スピリチュアルの分野で緊張と弛緩と言うお話が出てきます。最初に緊張してその後緩めることでリラックスすると言うお話です。
これは一見すると緊張とリラックスと言う相反する事象を扱っているように感じられるかもしれません。
しかしこれは、エネルギーと言う観点からすると割と自明なのです。ここで言うエネルギーとは体の中を通るエネルギーと言うお話です。
まず大前提として、人によって通常の状態におけるエネルギーの量と言うものに違いがあります。とある人はエネルギッシュで、人によってはそうではないと言うことが普通にあります。
ここで、エネルギーと言うのは人の体の中にある見えないエネルギーのルートを通るエネルギーのことを指しており、量と言うのはそのエネルギーの通りの太さを意味しているのです。
よって、エネルギッシュな人とは、エネルギーのルートが太く、そしてそこに流れるエネルギーが多い人のことです。
という事は、緊張と弛緩と言うのは、その、エネルギーのルートに働きかけるものであると言うことです。エネルギーのルートが塞がっている、あるいは、通りが悪い場合、その時、人は体調が悪い、あるいは、エネルギーの不足を感じるかもしれません。
この時、緊張と弛緩によって、そのルートに通るエネルギーが一時的に増大します。これが、緊張と弛緩によるリラックスの仕組みです。
リラックスが良いのか?
結果としてのリラックスであり、過程としてのエネルギールートの開拓です。
しかし、一般的にはリラックスそのものが手段でありかつ目的であるかのように思われていることが多いかと思います。よって、リラックスが目的なのはまだわかるとしても、リラックスを手段として捉えてしまうと、よくわからないことになってしまうと思うのです。
よく、スピリチュアルでリラックスしましょうみたいなお話がよく出てきます。しかし、上に書きましたようにリラックスそれ自体は目的であって、手段ではないのです。
リラックスのための手法
それでは、リラックスが手段でないとしたら、リラックスをもたらす手法とは何なのでしょうか。
まずここで、リラックスした状態と言うのはどのような状態であるかを考えてみましょう。リラックスした状態とは、端的に言えば、エネルギーに満ちた状態のことです。エネルギーがない状態のリラックスと言うのは、感覚を失っていると言うことです。よってここで、リラックスに2つの方向性が見出されます。
まず第一に、エネルギーに満ちた状態を作り出した後のリラックスがあります。
次に、エネルギーを遮断したときの虚無とも言える、感覚のなさにおけるリラックスがあります。
この両者は、明確に異なるものです。
エネルギーに満ちた状態
これは、内的手法と、外的な手法とに分けられます。内的な手法とはエネルギーを自らの内側から発するものであり、その基本は、自らの体の中を通るエネルギーのルートを太くして、その結果として、エネルギーが増大し、そして、リラックスももたらされるわけです。
一方、外的な手法とは、外側からエネルギーを取り入れることです。それは、食べ物や自然、あるいは、他人からと言うこともあり得ます。
虚無の状態
この状態においては、感覚を遮断することがリラックスの条件になります。それは、文字通り、何も感じなくなると言うことです。これは、意図的に、いずれかのチャクラを閉じることによって一時的にそのような状態になることがあります。
チャクラを閉じると言う事は体の中のエネルギーの流れを悪くし、その結果、そこから感じられる感覚をなくすことができるわけです。
思考を止める、と言う、スピリチュアルの罠
スピリチュアルにおいて、よく、思考を止めましょう、みたいのお話を耳にすることがあります。それは、上記における、2つの方向性によってそれぞれ成し遂げられます。
まず1つは、エネルギーを高めることにより、波動が高まり、雑念に惑わされなくなると言うことです
もう一つは、チャクラを閉じることによって荒野、感覚を感じさせなくなる、と言うこともあり得ます。
この2つは、方向性として、全く異なるものです。
そして、後者によって成し遂げられた思考の停止は、そのチャクラの閉じ具合に応じて、体から、活力が失われるのです。
思考の停止と言うのは、あくまでも結果であるのにもかかわらず、あたかも、思考の提唱をすることで何かが起こるかのような言説騙され、それを聞いて勘違いした人が自己流で行うことにより、チャクラを閉じてしまう、と言うようなことが起こるのです。
行うべき事は何か
生活の環境において、誰かから、精神的な攻撃を受けにくいところに身を置くべきです。それがすべての基本になります。
例えば、仕事場で、怒鳴りつけてくるような人がいるような環境はスピリチュアルな生活を志す人にふさわしくはありません。
そして、瞑想においては、自らの体の各章を流れるエネルギーのルートを太くすることを心がけるのです。瞑想だけに限らず、呼吸法においても、俺は流派によって説明が異なるかもしれませんが、呼吸法の本質は、エネルギーを取り入れると言うことよりも、自らの体の中のエネルギールート開拓する、と言うところにあるのです。ですから、呼吸法の手法はいろいろあれども、実のところ、呼吸そのものが放出と言うわけでもないのです。
呼吸に合わせてエネルギーを動かすこと、そちらこそが重要であり、物理的な呼吸そのものはそこまで重視されないのです。ですから、流派によっては、呼吸を整えることよりも、エネルギーの動きを重視していたりします。呼吸法において、その手法が学に連れて精緻になり、その手法から得られることもあるかもしれません。しかし、本質はと言うと、エネルギーの動きなのです。
ここで、緊張という言葉が重みを帯びてきます。緊張と一言で言うと、あたかもそれは、リラックスの対局のように感じられるかもしれません。ここで、緊張と言うのは、エネルギーの動きそのものなのです。緊張あるいは集中によってエネルギーを一点に凝縮し、それにより、体の中のエネルギールートを開くのです。
それがときにはチャクラと呼ばれることもあります。しかし、チャクラと言うのはエネルギールートの結節点であり、そこに、他の次元との結合点があるわけですが、そのチャクラそのもので存在しているわけではないのです。
むしろ、チャクラは先にあると言うよりも、エネルギールートがありその後の結果としてチャクラがある、と考える方が実態に近いのです。実のところ、これは鶏と卵の関係であり、どちらがどちらと言うわけでもないのですが、スピリチュアルな成長するにあたって、チャクラのことを考えるよりも、エネルギールートをまず開拓する、と言うことの方が先に重要になってくるのです。
そして、チャクラがそこまで開かずとも、エネルギールートが開拓されれば、ある程度元気になり、リラックスすることができます。リラックスの具合には程度がありますが、それでも、相応にリラックスすることができるわけです。