133.偶然を受け入れることは人間にとって難しい
特に、偶然は人間にとって受け入れにくい。良いことが起きた。悪いことが起きた。それに意味がないかもしれない、という考えは不安である。だから、「宇宙が導いた」「必要な出来事だった」「引き寄せた」と意味を与える。これは必ずしも悪いことではない。人間は物語によって人生を理解する生き物だからである。問題は、意味づけと客観的因果説明を同一視したときに生じる。
この章で生じうる解釈の乖離
論理的に確認できること 感情が先行した解釈 偶然や確率的な出来事は、個人の意図や波動による因果を示さない 偶然に見える出来事も、すべて宇宙の意図や自分の波動の結果だと考える
134.物語としてのスピリチュアルと、事実主張としてのスピリチュアル
たとえば、「この出来事は宇宙からの贈り物だと思う」というのは、人生の意味づけである。科学的に証明する必要はない。しかし、「この方法を使えば宇宙の法則によって必ず収入が増える」となれば、事実についての主張になる。そこには検証可能性が必要になる。この二つを分けるだけでも、スピリチュアルとの付き合い方はかなり変わる。
135.思想として楽しむことと、人生の意思決定に使うことは違う
スピリチュアルな世界観を、
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詩。
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哲学。
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人生観。
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宗教的物語として楽しむことと、それを、
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退職。
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投資。
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借金。
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医療。
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結婚。
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高額セミナーなど重大な意思決定の根拠にすることは違う。後者では、現実的な情報も同時に確認する必要がある。「宇宙を信頼する」ことと、家計を確認することは、両立できる。
136.「何もしない」を検証する簡単な問い
「何もしなくても与えられる」という主張を聞いたとき、一つ簡単な問いを立てることができる。「それを与えているのは具体的に誰なのか?」食料なら誰が作ったのか。
- お金ならどこから来たのか。
- 住宅なら誰が建てたのか。
- 援助なら誰が稼いだのか。
- 社会保障なら誰が制度を維持しているのか。
- セミナー講師の収入なら誰が受講料を払ったのか。
この問いを一つ入れるだけで、「宇宙」という抽象語の背後にある社会構造が見えてくる。
137.もう一つの問い――その思想を全員が実践できるか
さらに、「全員がそれを実践したら成立するか?」と考える。一部の人が働かず、他の人が生産したものを受け取る社会は成立する。しかし全員が生産をやめれば成立しない。
一部の人が自然農をする社会は成立する。全員が都市インフラの維持をやめれば成立しない。この「普遍化可能性」は、思想を社会的に評価する一つの有効な方法である。
138.そして「講師は何によって生活しているか」を見る
高額スピリチュアルの場合には、もう一つ単純な問いがある。「この人の収入源は何なのか?」もし、「働かなくても豊かになれる」という人物の主な収入源が、「働かなくても豊かになる方法を教える講座」であるなら、その成功例の解釈には注意が必要である。これは思想が間違っていることの直接的証明ではない。
しかし、成功の原因を判断するための重要な情報ではある。
139.思想を否定するより、構造を見る
こうして考えると、「信じる人は馬鹿だ」「全部詐欺だ」と切り捨てるより、
- 構造を見るほうが面白い。
- なぜその思想が必要とされたのか。
- どこから来たのか。
- どんな思想と混ざったのか。
- どこで意味が変わったのか。
- 誰が利益を得るのか。
- どの部分は合理的なのか。
- どこから論理的飛躍が始まるのか。
そうして見ると、現代スピリチュアルは、単なる奇妙なサブカルチャーではなく、現代社会そのものを映す鏡として見えてくる。
140.「何もしなくても与えられる」が映している現代社会
この思想がこれほど魅力を持つということは、裏返せば、多くの人が、「何かをし続けなければ存在する資格がない」と感じている社会なのかもしれない。
- 働く。
- 成果を出す。
- 成長する。
- 稼ぐ。
- 自己改善する。
- 健康になる。
- 人間関係を改善する。
- SNSでも魅力的に見せる。
- 常に何かをし続ける。
その疲労の反動として、「何もしなくてもいい」という言葉が現れる。だから、その言葉が必要とされる理由そのものには、かなり真剣に考えるべきものがある。