
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

昔から人混みが苦手で、人混みに入ると悪いオーラを拾ってしまってエネルギー的に汚れてしまったり変な意識体を拾ってしまって急に意識が朦朧としたりする時もあったわけですけど、最近は、例えば新宿の地下道の人混みのような雑踏であっても全てが「ザ・ワールド」の感覚で、「全ては自分」のように思えています。

かと言って、特別なことは何もなくて、単に「全ては自分」と思っているだけで相変わらず他人はそれぞれ好きに動いているわけですので自分が影響できるわけでもないのですけど、この、「ワールド」の感覚にあっては、特に他人に対して悪い印象を感じないのです。

それはタロットのワールドでもありますし、ジョジョのザ・ワールド的な時を超越したかのような感覚もあるにはありますけど、とりあえず、ここでは時を越えてとかはなくて、ただ単に、「ワールド」という感覚になっています。

特に喉のグランティ相当が解けて頭にまでエネルギーが行き渡るようになって以降、今までは瞑想の後でやってくる「ワールド」の感覚が通常の時間にまで広がったように思います。

ヴィシュッダの出来事以前は、瞑想の後に「世界は一つ」「ザ・ワールド」の感覚になっていました。

以後は、日常生活の幅広いところに、ザ・ワールドの感覚、それはサマーディの感覚ということでもあるのですけど、それが広がってきているように思います。

元々、サマーディの感覚というものは瞑想から始まって日常生活の空間にまで少しづつ広まってきていて、それは段階的に日常生活にまで広まってきていて、それはゼロイチのお話ではなくてどれだけサマーディが深まるかというお話ではあるのですけど、今回のヴィシュッダの件以降、サマーディが更に堅固になってきたように思います。堅固とは言いましても程度問題ですのでまだまだ深まるのかなとは思いますけど、ひとまず、日常生活に広がるという意味ではこのくらいで一つの山場を越えたのかなという気も致します。

人混みで疲れないことはないのですけど、疲れ方にしても、以前は他人のオーラにやられて急にぐったりしていたりしたものが、ここ最近、特にヴィシュッダ以降は、確かに多少のオーラの調整をして邪気を取り払うということは街歩きしながら行いつつも、それに頼ることもなく、機械的にオーラの邪気に対処して、自分はザ・ワールドの感覚でいられるようになったように思います。

例えば、急に自分の中心軸に押される感覚が表れてエネルギーの通り道に圧力が加わった感じなった場合は、その軸を意識してエネルギーをきちんと通り直してあげる、ということをして対処します。

そうすることで、サマーディ状態が容易に継続します。