読むことは、自分の中だけで終わらない
ギータプレス版の解説には、ギーターを学ぶ人は、自分自身だけでなく、ほかの人をも解放する力を得るという、とても大きな表現が出てきます。
この言葉を、誰かを上から救ってあげるという意味で受け取ると、かえって危うくなります。まずは、読む人の言葉やものの見方が変わり、それが周囲にも伝わっていくという身近なところから考えてみます。
たとえばカルマという言葉を、単に「過去の罰」のように使えば、人を怖がらせたり責めたりする言葉になり得ます。しかしギーターの文脈に戻れば、カルマは行為、結果、執着、手放すこと、捧げることと結びついた、生き方を考えるための言葉として見えてきます。
読む人が言葉を丁寧に扱うようになれば、周囲の人も落ち着いて考えやすくなります。不安を煽る言葉が見通しを与える言葉に変わり、責める言葉が状況を整理する言葉に変わる。その変化は、読む本人の内側だけにはとどまりません。
もちろん、ギーターを読めば自動的に誰かを救えるという話ではありません。学んだことが考え方や行動に染み込み、その人の言葉や接し方を通じて周囲にも余白が生まれる。ここでは、そのような波及として「ほかの人にも道が開く」という表現を受け取ります。
ギータプレス版からの日本語訳――ギーターを学ぶことの広がり
ギーターとガンガー
ギーターは、ガンガーよりも優れている。聖典では、ガンガーで沐浴すれば解脱が得られると説かれている。しかし、ガンガーで沐浴する人は、自分自身の解脱を得ることはできても、ほかの人を解脱させる力までは得られない。
一方、ギーターの中へ深く身を投じる人は、自らが解放されるだけでなく、ほかの人を解放する力をも得る。ガンガーが主の御足から生じたのに対し、ギーターは神の唇から直接現れた。
またガンガーは、その場所まで赴いて水に身を浸す人だけを解放するが、ギーターはあらゆる家庭へ入り、一人ひとりに解脱への道を示す。こうした理由から、ギーターはガンガーよりも優れていると説かれるのである。
ギーターとガーヤトリー
ギーターは、ガーヤトリーよりも優れている。ガーヤトリーのジャパを実践すれば、人が解脱に達することは疑いない。しかし、ガーヤトリーのジャパを行う人が得る解脱は、その人自身のためのものである。一方、ギーターを学ぶ人は、自分だけでなく、ほかの人をも解放する。
解脱を授ける神御自身がその人のものとなるとき、ムクティはその人にとって取るに足らないものとなり、その足元の塵の中に宿る。その人は、ムクティを求める誰に対しても、それを贈ることができる。
ギーターは主の至高の住まい
ギーターは神よりも偉大であると述べても、誇張にはならない。主御自身が次のように語っている。
गीताश्रयेऽहं तिष्ठामि गीता मे चोत्तमं गृहम् ।
गीताज्ञानमुपाश्रित्य त्रील्लोकान् पालयाम्यहम् ॥
「私はギーターを拠り所として住まう。ギーターは私の至高の住まいである。ギーターに収められた智慧の力によって、私は三つの世界を維持している」(『ヴァラーハ・プラーナ』)
さらに主はギーターそのものの中で、ギーターという形で示された教えに従う者は、疑いなく解脱に達すると公に宣言している。それだけでなく、この聖典を学ぶ者も、智慧の供犠によって主を礼拝することになると述べている。
教えを生き、伝える人
ギーターを学ぶだけでもそれほどの価値があるなら、その教えに従って自らの生き方を形づくり、神の信奉者にその奥義を伝え、その教えを広める人については、何と言えばよいだろうか。
主はそのような人について、御自分にとってきわめて大切な存在であると語る。その人は、神御自身の命よりも大切であると言っても誇張ではない。主は、そのような信奉者の意志に御自身を従わせる。
高貴な魂の場合でさえ、その教えに従う人々が、その人自身の命よりも大切な存在になることがある。ギーターは主の主要な神秘の教えである。それならば、その教えに従う人が、主御自身の命よりも大切にされるとしても、何の不思議があるだろうか。
主の息吹としてのギーター
ギーターは、まさに主の命の息吹であり、心であり、言葉による御姿である。心、言葉、身体、すべての感覚とその働きがギーターに染められた人は、まさにギーターの体現者である。
その人を見ること、触れること、その言葉や思いに接することさえ、ほかの人に最高の神聖さをもたらす。まして、その教えと模範に従う人については言うまでもない。実際のところ、供犠、布施、苦行、巡礼、宗教的誓願、自制、断食などのいずれも、ギーターに比べることはできない。
ギーターには、バガヴァーン・シュリー・クリシュナの唇から直接発せられた言葉が収められている。その編纂者は聖仙ヴィヤーサである。主が韻文で語った部分を、編纂者ヴィヤーサは、その唇から発せられたとおりに記録した。
