プルシャの世界へと入るのが次の目標

2022-02-01
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

私はまだおそらく未体験ですけど、最近になってようやくプルシャの世界というものがどのようなものなのか理解できるようになってきました。今までは雲を掴むようでぼんやりと捉えていたのですが、階梯の中でプルシャの段階がどのようなものか理解できたことにより次は何をしなくてはならないのかがはっきりしたように思います。

プルシャの段階は、サンキャ哲学においては単に純粋精神として説明されているもので、それはプラクリティ(物質)と対になっている概念で、純粋精神のプルシャと物体のプラクリティが合わさって世界が構成されているわけです。

一方、本山博先生の言うところのプルシャは単なる説明ではなくて悟りへと至る階梯の一つとして説明されていて、プルシャよりも上の段階もあるのですけど、一応、このプルシャの段階をもってして「悟り」と定義されているようです。

そのプルシャの段階においてはそれ以前とは違って「物」から脱した状態であり、プルシャすなわち純粋精神が働く段階ということのようです。そのことで、それ以前のカーラナの段階においてはまだカルマに左右されていたものがプルシャの段階に至ると物そしてカルマから解放され、純粋精神としてのプルシャとして動き出す、ということのようなのです。

その段階に至るためには何よりもそれ以前の段階を否定しなくてはならず、アストラル的な感情面、カーラナ的な知的面そして光および至福の性質をも否定して初めてプルシャの純粋精神に至ることができるようです。

であれば、私がするべきことはこのままカーラナの至福をも超えてプルシャの純粋精神に至るというところである、と理解できます。

その、カーラナの至福すらも超えるからこそそれを「解脱」と呼んで、特別なことであると称されているのだと思います。

本山博先生の説明によりますと、ヨーガのサンキャ哲学においてはプラクリティ(物)はプルシャ(純粋精神)によって「観照」される、と言うことで、その一方で、本山博先生が説明するには本来はそれだけではなく、もう一歩進んで、観照だけでなく「働きかける」という動きがあると言います。

プルシャ(純粋な精神)がプラクリティの中に入っていって、それに即して働くことによって(中略)だんだんに目覚まし活性化して、(中略)次第に物が創造される。「本山博 著作集8」

そして、そのプルシャの世界に入るためにはそれ以前の段階、アストラルやカラーナの段階をいわば「否定」して次の段階に進まなければならない、と言います。否定とは言いますけど言葉を拡大的に解釈するならばそれは超克あるいは超越する、ということなのかなと思っております。

私はまだプルシャの段階にはないですけど、次の段階は私はこのあたりが課題になるかな、と思っております。