151.健全な「働かない」は、労働の再定義なのかもしれない
この意味で、健全な「働かない」思想は、本当は、「活動しない」という意味ではなく、「生活のために嫌な賃金労働だけをする人生から離れる」という意味なのかもしれない。
- 好きな農作業をする。
- 地域活動をする。
- 小さな商売をする。
- 必要なものを自分で作る。
- 支出を減らす。
- 他者と交換する。
そうして会社への依存を減らす。これは一つの生活モデルとして成立し得る。
152.安易な「働かない」との決定的な違い
一方、安易な「何もしない」では、生活の仕組みそのものを作り直すわけではない。
- 自給もしない。
- 支出も減らさない。
- 共同体も作らない。
- 技能も身につけない。
- 資産形成もしない。
しかし、現在と同等かそれ以上の生活水準を望む。そして、その不足部分を、「宇宙が何とかしてくれる」という説明で埋める。ここが、自然回帰型の「働かない」と、魔法的な「働かない」の大きな違いである。
この章で生じうる解釈の乖離
論理的に確認できること 感情が先行した解釈 生活資源には生産と費用の負担主体が必要である 自分が負担しなくても、必要な生活資源は当然に得られると考える
153.前者には「仕組み」があり、後者には「期待」がある
非常に単純化すれば、次のように整理できる。
- 自然回帰型:働き方を減らすために生活システムを変える
- 資産型:働き方を減らすために資本を蓄積する
- 技術型:働き方を減らすために自動化する
- 共同体型:働き方を減らすために資源を共有する
これらには、何らかの仕組みがある。
一方、魔法型は、働かなくても必要なものが来ると信じる。こちらでは、仕組みの代わりに期待が置かれる。
この章で生じうる解釈の乖離
論理的に確認できること 感情が先行した解釈 持続可能な供給には、生産・分担・分配の具体的な設計が必要である 仕組みを設計しなくても、世界が必要な供給を整えると考える
154.この違いを見れば、かなり整理できる
だから「何もしない」という言葉を聞いたときには、その人が、何をしなくなったのかを見るとよい。そして、その代わりに、何が働いているのかを見る。
- 自然農なら、生態系が働いている。
- 資産生活なら、資本が働いている。
- 自動化なら、機械が働いている。
- 共同体なら、メンバーが分担している。
- 家族扶養なら、家族が働いている。
- 社会保障なら、制度が働いている。
- スピリチュアルセミナー講師なら、受講生からの収入という市場が働いている。
何も存在しない場合にだけ、本当に「宇宙が供給した」という説明が必要になる。
155.「何もしない」は、実際には「誰にさせているか」という問題でもある
ここまで考えると、「私は何もしない」という言葉は、社会学的には、「私がしていない仕事を誰がしているのか」という問いに変換できる。
- 夫なのか。
- 親なのか。
- 国家なのか。
- 投資先企業の従業員なのか。
- 農家なのか。
- 外国の労働者なのか。
- 機械なのか。
- 自然なのか。
- 過去の自分なのか。
この視点を入れると、「何もしない」という状態が、突然具体的に見えてくる。
この章で生じうる解釈の乖離
論理的に確認できること 感情が先行した解釈 自分が行為や費用を負担しなくても、背後では人・制度・自然が負担している場合がある 自分が何もしていなければ、誰にも負担を移していないと考える
156.「宇宙から与えられた」の中身を分解する
たとえば、「何もしなかったのに100万円入ってきた」という話があったとする。具体的に見ると、保険金だった。
- 相続だった。
- 投資利益だった。
- 返金だった。
- 以前の仕事の報酬だった。
- 配偶者からの援助だった。
- SNSを見た顧客から仕事が来た。
という可能性がある。
本人の物語では、「宇宙から来た」。社会経済的な記述では、それぞれまったく違う。どちらの物語を選ぶかは自由だが、因果関係を検討するときには分解したほうがよい。
157.偶然まで排除する必要はない
もちろん、すべてを合理的に説明しきる必要もない。
- 人生には偶然がある。
- 偶然の出会い。
- 偶然の仕事。
- 偶然の機会。
本人にとって、それを、「宇宙からの贈り物」と呼ぶことに意味がある場合もある。
出来事の背後に何らかの事情があったとしても、当人がそれを知る必要があるとは限らない。スピリチュアルな世界観を前提にするなら、他の人の都合や守護霊の働きによって、誰かが少し手伝う形で行動し、その結果が本人にもたらされることもある。しかし、その事情は当人に知らせる必要がなく、本人が知ることもない場合がある。そこで、分からない事情を「宇宙が与えてくれた」と都合よく解釈し、偶然をすべて排除する必要はない。分からないのであれば、ひとまず「偶然」としておけばよい。この点は、過去記事の「物事には全て意味があるのかどうか」でも述べている。
問題は、一度の偶然から、「宇宙には、願えば物質を供給する普遍法則がある」と一般化することである。個人的な意味づけと、普遍的な法則の主張は、やはり別である。
この章で生じうる解釈の乖離
論理的に確認できること 感情が先行した解釈 人生には偶然もあり、一度の出来事だけでは普遍法則を証明できない 偶然はなく、起こったことを自分に都合よく宇宙の意図だと解釈する
158.最終的には「詩」と「法則」を分ければよい
ある意味では、この問題は非常に簡単に整理できる。「宇宙が私を助けてくれた」を、詩的・宗教的な表現として読むなら、何の問題もない。しかし、「このセミナーを受けて宇宙の法則を学べば、誰でも収入を引き寄せられる」となれば、再現可能な因果法則として提示されている。その場合には、成功率、失敗例、条件、比較対象などを検証する必要がある。
詩と法則を混同しない。それだけで、多くの混乱は避けられる。