自然の資源は取りすぎないのが原則

2022-06-11
トピック:スピリチュアル: 歴史

(続き)

その、大日本共栄圏のあり方は今の日本および世界の行く末に対して多大な示唆があって、今の資本主義とは有りようが大きく異なっています。

まず、今の資本主義社会の問題点として、自然の資源を取れば取るほど裕福になる、という問題点があります。例えば海洋資源や鉱物の資源、あるいは農作物や山林の資源も含まれますけど、それは元々そこにあるものですから、元々あるものを取るだけでお金に変えることができるということは、資源を素早く取れば取るほど人が裕福になるということです。その裕福になることがどれだけ重みを持っているかということですけど、お金が足りなくてお金を集めないと生きてゆけない世界であればその裕福さにそれなりの意味があるわけですけど、大日本共栄圏では、そのように、自然の資源に対しては経済活動をしない、という原則が定通しているのです。

経済活動は人の営みになるべく限定して、自然の資源は共有資産とし、必要なものを必要なだけ取る、という原則が守られています。これは原則であって必ずしも全てがそうではなくてある程度の経済交流が何にでもありますけど、今の資本主義社会のように経済ありきではないわけです。

一方、そのタイムラインにおいても大日本共栄圏以外の部分では海洋資源や鉱物資源が今のように勢いに任せて大量に取得及び消費されており、資源が豊富(のように見える)である大日本共栄圏は欧米諸国から羨望の眼差しで見られていました。実際には、海洋資源にしても必要なだけしか取りませんでしたので太平洋の資源は守られている一方で他の海では乱獲していて資源が減っていたり、あるいは、鉱物にしても急ぎに任せて大量に掘って大量に売り捌いていましたので鉱山が枯渇してしまっていたのでした。

大日本共栄圏はまさに循環型社会が実現できていたわけですけど、その根底にあるのは、自然の資源(鉱物、海産物、そして農産物も)を経済活動の対象にしないという原則で、それ故に、それらは基本、分かち合いをしていて、食には困らず、住居はそれなりに人々が融通しあって、土地は代々の由緒ある家が長く引き継ぎ、思いやりのある世界を実現していたのでした。

ですけど、そのような理想的な社会は、他人から奪いたい強欲な人や、あるいは、他人を羨む妬み深い人からしてみたらストレスでしかなくて、どうして自分達はこんなに苦しんでいるのにあの大日本共栄圏はあれほど豊かなのだ、と、欧米の不満が日に日に高まり、それに拍車をかけるように大日本共栄圏の方からも欧米の国々に対して「奴隷をいまだに使っていて人の命を何とも思わず、とても酷い国だ」と思って罵っていたがために歩み寄るということがほとんどなかったのでした。

(続きます)