散文で語られた部分は編纂者によって韻文にされ、アルジュナ、サンジャヤ、ドリタラーシュトラの言葉も同じように、ヴィヤーサ自身の言葉によって韻文化された。そして七百の詩節からなる書を十八章に分け、『マハーバーラタ』の一部として組み込んだ。こうして、この書物は私たちのもとへ伝えられたのである。
あわせて読む――2019年版の記事
この内容を最初に紹介した2019年の記事も、当時の記録としてそのまま掲載します。
バガヴァッド・ギーターは、読む本人だけでなく他人をも解放する
<ギーター解説書の続きを読んでいきます。>
ギーターはガンガーよりも優れています。 聖典では、解放(Liberation,解脱)はガンジス川(ガンガー)の沐浴の報酬であると宣言されています。 しかし、ガンガーに浸る彼は、自分で解放することはできますが、他の人を解放する力を身につけません。 しかし、ギーターに飛び込んだ彼は、自分自身を解放するだけでなく、他人を解放する力を得ます。 ガンガーは主の足から出てきましたが、ギーターは神の唇から直接出てきました。 繰り返しになりますが、ガンガは一人でそこに行き、水に飛び込んで自身を解放しますが、ギーターはすべての家への道を見つけ、すべての人に解放への道を示します。 これらが、ギーターがガンガーよりも優れていると宣言されている理由です。
ギーターはガヤトリ(マントラ)よりも優れています。 ガヤトリ(マントラ)のジャパの実践を通して、人は間違いなく解放を達成します。 しかし、ガヤトリ(マントラ)のジャパを実践する彼は、彼自身のためだけに解放(Liberation,解脱)を保証します。 一方、ギーターの学生は自分自身だけでなく他の人も解放します。 解放の分配者である神ご自身が自分のものになると、ムクティ(解脱)は彼にとってささいな出来事になります。 それは彼の足の埃に住みつきます。 彼は誰にでも、それを求めるすべての人にムクティ(解脱)の贈り物をします。
ギーターを神よりも大きいと宣言しても、誇張はありません。 主ご自身によると:श्रयेऽहंतिष्ठामिगीतामेचोत्तमंगृहम。 2ाज्ञानमुपाश्र्ितत्रील्लोकान्पालयाम्यहम्。 (バラハプラナ)「私はギーターに対する態度を明確にします。ギーターは私の最高の住まいです。ギーターに含まれる知恵の力で3つの世界を維持します。」
これとは別に、主はギーターの形に含まれる彼(主)の指示に従う者が間違いなく解放を達成することをギーター自体において公に宣言しています。それだけでなく、この聖典を研究する人も知恵を捧げることを通して彼(主)を崇拝するであろうと彼(主)は言います。ギーターを単に研究するだけでそのような価値が生まれるとしたら、その教えに従って自身の人生を形作って神の信者をその秘密に導きその教えを彼らの間で広め、広める人について私たちは何と言ったら良いでしょうか? 主はそのような人に言及して、その人が彼(主)を非常に大切に思うと言います。彼が彼(主)の人生そのものよりも神に親しみがあると言っても過言ではありません。主は自分自身(主)をそのような信者の意思に従属させます。高貴な魂の場合でさえ、彼ら(主)の教えに従う人々は彼ら自身の人生よりも彼らにとって大切になることがわかります。ギーターは主の神秘的な教えを構成します。それでは、これらの教えに従う人は、彼(主)の人生よりも彼(主)に寄り添うべきだと思いますか?
ギーターはまさに主の命の息、心、そして言葉によるイメージです。
ギーターに染み込んでいる心、言葉、身体、そしてすべての感覚とその機能を持っている人は、まさにギーターの具現化と言えます。彼の視力、感触、発言、思考、教訓と模範に従う者はもちろん他者に最高の尊厳を与えます。実際のところ、犠牲、慈善、緊縮、巡礼、宗教的誓約、自制、断食などは、ギーターとの比較になりません。 ギーターには、主バガヴァーン・クリシュナ の唇から直接発せられる言葉が含まれています。その編集者は、マハルシ・ヴィヤーサです。主は、彼(主)の談話の一部を詩節で語りました。編集者ヴィヤーサは、彼の唇から発せられたとおりにそれを記録しました。散文で発話された部分は編集者によって理解され、アルジュナ、サンジャヤ、ドゥルターラシュトラの言葉は彼自身の言葉で同様に理解され、700節の本を18の章に分け、彼はそれをマハーバーラータの有機的な一部にしました。これが、どのようにこの本が私たちのところにやってきたかという説明になります。
コメント:
代名詞(His)が「人」だったり「主」のことだったりして読みにくい部分があります。原文のHisのように大文字になっているところが「主」の意味かと思いきや、場所によってはそれで「人」の意味だったりしますので大文字になっているかどうかをヒントにして読み解くだけではなく意味を毎回チェックする必要があります。スピリチュアルな英語の文献ですとハイヤーセルフや主の意味でSelfのように大文字のSelfを使っていたりするので分かりやすいのですが、この文献は表記が必ずしも一致していないようです。