初見の人と接した際に自らの知らない面が出てくるのではなく自分が相手の鏡になっているだけ

2019-10-20 記載
トピック:スピリチュアル: 呪いとトラウマ

先日のオーラ融合による想念受信のお話の続きです。

オーラ接触すると相手の想念が伝わってくるわけですが、例えば初見の人と接した時にふとしたことで自分が今まで思いもよらなかった考えが心に浮かんでくることがあります。

具体的には、私が数ヶ月前に少し話した女性の場合ですと、一言二言話しただけで相手の女性の悩みが伝わってきました。その女性は割と資産家らしく、お金目当ての男性がわらわらと近づいてくるようです。その悩みのオーラがブワッと私の方に降りかかってきて、私の心の中にこの女性を食い物にしている男性のイメージがポンと浮かんできたと同時にその女性も何かトラウマを思い出したように苦しみ出して少しヒステリーになったのですぐにその場を離れたのですが、これはオーラ接触によりその女性の悩みが伝わってきた例ですね。この女性はアルコール依存症のようで、まだ50歳前後だと思うのですが少し手が震えていました。お金持っていても不幸せなことがあるんですね。

オーラの基本的な知識と観察力があればこれは相手のオーラに含まれる想念だとすぐにわかるわけですけれども、そうでなくとも、それ以前あるいはその後数ヶ月経っても私は同様の思いを描いたことがありませんのでこの想念は相手の女性にまつわる物だったとわかるわけです。ですが、オーラや想念に関する知識がない人ですともしかしたら「ああ、これが私の本性なんだ」と思ってしまうかもしれません。

実のところ、ヨーガ的な「私」というのは「思い(想念)」ではありませんので、何を思おうがそれは自己の本質とは無関係なわけです。ヨーガ 的な「私」というのは純粋な観察者ですので、思いとは関係ないわけです。

ですが、一般的には「何を思うか」によって「私」が形作られています。ですから、一般的にはこのような場合に「ああ、私って実は凄く醜い人間なんだ」と思ってしまうかもしれませんが、それはヨーガ的に言えば間違いなわけです。だって、単に相手のオーラと接触してその情報が入ってきただけですから。

誤解して欲しくないのですが、「それなら、何を思ったっていいんですね。上のように女性を食い物にしていいんですね」と思う人がいらっしゃるかもしれませんが、微妙に違います。「何を思っても良い。女性を食い物にしたらそのカルマに巻き込まれますが、それも貴方の自由です。」と言ったところでしょうか。本質を理解していればわざわざそんな面倒なトラブルに巻き込まれることを選択しないとは思いますが、自分の行為のアリバイとして理屈を捏ね回したとしても、結局は自分の行為の尻拭いは自分で取るわけですから、好きにしてください、としか言いようがありません。言い訳をしても何も変わらないわけです。

誤解の話はこのくらいにして元の話に戻しますが、その女性はオーラが不安定で発散していたから周囲の他人のオーラと次々に接触していたわけですね。

オーラの働きを一度理解したならば、このようなことがあったらまず正しく理解して、その想念は自分のものではないことを理解して、あとはくよくよ考えないことです。一般人ですと「あぁ、私ってそんな人間だったんだ...」とくよくよずっと考え続けるかもしれませんが、「考える」ことによってどんどんと自分の性質がそれに近づいていきますので考え続ける方が危険です。

これらはオーラの働きとしても説明できますし、昔ながらの古典的な例えですと「鏡」だと説明されます。自分は相手を映し出す鏡だ、というわけですね。

ですが、鏡の説明は色々と誤解がありますので、私個人としては鏡よりもオーラの法則の方が説明としてしっくりきます。



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