神の潮流と人が神に挑戦する潮流

2020-06-24 記載
トピックスピリチュアル

神は昔から人類を治めてきて、王族やら何やらとして一応は民の上に君臨する、という形式を取っていました。神と一般人は魂がそもそも違っていて、神はあの世で神様同士が知り合いですから国の行く末をどうするのか話し合いが持たれていたのです。

最近は国の姿も変わってきて、人間が統治をする場合も多々ありますけど、ほとんどが茶番ですよね。人間が統治をすると戦争か経済主義による他国搾取とか、何某かの競争で欲望を満足させる方に動きます。人間の欲求は「食う、寝る、遊ぶ」ですから、その欲求を満足させる方向に国の政策が動くわけです。

かつて、神あるいはその代理人が国を治めていた時代がありました。これは神聖ローマ帝国みたいな宗教に基づく帝国のことではなくて普通の王族が神の魂の眷族だった頃のことですが、その頃は神の意思をあらかじめ教育されてから転生してその意図を実現するために国政を司ったのでした。

今の人間の政治は「食う、寝る、遊ぶ」の欲求に基づいていますが、昔の政治は「そこそこに食う、そこそこに寝る、そこそこに遊ぶ、最重要なのは精神的な成長」という根幹が徹底していました。

今の民主主義とやらを見ても、最後の精神的な成長がないがしろにされていて経済成長やら自由やら武力やらが論点になっています。それでは政治は救いがないです。政治が欲求を満たすための場になってしまっているわけです。昔、国王が治めていた時代は精神的な成長が第一で、次に「食う、寝る、遊ぶ」がありました。

これは宗教という観点よりも、もっと根元のお話です。道徳や精神性と言っても良いです。神道にも通じるものがあります。神の意図は精神性の向上ですから、それが国の形として最初に来たのです。かと言って宗教というわけでもありません。

実際は宗教は誤解されていて、本当の宗教はもっと純粋な崇高な意識であるわけですが、本当の宗教という意味であれば王国はそれを目指していたと言えます。しかし、昨今の宗教とは違う姿であるわけです。

民主主義なんてのは茶番で、人類に欲望を追究させるためのシステムですから、多数決で物事を決めれば決めるほど政治は低俗なものになるのは当然のことです。

ここで言っている神とは独裁者のことではなく、神の意思と疎通できる人が政治を行うべき、と言っています。

昨今では政教分離が政治の基本なんて言われていますけど、実際のところ、昔から政治は神と深く結びついていますから、政教分離なんてのは人類に低俗な欲求を追求させて精神性を崩壊させ家畜同然に操りたいと思っている人たちの口実として使われているだけなのです。昔も今も、本当にわかっている人は政教分離なんて嘘だなんてわかっていますよ。そんな野暮なことを口に出しては言わないでしょうけどね。

政教分離は、今は欲求を追求する口実になっていますけど、おそらくは元々は世俗的な宗教の影響を排除するための口実として用いられていたと思いますよ。その場合でも本当の意味における宗教と政治は密接に繋がっていたと思います。少なくとも王族が国を治めている間は本来の神と政治とは密接に結びついていました。時代が下るにつれて権力競争に明け暮れる世俗的な宗教が政治に介入することが多くなって、その悪い影響を排除するために政教分離が謳われたのであって、元々は欲望を追求するための口実ではなかったのです。理屈が全く違う文脈で使われて自己正当化に使われているのですよね。

政教分離をやめて神の意思に基づく政治とか言う人が少ないのは、今が民主主義のシステムだからですよ。大衆は自分の欲求を満足させたいので欲求を拡大するにはうるさい事をいう神なんていない方が好都合でしょう。神のことを言う政治家がいたら政教分離とか言い出して非難して追い出すでしょうしね。いい口実になるだけです。政教分離と民主主義システムは欲望を追求するためにお互いが補完し合っています。

ですけどね、民主主義も茶番ですし、政教分離も茶番ですよ。そろそろみんな、それに気がつき始めたんじゃないですかね。

こういうのがね、神の潮流と、人が神に挑戦する潮流との違いですよ。神の潮流は人をより高いところに導こうとしている。人が神に挑戦する潮流は自分の欲望を満たしたいだけですよ。今は後者が優っているのです。

政治家がなんであれほど権力に卑しいかというと、システムとして力が集まっているからですよね。力とはもちろんお金で、お金を生み出すものは税金や特別会計および日本銀行の印刷機です。 税金に関して言えば今後は税制も減っていきますので日本の政治家の力も減って行きます。それでも特別会計で税金の範囲を超えてお金は使い放題なわけですし、税金とは関係ないところで日本銀行はお金を刷れるわけです。刷ったお金は株式市場などにどんどん流れて行っています。お金余りの時代です。

こう言うお話は有名で、人々はこのシステムを嘆いたり批判したりしていますけど、本当に神と繋がった人であれば現状をまず理解してそのシステムを最大限活用して自分の意思を実現させようとします。例えば、神の意識があれば株式市場で相場を張ってお金を無尽蔵に抜き取るなんて簡単な事です。そして、その抜き取ったお金を世の中に回せばいいのです。政治家の手なんて借りずにね。そんなアイデアはいくらでも浮かびます。

例えばね、一つのアイデアとして、そうしてお金を作ってばら撒いたり事業を次々に起こして人々を豊かにするという手があります。そうして、お金なんて誰でも十分に持っている状態にしてしまえばいいのです。お金が有り余っていれば政治家に擦り寄る必要もないですし、政治家も権力を操って面白がることもできなくなります。政治家が無視される世の中になるのが理想です。神の意識がちょっと本気を出せばそんなのは簡単なことです。

もう1つ手があって、人々が周囲の困っている人を助けるようになれば政治が弱体化して行きますけど、それはきっとしばらくはないでしょうね。

おそらくね、神様は、現状のように人間に欲望を追求させたらどうなるのか興味があるのではないでしょうかね? だから本気を出さずに観察だけしている。そんな気が致します。

今の政治は神に基づくものではなくて欲望に基づくものですからね。本来、そんなことは人間自身に任せておけばいいのです。欲望と政治とは本来は無関係であるべきです。

昔からね、政治は国王や王族同士で話し合われて行われていて、国民はほとんど関係がなかったのですよ。それでもうまく回っていました。国民の意見を聞いても欲望ばかりで、満足度や困っていることを聞くという点では意味がありますけど政策を任せてもできるわけがないですよ。

国民が困っていたら政治が助ける、というのは昔から行われてきましたけど、助けるというのはあっても欲望の追求を政治が推進することは真っ当な王族はしなかったものですよ。その基準としては、「豊かではないが貧しいというわけでもない」という程々のところで安定させて、人々の欲望を拡大させない方向に調整するのが政治の役割でした。

政治は雲の上で行われているものでしたが、今は選挙で政治家になることができて、一般人が自身の権力欲やら財産のために政治家をしています。政治家が欲望を追求していれば政策も欲望を満足させるものになります。

政治もマスコミもショー化してきて、欲望中心の政治になっています。

今の世の中、本当に政治を行っている人もそこそこいますが、ショーとしてそれっぽい事を言う人が多くなってきています。

このあたり、神様もどうしようか迷っているようです。人間の作った仕組みをうまく使って制御するか、あるいは、今の政治より更に上に仕組みを作ることも考えているようです。

後者に関しては、わざわざ作らなくても既に神界というかあの世には既にありますけどね。それを地上に下ろすための形作りをもっと進める計画もあるようです。

私は今生では基本的に高みの見物というか特に使命はありませんので見ているだけですけどね。ほんと政治は茶番を繰り広げていますよね。