光と闇の統合によって地球が救われる

2022-03-15 記載
トピック:スピリチュアル: 歴史

統合に失敗したら地球が破壊されます。

西洋的なスピリチュアルでは光によって闇を打ち破るという勧善懲悪のストーリーがよく描かれて、それに同調した日本のライトワーカーたちも地球の闇を打ち破るという文脈に乗って地球の平和のために悪を倒す、みたいなストーリーで世界を捉えがちですけど、そのように光と闇に分けて戦いとして捉えている時点で既に地球の支配者が用意したストーリーの筋書きの上に乗ってしまっているわけです。

スピリチュアルでよく誤解されていることに光と闇の統合があります。

実のところこのタイムラインは地球の支配者が割と満足している世界で、支配者が手のひらで世界を動かしている状況です。

スピリチュアルでは良いことと悪いことが色々と説明されていますけど、それは、割と単に説明のためという面が強くて、実のところ良いことも悪いことも含めて各人の好きにすればよくて、良いとされていることをするのもしないのも自由なわけです。

実際のところ、究極的には良いことも悪いこともなくて、これは文字通り、光も闇も両方とも神様の創造物であるということです。

ですから、全ては完璧なわけです。

では、何故、神様は光と闇を作り出したかというと、そうしなければ見えてこないものがあったからで、何か、もやもやとした煙のような状態の奥底にある、文字通り「何か」を探るために光と闇に分けたのです。

光と闇というとありきたりですので、もう少し具体的にいうと、「煙」を「空間と物体」に分けたわけです。そして、空間には光が通って、物体には光が通らないのです。ですから、空間は光っていて、物体は闇なのです。

ですが、闇は闇としてだけあるわけではなくて、光によって闇も輝きます。

ダースベーダーなど光と闇の物語においても暗黒面が光っていたりするでしょう。それは、光が当たっているから光っているわけで、一方、光は光としてだけでは不十分で、実体化という面を伴って初めて光がその役割を果たすことになります。

闇である物体を全て取り除いて空間だけにしてしまえばそれは「光」のみになります。

例えば伊勢神宮では神域には何もなくて「空間」だけでしょう。そのように、いわゆる「神」としての「光」は、「空間」そのものであるわけです。

一方で、「物体」は重くて闇ですけど、その闇の部分があるからこそ、「物体」があるからこそ、この世界は秩序を保てるわけです。

地球の支配者は物体に固執して物体だけが全てで肉体が消えたら無に戻ってしまうという恐怖および物質の豊かさがなくなってしまうことの怖さがある故に更に支配を強めようとしているわけですけど、そのような物質的な面をなくして「空間」である光のみにしてしまうということは、文字通り、地球という場所を消してしまうということであり、そうであれば、ライトワーカーが闇に打ち勝とうと努力した結果、何度やっても地球そのものが破壊されてしまうというのも当然と言えるかもしれません。

そのように、光である「空間」が闇である「物質」を消し去ろうとするのではなくて、光と闇の統合、「空間」と「物質」の統合によってこの世界が救われるのだと思います。

具体的には、光の側は闇を認め、闇も光を認めることで地球が統合へと向かってゆくわけです。

このように、答えとしては割と単純で、道徳でも言われているような簡単なお話で、お互いの存在を認めて仲良く暮らしていきましょう、と、いう、ごく普通のことであるわけです。

又、これは、(ニュアンスによっても違いますけど)バランスを取る、というお話でもなくて、(ここで言うニュアンスにおいての話で)バランスというと光と闇の対立を前提としていますけど、文字通り、何でも許されているのですから何でもアリで、バランスというと光を強くするのか弱くするのか闇を強くするのか闇を弱くするのかというお話になってしまいますけど、光と闇と考えるからわからなくなるのであって、それよりは、空間と物質と考えた方が良くて、実際のところこの世界というのはこの次元においては無限の広さを持っていますので広さの制限はなくて、地球という限られた範囲の中で空間と物質とがそれぞれ存在していて、それらが統合してゆくというのはバランスではなくて、むしろ、そのどちらもが強まってお互いがお互いを補完し合うような形で昇華してゆく状態なわけです。

