大日本共栄圏での大統領システム(同テーマ&時系列の前記事)

大日本共栄圏での住民代表システム

2022-06-21
トピック:スピリチュアル: 歴史

(続き)

そのタイムラインにおいて、投票システムが出来上がったのは大統領システムが最初ではありませんでした。大統領システムの前に、大統領システムとは別の仕組みとして、住民の自治を目的とした住民代表システムおよびそのための住民投票システムが作られました。投票システムというのものそれ自体が初めてでしたし、立候補して演説をするというのも初めてでしたから、実験的に住民投票システムが作られ、近場のいくつかの藩、3つほどだったかと思いますが、そこで仕組みの検証が行われました。

農民のことは農民で決める、という趣旨の元、住民代表を決めるべく演説をして住民が投票の上、住民代表を決めるという仕組みが作られたのです。その住民代表はお殿さまに「お願い」できるというシステムで、そのお願いは藩が責任を持って検討し、必要ならば適用させるという仕組みになっていました。

まずは織田信長のお膝元、安土城の前の広場で住民に演説させ「私が代表になったらこれをする、これを改善する、橋を作る、水路を作る」みたいなことを発表させました。この、代表が藩に「お願い」出来るというのは当時としては画期的で、最初は数藩で行わましたがその反響は大きく、「私のところでもやりたい!」という意見が殺到し、日本の全土で大騒ぎになりました。織田信長は「待て待て。慌てるな。まずは3つの藩で実験し、仕組みに問題がないか洗い出すから、それをまず見ておれ」と言って3年ほどを準備期間とし、その後は他の藩にまで広げたのでした。

これは、藩に対する「お願い」というシステムですので、藩によっては「よく分かった」と言ってやってくれるところもあれば、藩主によっては「農民なことなど聞けるか」と言ってつっぱねたりもしましたが、藩主が動かない場合は住民代表が織田信長のところに来て「お願い」することができるという二段構えになっておりましたので、住民代表はまず藩の中で自分たちでどうにかできないか試行錯誤をして、どうしてもダメなら織田信長にお願いをする、ということで、それはうまく回っておりました。

最初は堅固で突っぱねていた藩主に対して、信長は状況を把握してからその願いが妥当なものなのか検証し、妥当だとすれば藩主に命令をしてうごかしたのでした。住民代表が直接言っても動こうとしない藩主に苛立っていた住民たちが信長様経由で要望を伝えたら藩主がコロッと折れて動きだしたのですから住民は歓喜喝采、大騒ぎで喜んで、一方、藩主の方は「ガクッ」ときて「仕方がない・・・。やるか・・」みたいな時もありました。

農民の不満はほぼこれで解消され、藩主は人によっては当初こそ渋々と話を聞いていたものの、いざとなれば織田信長経由で指示が来ると分かってからは積極的に住民代表の意見を聞くようになりました。最初こそそのように聞き分けの悪い藩主がいましたが、仕組みが動き出してからは藩の方も積極的に住民の話を聞くようになり、住民自治のシステムはうまく回っていったように思います。

その後、前に書きましたように大統領システムが作られるわけですけど、住民による投票は2つの仕組みで成り立っていたと言えます。

投票
・住民代表を決めるための投票
・大統領を決めるための投票

立候補
・住民代表は住民なら誰でも立候補できる
・大統領に立候補できるのは藩主あるいは地方の統治者(その地方の元首相当)

約束
・住民代表(立候補者)は、立候補の時に演説で自分が行いたいことを表明する
・大統領(立候補者)は、自分が行う政策を書類にして提出し、そこに書かれた範囲でのみ権限を一時的に譲渡される。加えて、外交時の対応、災害や戦争など突発的な出来事に対して対処する責任を持つ。

住民投票システムは織田信長が基礎を作り、その後の世代で大日本共栄圏の全土に広がり、制度が安定しました。

これは、名目上は藩主が全権を握っているという形にはなっているものの実質上は住民にかなりの権限がある形になっており、住民の自治を基本として藩主がその意向を汲んで政治を行う、という形態になっておりました。

これは、ヨーロッパにおいて絶対王政の時代においても似たような状況があり、名目上は王に全権があるということにはなってはいるものの実際は住民や各地の領主の裁量にかなり委ねられている、ということと似ている面もあったかと思います。

このように、名誉と歴史を重んじる人が上に立って、名目上の権限は一応あるものの実質的な権限がそこまではない、という形が健全であって、現在のように、本当に大統領や首相に権限が集中してしまう形は不健康であるように思います。特に、ポッと出の政治家に全権を与えてしまうことの危うさを世界中で見ることができます。それよりは、歴史を重んじて、名誉を知り、住民を思いやる藩主や王あるいは大統領に守られている世界の方がよほど健全であると言えます。

大日本共栄圏では、大統領選挙で「約束」に対して投票はしますけど、それによって決まった大統領がいたからと言って各藩やそれぞれの地域が必ず命令に従わなくてはならないわけではなくて、大統領はあくまでも旗振り役であって、命令に従うかどうかは各人及びそれぞれの藩や地域の執政官の判断に委ねられていました。大統領としての権限中枢は議会にありましたけど、大統領としての旗振り役とは別に、議会の意見もそれぞれあって、必ずしも大統領が全権を持っていなかったのです。その点、今のアメリカの大統領も必ずしも全権を持っていなくて議会を通さなくてはならないわけですけど、それでも今のアメリカ大統領は大統領令があって権限が一定ありますが、大日本共栄圏での大統領の権限はそれよりも遥かに制限されていて、投票で「約束」したこと以外はほとんどできないことになっておりました。文字通り、かなり名誉職の位置付けが強かったわけです。

一方、住民代表の方はそこまで縛りはなく、住民の要望を伝えて藩に伝える、ということを自由に行っておりました。

(続きます)



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