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瞑想中に聞こえてきた真言宗っぽいマントラ
エネルギーの柱が下方まで通じる
2020-04-05 00:00:00
トピック:
スピリチュアル
:
瞑想録
先日
の続きです。
そうして古代のマントラを唱えていると胸のあたりにまで感触が出てきたわけですが、そのまま続けていましたところ、お腹のマニプラのあたりも同様になってきました。そうするうちに会陰のムーラダーラまで伸びて行きました。頭から会陰まで、濃紺はありますがエネルギーの柱が繋がったような気が致します。
いわゆるチャクラ、後頭部の松果体あるいは脳下垂体の近くや胸、お腹が特に濃い部分です。
マントラの後半部分で頭から下半身まで繋がる感じでしたのでそこだけ繰り返し唱えたりしました。
そうこうするうちにマントラの全体を唱えたりしましたところ、頭の上の方にまで少し感触が出てきました。
このマントラが載っていた書物によりますと、マントラの前半部分は高次の意識を表していて、後半部分がそれよりは低次の意識に影響を与えると言います。少し前まで前半部分と後半部分の区別をあまりしていなかったのですが、ここ数日は後半だけ唱えてみたりしてその違いを感じ取りました。
同書では、音節数によって繋がるものが違うと言います。同マントラは現代では6音節と4音節ですが、古代の唱え方ではオームはAum(アウム)と二音節になり、前半部分は7音節、後半部分は6音節になると言います。
そして、それこそが意識の変貌を司る鍵だと言うのです。
”蓮華の宝石”の目覚め、活発化は、一部の者によって次の様に考えられている。すなわち、第六感の目覚めは、マントラムの第二句(オーム・タット・サット・オーム)を正確に唱えることによって、その人の肉体および心に聖なるものの悟りと霊的知覚、霊的意義を受けさせてくれる。これが第三の目の一つの開眼であり、第三の目を開くと、その人の五官感覚のほかに霊的な感覚が加えられるのである。しかし、もし、第七感を目覚めさすと、つまり、蓮華の中の宝石を見出すと、感覚の世界を超えて上昇し、すべての存在の絶対的根源と一体となる。これが最も望ましいことなのである。
「ヨガの真義(M.ドーリル著)」
これは、最初に読んだときはそんなものかな、と思っていたのですが、ここ数日の感覚の変化を見ますと、なかなかこの記述は本物のような気がしてまいりました。
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