日常生活でなるべくサマーディ状態を保つ

2020-02-17 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

最近は日常生活が修行になるヴィパッサナー瞑想を心がけているわけですけれども、私の言うサマーディとヴィパッサナー瞑想とは同じことです。

やっていることは24時間瞑想の考え方と同じです。日常生活で思考に囚われていたら一旦脇に置いておくか素早く結論を出してからヴィパッサナー状態に戻ります。その状態をサマーディと読み替えても同じことです。スローモーションで感じるサマーディ状態をなるべく保ちます。

日によってその観察の深さが違うのを感じます。ここでいう深さとは、1秒間に何コマくらいのスムーズさで視界を認識できているのか、という点で私は判別しています。

これは、以前にも動画編集の例えを出しました。24fpsや30fpsくらいの割とスムーズな映像として視界が認識されているのが基本のヴィパッサナー状態で、疲れやどんよりとして認識力が弱まっている時は8fpsや12fpsなどで視界を認識しているように思います。明らかに視界の動きの滑らかさが違いますので自分の状態が客観的に判別できるわけです。

思考をしていると目の前の景色を見ているような見ていないような状態になります。その思考に気付いて視界に意識を戻すと24fpsですとか12fpsですとかその時の状態に応じた認識の状態に戻るわけです。

ですから、修行と言えるほどのものでもありませんが、思考している自分に気付いたら、それが大切なことであれば素早く結論を出して、単なる雑念であればその雑念を止めて視界の認識に戻してサマーディ状態、ヴィパッサナー状態に戻るということを最近は日々、心がけています。

ですから、座った瞑想もそれなりに行いますが、むしろ、最近はこちらの日常生活のヴィパッサナー瞑想によるサマーディの方が重要な気がしてきています。

どちらも必要ですが、座った瞑想を以前のように長くする必要はない感じで、日常生活のヴィパッサナー瞑想をなるべく長くするように心がけています。

基本的にヴィパッサナー瞑想とサマーディとは同じことであるわけですけれども、単に視界をスローモーションで認識している時はヴィパッサナー瞑想とは呼びますが不二の意識は働いておりませんのでサマーディと呼ぶのは不適格かもしれません。

ですが、ヴィパッサナー状態を続ければすぐに不二の認識が働いてきてサマーディに導かれてゆくと思いますので同じと言ってしまってもさほど支障は無いように思います。

このあたり、用語が混乱しておりますので私のコンテキストを他の流派の定義に当てはめて読むことは難しいと思います。私の考えるヴィパッサナーとサマーディに当てはめるとこんな感じ、というだけのお話です。