霊とマニプラ

2019-10-28 記載
トピックスピリチュアル

胃のあたり、いわゆるマニプラ、ソーラプレクサス・チャクラと霊との間には関係があるようです。

ヨーガの大家、本山博先生は以下のように説明されています。

マニプラチャクラの目覚めは、霊の世界にヨギを目覚ませるように思います。「密教ヨーガ(本山博 著)」

実はここ数週間、特に先週から身内の入院・危篤・葬儀まで立て続けに起こり、人の死に立ち向かいました。親戚の葬儀に参列するのと入院中や最後の瞬間に立ち会うのとではかなり認識の違いがありました。親戚の葬儀に参列するだけでは人の死に対して深く思い描く機会も少なかったのですが、今回のことで色々と学びもありました。

■マニプラで霊を感じる
人の最後の瞬間に立ち合い、葬儀をしていると、特に、胃のあたりにジワジワと感じるものがあって、胃のあたりが弱まるのを感じました。胃のあたりにあるのは、いわゆるマニプラ・チャクラです。これは、単に疲れというだけではないと思います。何かメッセージを受信しているような、そんな感じです。疲れてうとうとしている時とか夜の夢の中でイメージを感じたのです。その時、死んだ霊が漂って見ている世界を私が垣間見たような気が致します。それは、死んだ霊が見ている場面を私が感じる、ということです。

死んだ霊が特に苦しんでいるというわけではなさそうなのですが、故人の職業の最中に見たであろう視界が色々と延々と見えてくるのです。延々と続いていて、これは夢と言っても、死んだ霊が実際に自分が生きていた頃を回想しているのかなあ... と思いました。それがマニプラのあたりを伝わってイメージとして伝わってくるのです。

少なくとも苦しんでいるわけではなく、もうしなくても良い自分の職業を死後の世界でも続けているのかなぁ... と思うと、目覚めていない魂はこうなるのかな... とちょっと悲しくなりました。でも、苦しんでいるわけではないのが救いです。

時々、その故人の顔が思い浮かびます。これはきっと、思い浮かぶというよりは実際に漂っている、あるいは、そこに眠っているのかなと思います。苦しんでいるわけではないのですが、まだ意識は眠っている感じです。そのうち目が覚めるのでしょうか。49日になるまで霊は地上を漂うと言いますけど、どうなのでしょう。最長が49日、というお話もありますね。

■私の感情
入院中、意識が少し戻ったりして動いていた体が少しづつ弱まって遺体に変わってゆく最後を何日にもわたって看取るのは初めてでしたので色々と思うことがありました。

ここ数週間でいわゆる喪失感、悲しみ、思い出などを次々と体験することになったわけですが、勉強したり瞑想したりしてあの世のことや世界のことを学ぶのは必要だとしても、実際に直面してみるとわかるものがあります。

頭では霊は転生するとか理解していたとしても、実際の感情面やマニプラのレベルでは喪失感や共感、悲しみといったものをしっかり感じるわけです。アナハタ以上のレベルではそのような悲しみはありませんけど、アナハタ以上の感覚で安定した感覚を保ちつつも下半身のマニプラ以下ではしっかりと悲しみを感じているわけです。人間というのは一枚岩ではなくて、悲しみが全身を覆うのではなく、チャクラによって状態が違うのだな、と今回は学びました。

もしかした人によっては全身同じ、という人もいるのかもしれませんが、私の場合はこんな感じでした。もしかしたらアナハタが閉じ気味でマニプラ優勢の場合は感情が優先するのかもしれませんけど。

アナハタ以上の高い波動の神の世界の視点だけで人間が生きているわけではなく、低いマニプラ以下の視点もあるのが人間で、アナハタ以上の高い波動だけでなく低いマニプラ以下の波動も持っているからこそこの地上を生きられるのであって、マニプラにおける感情としての悲しみを感じるのも必要なのだと改めて思いました。

人によってそのバランスは違っているにしても、アナハタ以上の高い波動だけ持っていてマニプラの悲しみがない人間というのも何だか違う気がしますし、そもそも人間界に生まれるということは様々な感情を味わうことを学ぶことでもある筈ですから、マニプラもしっかり動かしてみるのがいいのかな、という気も致します。

それでもきっと、やがては人類の成長はアナハタ以上に進んでいくのでしょうけど、今の世界ではまだまだマニプラ的要素はこの世界で生きるのに必要かなと思います。

■やがて迎えがやってくる
私が子供の頃に幽体離脱して理解したことに基づきますと、死ぬとやがて縁のある人(霊)が迎えにきます。
ですから、きっと今はまだ死んだばかりで夢見のような状態で微睡んでいるのだと思います。