人が死ぬと、受け継がれてきた知識も失われる
アルジュナの心配は、戦争によって人命が失われることだけではありません。一族の長老や伝統を知る人々がいなくなれば、家の行いの水準を保ってきた習慣や知識も、次の世代へ伝わらなくなると考えます。
ここでいう伝統は、単なる古い形式ではなく、個人を家や社会につなぎ、道を踏み外さないよう支える仕組みとして説明されています。その抑制が失われれば、家や社会は手綱を失い、不徳が広がっていく。アルジュナの議論は、個人の悲しみから、戦後も長く続く社会秩序の崩壊へ広がります。
ギータプレス版からの日本語訳――第1章第40節「一族の伝統が失われる」
kulakṣaye praṇaśyanti kuladharmāḥ sanātanāḥ |
dharme naṣṭe kulaṁ kṛtsnamadharmo'bhibhavatyuta || 40 ||
語句
kulakṣaye は「家、一族が滅びるとき」。
praṇaśyanti は「消滅する」。
kuladharmāḥ は「家の伝統」「一族の法」。
sanātanāḥ は「古くから続く」。
dharme naṣṭe は「徳、正しい秩序が失われると」。
kulam kṛtsnam は「一族全体」。
adharmaḥ abhibhavati は「不徳、悪が支配する」です。
訳
「一族が滅びると、 古くから続いてきた家の伝統は消滅します。
そして徳が失われると、 不徳が一族全体を支配するようになります。」
注釈訳
よい家には、 多くのよい、 有益な習慣やしきたりが蓄えられている。
それらは世代から世代へと受け継がれ、 家の行いの水準を高く保ち、 男女が道を踏み外さないように助ける。
このような有益で向上させる習慣やしきたりが、 一語で「家の伝統」と呼ばれる。
家が滅びると、 それらの習慣や伝統を知っている年長者たちが姿を消す。
すると残された女性や子どもたちがその知識を失っていくのは自然であり、 そのようにして伝統は消え、 失われていく。
人を徳の道にとどめ、 罪を避けさせる動機は五つある。
神への畏れ。
聖典の命令。
家の伝統を破ることへの畏れ。
国家の法律。
身体的な害や金銭的損失への恐れである。
このうち、 神は絶対的に実在するものであり、 聖典の命令は真理を表すものであるが、 それらは人の信仰に依存しており、 直接に目に見える動機ではない。
国家の法律は国家の臣民だけを支配する。 しかし権力を握る者たちは、 一般にそれを尊重しない。
身体的な害や金銭的損失への恐れは、 多くの場合、 個人にだけ作用する。
家の伝統だけが、 個人を家と社会に結びつける。
有益な習慣と伝統を失った社会や家は、 手綱を失った荒馬のように、 乱れ、 わがままになる。
我意の強い人間は、 どれほど向上をもたらす法であっても、 それに耐えようとしない。
社会や家の成員があらゆる抑制を投げ捨てるとき、 罪は当然のようにその社会や家に勢力を広げる。
これが、 「罪が一族全体を支配する」という意味である。