天から雲の隙間に陽の光が射すように「世界を救え」と皆に呼びかけている

2022-06-11 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

天の声は、日本のみならず世界のライトワーカーに対して「世界を救え」と呼びかけています。

その愛は満遍なく、陽の光が雲の隙間から激しく刺すかのように伸びてきていて、心あるライトワーカーがその意志を受け取っています。実際はライトワーカーに限らず全ての人に対して満遍なく呼びかけているわけですけど、それを受け止めることができている人はかなり少ないのが実情です。

この声は遥か昔から続いていて、今も続いていて、今後も続く、普遍的な愛による導きです。

声、と言いましたけど、人間の声というわけでもなく、テレパシーのような人間臭い声ではなくて、愛に満ちているというのが大前提にあって、誰に対しても満遍なく、遠くから、しかしながら愛で繋がっていますのでそれは遠くもあり近くもあるのですが、遠くから、陽の光のように「救世主(メシア)よ、世界を救え」と、陽の光のような愛で語りかけているのです。

テレパシーにはいくつかあって、人間臭い声のようなものと、インスピレーションに近いものがありますけど、神様とかそれに近い存在のメッセージは基本的には愛で、愛が基本になって「有難い」という気持ちが基本にあるわけですけど、それに加えて、上記のように、「メシアよ、世界を救え」というメッセージといいますか雰囲気といいますか、そういう感覚がそれに乗っかっているわけです。

これは、やもすれば勘違いして「俺が救世主なのか」と思って宗教を立ち上げたりしてしまいますけど、そういうことではないのですよね。満遍なく普遍的な愛のメッセージがそうなのであって、特定の誰かに対して言っているわけではないのです。

神とは普遍的に全ての空間に満ちていますから、その、満ちているという感覚がそのまま愛なのであって、満ちている愛が、満ちている空間そのものでもあるこの世界を救う、というのは、自然な感覚であると思います。

自分自身が世界そのものであって、世界に満ちていて、それが愛であって、愛が世界に満ちていて、その愛が世界を救え、と言っているのは、ごく当然のことであると言えます。

愛とか世界を救うとかいうのは、そういうことであるのかな、と思います。

自分が世界の一部であって愛に満ちた世界の一部であって、自分は満ちている世界の一部であるからそのように満ちていることや愛を自覚して実際にその状態にあって世界の一部であるとすれば、自分が世界に貢献して世界を救うのは当然であると言えます。

そのことを比喩的に「救世主(メシア)」とか呼ぶのは、それが1人の人を意味するのではなくて、自覚した人は全員がメシアなのだと思います。

メシアが増えることによって世界が救われる、ということだと思います。それはつまり、自分が世界の一部であることを自覚して、満ちている愛の一部として自分も愛そのものになって、感謝の状態にあって、その時、世界の一部であれば当然すべきことをすればいいだけ、ということになります。

ですから、本来、メシアを崇拝する必要はなくて、皆がメシアを目指せば良いのです。それは素養とか段階とか今世でたどり着ける到着地点の一応の限界とか色々とあるでしょうけど、基本的な方向としては、そうなのです。

メシアが増えれば「分かち合い」の世界が実現され、戦争はなくなり、貧困も無くなります。ただし、一部の、欲望にまみれた我欲の強い人にとっては願望が実現できなくて悪夢のような世界かもしれませんが、それはそれで、暖かい目で、光の方向に導いてあげれば良いわけです。