光が強まり、また、同時に、闇も強まる。空間としての光が強まり、物質としての闇も強まるわけです。光が闇を駆逐する話でもなければ闇が光を支配するという話でもなく、いわばその両者が統合、光と闇との統合により地球が助かるわけです。

まあ、このことをバランスということもコンテキスト次第でニュアンス的に可能かとは思いますが、人の話を聞くと、バランスと言っている人は対立を前提としている人が多いような気が致します.

このあたり、昔からスピリチュアルでよく言われていることにそのものズバリの答えがあって、「物質が全てだと思って生きている人は、そうではないと言うことを知る必要がある。スピリット(魂)が本体(本当の自分)であることを知るべき」と言うことと、その一方で、「肉体を軽視していてスピリット(魂、アストラル)が全てと思っている人は肉体の大切さを学ぶ必要がある」と言う、その両面があるわけです。

肉体だけが全てではなくて、と、同時に、スピリット(魂、アストラル)だけが全てではないわけです。

物質主義の人は地上の快楽を追い求めて物質だけが全てだと思い込んでいますけど、その一方で、スピリチュアルな人はこと物質的なことを軽視しがちなわけです。

これら、物質を闇、アストラルを光とした時に、その両者を統合して、その上の次元へと抜けてゆくのがいわゆるアセンションなわけです。ですから、よく誤解されているように、物質(闇)を否定してアストラル(光)だけになることがアセンションではないのですよね。

肉体があるからこそこの世の学びができるわけで、かと言って物質だけではただの物体でしかなくて、アストラルなスピリット(魂)があるからこそ意志が存在できているわけです。

その両者が今は対立していて、光の勢力は闇である物質を駆逐しようとしていて、地球が破壊されてしまうのは一見すると地球の支配者の暴走かのように見えてしまいますけど実際は光の勢力の意図が通って物質(闇)がなくなって光だけになることで地球という三次元が破壊されてしまうわけです。実際のところ、闇というのはそれほど大きい意志を持つことができなくて個の分離した意識に留まりますから、本来であれば地球の破壊なんて大それたことを考えることもできなくて、よくわからず核爆弾を使って地球を破壊してしまうことになるわけですけど、その裏には、それを許可する光の勢力の意志があって、光の存在の意図通りに物質的なものを消し去ってしまっているわけです。

ですけど、それは実際のところ神様の望むところではなくて、神様の望みは光と闇の統合であって、光が勝てば地球は消えてしまいますし、闇が勝てば地球は奴隷社会になってしまいますし、どちらが勝っても地球の将来は恐ろしい結果になるわけですけど、唯一、地球が存続かつ調和の取れた世界に進むためには光の闇の統合が不可欠になってくるわけです。

補足しますと、実際のところ、「空間と物質」というよりは「高次元の精神」と「(空間も含めた)物質」という対比がより正確なのですが、インスピレーション的に、特に視覚に訴えかけようとすると「見えるものと見えないもの」に対比した方がよくて、そうなると「(見えない)空間」と「(見える)物質」という対比になるのですけど、実際のところ、透明な空気であったとしてもそれは物質ですから対比としては正確ではなくて、実際には、光に相当するのは(物質である)空間ではなくて、より高次の、精神を司るアストラルな次元に対応して、それと、空間も含めた物質、とが対比されるのが本当なわけです。そうは言いましても比喩としては「空間と物質」の方がわかりやすくてそのように説明しましたけど、実際には、ヨーガあるいは神智学的な階層で言うところの「物質」と「アストラル(精神などを含む)」との対比及び対立であるわけです。物質を最上とするのが闇で、アストラル(精神を含む)を最上とするのが光で、ですけど、その両者はそれぞれ神様に存在を許されているが故に存在するので、お互いの対立をやめて調和に至ることで地球が救われるわけです。