クレジットカードを取り戻した後、雲崗石窟に向かうことにしました。
ガイドブックには4番と3番のバスを乗り継ぐと書いてあるが、
先日、1番のバスで直接行けると教えてもらったので城壁の外側にある1番のバス停に向かう。
「遊1」路線と聞いていたので、1番とは別に、特別な「遊1」があるのかな? と勘違いしていたが、何のことはない、路線を示す意味の「遊」だったので、単純に路線1番に乗れば良かったようだ。 中国の漢字だと「雲崗」がちょっと違う漢字になっているが、周囲の人に聞いて、この路線でいいことがわかった。 しかも終点が「雲崗」で、それは石窟の近くらしい。 分りやすい。
2階建てバスで、目的地がきちんと書いてあるので分りやすく、乗りやすい。
国によっては表示がないこともあるし・・・。 中国はしっかりしている。
そして終点に到着。
目の前が石窟の入り口だった。分りやすい。
ここまで分りやすいと、タクシー使う必要ないね。
最初は寺院を見学。その後に石窟がある。
中は、雰囲気としてはインドの「エローラ・アジャンタ遺跡」に似ている、石窟寺院だ。
でも、こちらの方が断然色鮮やかに残っている。
これは素晴らしい。
120元(約2350円)の価値がある。
巨大な石像も残っていて、写真でしか見たことがないが破壊されてしまったバーミヤンの遺跡を彷彿させた。
色鮮やかに残っているいくつかの石窟は写真禁止だが、これは行って見るべき。
ガイドブックでは雲崗石窟と懸空寺が並んで紹介されていて、入場料も似たり寄ったりだが
雲崗石窟 が星5つ ★★★★★
懸空寺 が星2つ ★★
くらいの違いがある。
懸空寺は車がないと行けないので、時間が有り余っているのでない限り、短い時間でわざわざ行く必要もないように思える。 それに比べてここ雲崗石窟はアプローチもしやすいし、是非見るべき。
地面の彫り物。
中にあるちょっとした寺院。
多くの仏像にはドリルで掘ったかのような穴が空けられている。
表面がはぎ取られたかのようだ。
小さな仏像は過去の「探検隊」によって多くが持ち去られたようだがが、表面がはぎ取られたり、仏像の全体にドリルのような穴がついているのは、それでは説明が付かない。 特に、目に打ち込まれたドリルは一体どいうこと? 探検隊がそんなことをするとは思えないし。
イスラムによる仏像破壊の可能性もあるが、ここまでイスラムが侵攻してきていない筈だが。 いま中国にいるが、中国にいるとそういったサイトにアクセスできない(苦笑)ので、実際のところが分かり辛い。 困ったものだ。
これは、皆さんご想像の通りのあの時代に起こったものであると想像されるが、検索にそれらがあまりヒットしなかったり、ヒットしても中国からアクセスできないので実際のところはいまいちよくわからず、想像するしかない。
あの時代を隠していると、こうした遺跡に何が起こったのか、本当のことが伝えられなくて類推するにも限界がある。
あの時代、遺跡の数々が破壊されていくのを見たユネスコ(世界遺産リストを管理している)が介入して破壊を制止したという噂は聞いていましたが。
遺跡の下の方の表面がはぎ取られていて、破壊が困難だったと思われる上方が色鮮やかに残っているので、破壊が容易だった下側が壊されて上方が残っている、というのならば理屈はつく。
一部は、探検隊が持ち帰ったのであろう。
そして、どの程度が混乱の時代に起きたものなのか? もうちょっときちんと公表して欲しい。
これは、写真だとよくわからないかもしれないが、とても巨大。
奈良の大仏より大きいかもしれない。(奈良の大仏に行ったのはかなり前なので記憶があやふやだが、そのくらい大きい。)
これが特に巨大で、保存状態も良い。
そして、あとは小さな仏像が少しあった。
巨大な石像も残っていて、写真でしか見たことがないが破壊されてしまったバーミヤンの遺跡を彷彿させた。
色鮮やかに残っているいくつかの石窟は写真禁止だが、これは行って見るべき。
ガイドブックでは雲崗石窟と懸空寺が並んで紹介されていて、入場料も似たり寄ったりだが
雲崗石窟 が星5つ ★★★★★
懸空寺 が星2つ ★★
くらいの違いがある。
懸空寺は車がないと行けないので、時間が有り余っているのでない限り、短い時間でわざわざ行く必要もないように思える。 それに比べてここ雲崗石窟はアプローチもしやすいし、是非見るべき。
そして、敷地内にある博物館も見学。
最後、敷地内をぐるりと回って出口へ。
出口をでたところにあるレストランで食事。
饅頭がうまい。
饅頭 3元(約60円)
なすとお肉の炒め物 20元(約390円)
そして同じバス(1番系統)に乗り、町へと戻る。